(『越後国式内神社案内』。新潟県中頸城郡櫛池村青柳)
池の主である大蛇は、水の中にばかり住んでいて、普通の蛇ともまったく違う恐ろしい生き物でありました。
そのようなものが実際にいたのかどうか、今となっては確かなことはもう分からなくなってしまいました。
絵などに描く人は、もちろん本物の大蛇を見たことのない人ばかりですから、仕方なしにただの大きな蛇のように描くので、だんだんとそう思い込む人が多くなりました。しかし、この大蛇の方は水の底にいて、すべての魚たちの王様のように考えられていたのです。
片目の杢太殿が池の主のところに婿入りをして、自分も大蛇になったというのなら、魚たちもその一門なのだからだんだん影響を受けて、目が一つになろうとしているのだと想像する人もあったわけなのです。
静岡市の北の山間にある「鯨の池(くじらのいけ)」の主は、長さ九尺(約2.7メートル)の青竜であったとも言われ、あるいは片目の大きなまだら牛であったとも言われますが、なにしろ化けるのですから、何にでも姿を変えることができるというわけなのです。昔、水見色村(みずみいろむら)の杉橋長者(すぎはしちょうじゃ)の一人娘が、高山の池の主(ぬし)にだまされて、水の底へ連れて行かれそうになりました。それを知った長者は大いに怒り、何百人もの下男や人夫(にんぷ)たちに命令して、その池の中へ山のような焼け石を投げ込ませました。そのため、池の主は片方の目を怪我してしまい、たまらず逃げ出して鯨の池へと引っ越していったのです。
それからというもの、この鯨の池の魚たちは、どいつもこいつもみんな片目になってしまったというのですから、魚たちにしてみれば本当にとんだいいめいわくなおつき合いがあったものです。
(『安倍郡誌』。静岡県安倍郡賤機村)
また、こんな言い伝えもあります。池の主が領主の大切な馬を引きずり込んでしまったため、村人たちがたくさんの鋳物師(いもじ=金属を溶かして道具を作る職人)を呼んできて、鉄をドロドロに溶かして池の中へ流し込んだとも言われています。どちらの話にしても、その熱さや衝撃で池の主がちょうど一方の目を傷つけ、それがさらには魚の仲間たちみんなが片目になってしまった原因だというのは、なんとも珍しいお話ですね。
しかし、こうした片目の生き物にまつわる不思議なお話は、まだまだあちこちに残されているのです。
同じ安倍郡の玉川村(たまかわむら)、長光寺(ちょうこうじ)というお寺の前の池でも、池の主の大蛇が村の子供をさらってしまったため、怒った村人たちがたくさんの石を投げつけました。それが命中して大蛇は片目を潰され、それ以来、その池の魚たちもみんな片目になっていると言われていました。
蛇が片目になるという伝説は、こうした場所のほかにも色々なところに伝えられています。
たとえば、佐渡の金北山(きんぽくさん)のある谷では、昔、順徳天皇(じゅんとくてんのう)がこの島にいらっしゃった頃、この山道で蛇をご覧になられて、「こんな田舎の蛇でも、やっぱり目は二つあるのだな」と独り言をおっしゃいました。すると、そのお言葉に恐れ入ったのか、それからというもの、この谷の蛇だけはどいつもこいつもみーんな片目になってしまったのだそうです。
そのため、今でもその場所は「御蛇河内(おじゃごうち)」という地名で呼ばれているのだといいます。
加賀の白山のふもとにある大杉谷村(おおすぎだにむら)の赤瀬(あかせ)という集落でも、小さな蛇に至るまでみんな片目だと言われています。
岩屋の観音堂(かんのんどう)の前の川には、昔「やすなが淵」という深い淵があって、その主は片目の大蛇だったということから、そんな噂が立ったのです。
昔、赤瀬の村に住んでいた「やす女(じょ)」という女性は、斜視(すがめ)のちょっと見た目のあまりよくない人で、男の人に見捨てられてしまいました。その恨みからこの淵に身を投げ、ついに淵の主になってしまったというのです。
そのやす女が時々川の下流の方へ降りてくると、必ず天気が大荒れになり、大水が出るので村人たちから恐れられていました。
やす女の家はもともと小松の町の「本蓮寺(ほんれんじ)」というお寺の門徒(信者)だったので、このお寺の大きなお祭り(報恩講)の時には、今でも人に気づかれないようにやす女がお参りにやって来て、お経を聞く人の群れの中にこっそり混ざっているのだといいます。
だからこそ、冬の大雪の時期であっても、毎年このお祭りのお寺の時期には必ず水が増えるのだと言われており、また雨風が激しい日には「今日は赤瀬のやすながやって来そうな日だなあ」などと人々が口にしたのだそうです。
(『三州奇談』等。石川県能美郡大杉谷村赤瀬)
斜視の不遇な女性だとか、夫に見捨てられた恨みといったお話は、もともとは古い昔話がもとになっているのだろうと思います。
そして、こうしたよく似たお話はあまりにも数が多く、いろいろな土地に代々伝えられているのです。
京都の近くにある宇治の村のお寺に、サツマイモを売りに来た男が門をくぐろうとした時のことです。片目が潰れて一筋の大きな蛇がスーッと現れ、まっすぐに住職の部屋(方丈)の方へ進んでいくのを目撃しました。男はあまりの恐ろしさに、荷物をその場に放り出して近所の家に逃げ込み、しばらく休んでいました。するとちょうどその時、しばらく病気で寝込んでいたお寺の和尚さんが亡くなったという知らせが届いたのです。
このお坊さんも、昔ある片目の尼僧を見捨てて、こっそりこのお寺へ逃げて身を隠していたのですが、ついにその尼僧の怨霊(おんりょう)に見つかり、取り殺されてしまったのだと言い伝えられています。
(『閑田耕筆』)
あるいはまた、身寄りも何もない老いたお坊さんが亡くなったあと、なぜかいつも一匹の片目の蛇が、お寺の裏の松の木の下にやって来てとぐろを巻いている、というお話もあります。
あまりにも不思議に思った村人たちがその木の下を掘り返してみたところ、なんとたくさんの小判が隠して埋められていたのです。
お金に対する強い未練や執念が残っていたために蛇に生まれ変わってやって来ていたのであり、その生前の老僧もまた片目であったという類いのお話です。
こうしたお話は「典型的な一つのパターン(類話)」というものであり、一つの物語がもとはどこへでも使い回されて広まっていったものなのです。
中には、わざわざ遠く離れた場所から、旅人がお話を運んできたものもありました。しかし、それがまたいかにも本当にあったことのように思えるので、後には土地の伝説の中に組み込まれたり、これまでの伝説と結び付けられたりして、私たちの村の歴史をだんだんと賑やかに彩っていったのです。
人間が死んでから蛇になったり、あるいは金沢の鎌倉権五郎(かまくらごんごろう)のように、武士の魂が魚になったりするなんてことは、現実にはとても信じられないことです。けれども、「どちらの話に出てくる生き物も、左の目がなかった」と言われるだけで、「もしかすると本当はそうなんじゃないか……」と思ってしまう人が出てくるものなのです。
しかし、それならば何も「目」だけに限定する必要はありません。
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