二十三にもなれば、男の恋愛なんて空想の域を出るものさ。誰もいない川べりで魚が泳ぐのを見ているふりをして、そこを通りかかった女の子を呼び止めてみるくらいの度胸は自然とついてくるもんさ。それだけじゃない、何かこっそり手渡しでもしたって言うのかい?
あや子 もうやめましょうよ、そんな根掘り葉掘り詮索するのは……。私、そんなつもりで言ったんじゃないの。
ただ、そういう場面を見て、自分でハッと顔を赤らめるような、そんな印象を受けなかったことが不思議に思えたからなのよ。
つまり、それほど現実離れしていたんだわ。
あの女の子、なんていう名前かしら……。
どこのお子さんかしら……。
落ち葉かきの帰りらしいのよ。
亮太郎 ますます詩的じゃないか。
まるで牧歌的(パストラル)だね。
あや子 そうよ……。
なに、そんな笑い方して……。
いやな人ね。
(間)また少し歩いてみないこと、その辺りを……。
そうそう、あなたと一緒に歩くのは、何だかんだと言ってらしたわね。
亮太郎 目立つからね。
あや子 (溜息をつきながら)窮屈ね。
亮太郎 窮屈だけど、仕方がないさ。
無理して周囲の感情と戦う必要もないしね。
あや子 さっきは、もっと平気になれっておっしゃったくせに……。
亮太郎 だからさ、もっと気楽にこの土地に根ざした生活をすればいいんだよ。
わざわざ都会人ぶったりしなくたってさ……。
あや子変なことをおっしゃるのね。
もう、分からないわ、私……。
あなたはもっと、人の気持ちが分かる人だと思っていたのよ。
まるで無茶苦茶だわ、この頃あなたの言うことは……。
どうにかしましょうよ。
このままじゃ、お互いつまらないでしょう。
あなたは、何かの不満を、私のところにばかり持ってきているんじゃないの?
亮太郎 そうか……。
そういうところがあるかもしれないな。
悪かったよ。
どうもいけないね、こういう生活をしてると……。
頭がすっかり悪くなる。
感覚が鈍くなる。
精神に溌剌(はつらつ)としたところがなくなってしまうよ。
田舎の生活が必ずしも悪いとは思わないけれど、自分のための生活じゃなくなるからいけないんだ。
君は、今日は顔色が悪いね。
気分が悪のじゃないのかい?
あや子 今おっしゃったこと、あなたも気づいていらっしゃるなら、私、安心だわ。
でも、ほんとに気をつけて頂戴ね。
ここにいる間だけならまだいいけれど、あなたがずっとそんなふうになってしまわれるんじゃないかと思うと、私、泣きたくなるわ。
(間)そう言えば、あなたも今日は顔色がよくないのね。
さっきのお話で、また心配事が増えたからでしょ。
(間)でも、保次郎さんは、あなたのことを悪くは思っていらっさらないんでしょ、そんなに……。
亮太郎 良く思ってるとも言えないだろうね。
あや子 困るわね。
亮太郎 別段困りはしないさ。
こちらが向こうを分かってやるほどには、向こうじゃこちらのことが分かっていないだけさ。
弟なんていうものは、そんなものさ。
あや子 私から、よくお話ししてみても駄目かしら……。
亮太郎 話すって、何を話すんだい。
あや子 あなたの気持ちなり、何なり……。
亮太郎 僕の気持ちを話したって仕方がないさ。
あいつにどうしてほしいってわけじゃないんだから……。
あや子 でも、誤解があったら……。
亮太郎 面白くないと言うのかい。
しかし、それもね、時機の問題だと思うんだ。
今は何と言ったって駄目だよ。
僕が家の金を使って、都会に出て、学問をして、そして郷里のことは顧みずにつまらない仕事をしているというのが、あいつの気に食わないんだ。
それじゃあ自分はどれだけ郷里のために尽くし、どれだけ有意義な仕事をしているかというと――(首をふり)いけない、どうも頭が悪い。
しかし、あいつは何と言ったって子供じゃないよ。
なるほど、油断のならないところがある。
さっき言ったようなことだけでなく、僕自身がなんだかあいつに脅かされているような気がしてならないんだ。
あや子 それはあなたのひがみよ。
亮太郎 それが君にどうして分かるんだ。
――いや、僕の言うのはね、あいつに何か企みがあるとか、そういうことじゃないんだ。
もっと運命的な、どうすることもできない二人の関係からくるものらしい。
はっきりと言い表すことはできないがね。
(間)以前はそんなことはなかったんだよ。二人とも小さい時は、どちらかと言えば仲の良い兄弟だったんだ。
(空を見上げながら)よくここで遊んだもんだ、この栗の木の下で……。
ある日、学校ごっこをしようって言って、僕が先生になったわけさ。
もちろん、年上のほうが先生になるものと当然心得ていたわけだけど、あいつはいきなり、「じゃあお兄ちゃんが先生なら、おらは校長さんだ」と言い出しやがるんだ。
それで学校ごっこはおジャンさ……。
今度は、兵隊ごっこさ。
その頃、松本の連隊かなんかが村へ演習に来てね、子供たちは盛んに兵隊ごっこをやったもんだ――そこで、僕が軍曹になると言い出した。
――おかしいだろ、それはね、うちへ泊まった兵隊の頭(かしら)が軍曹だったんだ。そうすると、あいつは、どうしてそんな気になったのか、いきなり、じゃあ、おれは斥候(せっこう)だ、と言って駆け出したまま、どこに行ったのか、晩まで帰って来ないんだ。
これには僕も参ったよ。
あいつはどうも、兄貴を兄貴と思っていないところがあったんだ。
あや子 それだけ、想像力があなた以上に発達していたわけよ。
亮太郎 想像力がね。
うん、それは確かにそういうところはあったな。
(間)しかし、この栗の木の下は懐かしいよ。
(また空を見上げ)五、六年前に比べても、気のせいか、葉の茂り具合が、いいそう物々しくなってきている。
東京の近くに、こんな栗の木はちょっとないだろうね。
なにしろ、この村で一番大きいんだからさ。
大木というものも、これくらいになると、どことなく霊的な偉大さというか、一種犯すべからざる威厳を備えてくる。
神秘的でさえあるんだ。
それに色々な思い出が結びつき、家というものの伝統的な観念が加わって、今の僕の生活に、何か大きな力で働きかけてくるような気がするんだよ。
考えようによっては、気味が悪いほどだ。
あや子 あなたは、東京にいらっしゃる時と、まるで違ってしまわれたわね。
亮太郎 どういう風に……。
あや子 物事を妙に考え込むようになっていらっしゃるわ。
昔はそんなじゃなかったのに……。
亮太郎 (無理に明るく振る舞いながら)なに、考えている最中のことを口に出して言うのと、考えてしまったあとで、何か別のことを言うのとの違いさ。
新しい刺激がないと、同じことばかり考えるようになるんだ。
ああと考えてみたり、こう考えてみたりするのさ。
同じ頭で、同じ事をこねくり回しているほど馬鹿げたことはないよ。
(間)ところで、今晩はね、ちょっと長野まで行かなきゃならない用事ができたんだ。
寂しいだろうけど、留守番をしていてくれるかい?
あや子 どんなご用なの……。
あたし、行っちゃ、いけない?
亮太郎 中学校の同級会なんだよ。
初級翻訳・村で一番の栗の木(五場) 第4話
岸田 国士
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