初級翻訳・智恵の一太郎 第12話

智恵の一太郎

ファーブルは卵から幼虫が生まれ出るころを見はからって、又のぞいて見た。
すると、かわいらしい幼虫は、やっぱりあの細い糸にぶら下って、頭を下にさかだちをして、壺の底にかさなり合っている青虫の一匹を、小さなくちばしで、つついていた。
つまり人間でいえば、お乳をのんでいたわけだね。
ファーブルは、ためしに、ピンセットの先で、その青虫をそっとついてみた。
青虫は死んでいるのじゃないから、もくもくとからだを動かした。
すると、トックリバチの幼虫は、びっくりして、さかさまになったまま、あとじさりをして、あぶない餌から、天井の方へ逃げのぼってしまったんだよ。例の卵のぶらさがっていた糸の先に、ちょうど幼虫が通れるくらいの白い管のようなものがついていて、びっくりした幼虫は、いきなりその管の中へ身をかくしてしまったのだ。
この管のようなものは、幼虫が生まれ出た卵の殻なんだね。
その殻がむだにならないで、ちゃんと幼虫のかくれ場所になっているんだよ。
そうして、青虫の身動きが静まると、幼虫はまた、そろそろと管の中から頭を出して、下の方へおりて来て、青虫のからだを吸いはじめるのだ。
それから、しばらくたって、またのぞいて見ると、幼虫はすっかり大きくなって、もう青虫がいくら動きまわっても、つぶされるような心配はなくなっている。
だから、不自由な曲芸なんかすることはない。
幼虫は下へおりてしまって、大いばりで青虫をたいらげているのだよ。
どうだね、何とうまくできているじゃないか。
神様はこんな小さな虫けらにさえ、これだけの智恵をおさずけになっている。
この世界をおつくりになった神様の考え深さは、ほんとうに恐しいほどじゃないか」
 伯父さんのお話を聞きおわった一太郎君は、いつか蜘蛛の曲芸を見せてもらった時と同じような、ふしぎな感じにうたれて、しばらくは口もきけませんでした。
この世界というものは、ほんとうにすばらしい。
どんな小さな生きものにも、何かしら、びっくりするような、神様の智恵があらわれている。
その世界に生きているというのはなんて楽しいことだろうと、身にしみて感じないではいられなかったのです。
「伯父さん、そのトックリバチって、どこにいるんですか」
 やがて、一太郎君は、ふと気づいたようにたずねました。
「どこにだっているよ。
東京附近にはたくさんいるんだ。
お前もトックリバチの巣をさがし出して、ファーブルのまねをして、中をのぞいて見るといいね」
 伯父さんは椅子から立ち上って、一太郎君の肩に手をかけて、にこにこしながら、そうおっしゃるのでした。
冷たい火

 八月のある暑い日の夕方のことです。
一太郎君が、お母さまから言いつけられたお使の帰り道、近所の高橋さんの門の前を通りかかりますと、大学生の高橋一郎さんがそこに立っていて、一太郎君に声をかけました。
「君、今夜遊びにこないかい。
おもしろいものを見せてあげるよ。
君がびっくりするようなものなんだ」
「びっくりするようなものですって? いったい何ですか」
「いや、今は言えない。
今夜、ごはんがすんで、暗くなってから、やって来たまえ。
あっと驚くようなものなんだよ」
 いくらたずねても、高橋さんは種あかしをしてくれません。
ともかく、今夜来て見ればわかるというのです。
そこで、一太郎君は、八時ごろ高橋さんのお家へ行くという約束をしてわかれました。
さて、その夜、お父さまのおゆるしをうけて、一太郎君はお家の門を出ましたが、外は真暗です。
空はくもっていて、月も星も見えず、遠くの方に街燈がぼんやりついているほかには、なんの光もなく、さびしい森の中でも歩いているような気持です。
でも、高橋さんのお家までは、五六十メートルしかありませんし、道の様子は目をふさいでも歩けるほど、よく知っているのですから、わけはありません。
すぐに高橋さんの門の前につきました。
見ると、門の左右の柱の、一太郎君の目の高さぐらいのところに、幅三センチほどの太い線が引いてあって、それが闇の中で青白く光っているのです。
電燈のような赤い光ではありません。
蛍の光に似た青白いものです。
その光で門がどこにあるかがわかりましたので、そこを通って、高橋さんのお家の庭へはいりますと、庭の地面に、五十センチぐらいの長さの矢印が、やっぱり青白く光っているのです。
あたりがまっ暗ですから、その矢印が地面から浮きあがって、ゆらゆらと、もえているように見えるのです。
「やあ、きれいだなあ」
 一太郎君は思わずつぶやきましたが、少し行くと第二の矢印、それからまた第三の矢印と、青白い光の道しるべが、次々とつづいていて、それを伝って行きますと、いつの間にかお家の横を通りすぎて、広い裏庭へ出てしまいました。
玄関からはいらないで、裏庭などへはいりこんではいけないと、ちょっとの間、その暗闇に立ちどまっていましたが、すると、庭の木立の中から、なんだか、えたいの知れぬ、青白い光るものが、ひらひらとこちらへ飛んで来るように見えるではありませんか。
一太郎君は、今度こそほんとうにびっくりしました。
恐しくさえなりました。
その光るものは、三十センチほどの、横に長い三角の形で、それがのびたりちぢんだりしながら、まるで鳥のように飛んでいるのです。
蛍を何千匹も集めたようなものが、三角形になって飛んでいるのです。
一太郎君は逃げ腰になりました。
もう少しで門の方へかけ出すところでした。しかし、まだ一歩もふみ出さない前に、暗闇の中から、ハハハハハハハという人の笑声が聞えて来ました。
「一太郎君、驚いたかい。
僕だよ。
僕だよ」
 それは大学生の高橋さんの声でした。
三角形のひらひらと光るもののそばに、ボーッと高橋さんの笑顔が見えて来ました。
「これは旗なんだよ。
光る旗なんだよ」
 そういいながら高橋さんは、青白く光るものを、ひらひらとふって見せました。
よく見ますと、なるほど三角の布の小旗なのです。
「あ、わかった。
旗に夜光塗料がぬってあるんですね」
「まあ、そんなものだよ」
「僕をびっくりさせるっていうのは、それなんですか」
「いや、これだけじゃない。
もっとおもしろいものがあるんだ。
こちらへ来てごらん」
 高橋さんは、そういって、一太郎君の手をとると、闇の中をおうちの方へ歩いて、そこの縁側にあがり、廊下づたいに、写真の現像をする暗室の中へはいりました。
そして、入口の戸をぴったりしめて、
「これだよ。
すばらしい電燈だろう」
 と、得意らしくいうのでした。
なるほど、ふしぎな電燈です。
現像台の上に、直径二十センチほどの、大きな丸いガラス瓶がおいてあって、そのガラス瓶全体が、さっきの矢印や小旗などと同じように、青白く光っているのです。
その光で、せまい暗室の中が、ボーッと明かるく、高橋さんの顔や姿もよく見えるのです。
「やっぱり夜光塗料ですか」
「いや、そうじゃない。
これは虫なんだよ」
「え、虫ですって?」
 一太郎君は、また、びっくりしてしまいました。
光る虫といえば、すぐ蛍を思い出すのですが、この光は蛍をよせ集めたものではありません。

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