チェロのソナタ並びにチェロ曲
チェロのソナタは三曲収録されています。
カサルス(チェロ)とシュルホーフ(ピアノ)による「チェロ・ソナタ イ長調 作品六九」は絶対的な名盤であり、録音が古いにもかかわらず、その広大な気迫と堂々たる威厳には脱帽するほかありません。
もう一つの「チェロ・ソナタ ハ長調 作品一〇二の一」は、ビクター愛好家協会の第三集に収められています。この曲は最後のチェロ・ソナタ(ニ長調)と共に、ベートーヴェンの晩年の心境を描いたもので、やや苦悩に満ちてはいますが、情熱的な深みを持った曲です。カサルス(チェロ)とホルスゾフスキー(ピアノ)の演奏は、通俗的なところがなく見事です。
ピアティゴルスキー(チェロ)とシュナーベル(ピアノ)は「チェロ・ソナタ ト短調 作品五の二」を収録していますが、あまり冴えがありません。少し古い録音ではありますが、カサルスの「魔笛の主題による七つの変奏曲」(ビクターJF80-1)のほうが、むしろ魅力と美しさを感じさせてくれます。
ピアノ協奏曲
五つの「ピアノ協奏曲」については、迷わずビクターから出ているシュナーベルの演奏をおすすめします。
伴奏のオーケストラを指揮したサージェントの出来栄えには不満な点もありますが、だからといってシュナーベルによるこの黄金のレコードの価値が損なわれることはありません。
とりわけ第四番と第五番(皇帝)は傑出した名演です。
第四番にはバックハウスによる素晴らしいレコードもありますが、常識的に考えれば、まずはシュナーベルのものを揃えておくのが無難でしょう。
「第一番」と「第五番」にはギーゼキングの演奏もあります。個性的で現代的な感覚に合うかもしれませんが、どこか物足りなさを感じてしまいます。
参考までに、シュナーベルのレコード番号を挙げておきます。
第一ピアノ協奏曲 ハ長調(ビクター JD17-21)
第二ピアノ協奏曲 変ロ長調(JD639-42)
第三ピアノ協奏曲 ハ短調(JD174-8)
第四ピアノ協奏曲 ト長調(JD124-7)
第五ピアノ協奏曲(皇帝) 変ホ長調(JD3119-23)
ヴァイオリン協奏曲
「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61」は、少なくとも十種類くらいのレコードが存在するでしょう。
ベートーヴェンの作品の中でも特に愛されている曲であり、その燃えるような美しさは、聴く人の心を奮い立たせてやみません。
数あるレコードの中でも、私は録音が古くとも、クライスラーが電気録音を始めた初期の演奏に愛着を感じます(ビクター8074-9)。
録音状態は決して良くありませんが、四十代のクライスラーが迎えた芸術的な絶頂期を記録したもので、その華やかで美しい響きや、あふれ出るような情愛は、他と比べようがありません。
オーケストラはベルリン国立歌劇場の楽団で、指揮はブレッヒです。初めて「H・M・V」からこのレコードが輸入された時の感動を、私は今でも忘れることができません。
二度目にクライスラーがこの曲を録音したのは、それから七、八年後のことでした。
テクニックに大きな衰えはありませんが、以前のような輝きは失われており、味わいはあっても、美しさにおいて初回の録音と比べることはできません。
コロムビアのシゲティーや、パルロフォンのヴォルフシュタールによる演奏も、クライスラーに次いで忘れがたい名盤です。
宗教音楽、歌曲
「荘厳ミサ曲」は、「第九交響曲」や「後期の四重奏曲」と並んで、ベートーヴェン晩年の貴重な作品であり、おそらく人類が創り出したあらゆる芸術作品の中でも最高位に置かれるべきものです。
「心より出でしもの、再び心に赴かんことを」と書き記したベートーヴェンの心境も、実に尊いものです。
レコードはポリドールから一組だけ出ています(大日本名曲レコード頒布会 M1-11)。
有名なブルノ・キッテルが、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とブルノ・キッテル合唱団を指揮したもので、独唱者も非常に素晴らしいです。
録音から十二、三年が経ちましたが、このレコードだけは、今聴いてもその価値が少しも色あせていないように感じます。
歌曲の中では、ロッテ・レーマンが歌った「フィデリオ」第一幕の「レオノーレの詠唱」(コロムビア JW30)や、「エグモント」の「太鼓が鳴った」「喜びと悲しみ」(コロムビア J5550)などが優れています。
ポリドールのバリトン歌手シュルスヌスが歌った「アデライデ」は、歌唱も歌い手も、ベートーヴェンの歌曲の中では一番のレコードでしょう(60184)。
「神の栄光」はヒュッシュやタウバーの独唱、ベルリン独唱者連盟の合唱などがありますが、私は古い盤のシュワルツの歌声をいつも思い出します。
「暗き墓場」は、シャリアピンとシュルスヌス、どちらも巧みな歌い手です。
旋律の泉シューベルト
音楽を愛する人で、「未完成交響曲」や「冬の旅」の美しさを知らない人がいるでしょうか。
それは、難しい理屈で作り上げた音楽ではありません。
初夏のさわやかな風の中で歌う鳥のように、心から湧き出てくるメロディを、素晴らしい天才の力でまとめ上げ、五線譜に残して百千年後の人々に伝えた、人類への贈り物そのものだったのです。
「未完成交響曲」を作り、「菩提樹」を作り、「鱒の五重奏曲」を作り、「アヴェ・マリア」や「魔王」を作ったフランツ・シューベルトこそは、いつの時代も我々のそばに寄り添ってくれる、万人の心の友だと言って、何ら大げさなことはありません。
十九世紀のロシアの大ピアニストであり、少しひねくれ者でもあったルービンシュタインは、シューベルトの「白鳥の歌」の一つである「憩いの地」を聴いてこう言いました。
「もう一度、いや千度でも繰り返してくれ。バッハ、ベートーヴェンと共に、シューベルトこそが、まさにドイツ音楽の三大巨峰である」と。
この言葉に、少しの誇張もありません。
我々の精神生活に入り込み、朝に夕に、清らかな慰めと感激をもたらしてくれる音楽として、シューベルトを第一に挙げることに、おそらく誰も異論はないはずです。シューベルトの音楽には、バッハのような厳格な威容も、ベートーヴェンのような力強い威厳も、モーツァルトの華麗な絢爛さも、あるいはブラームスの整った端正さもありません。しかし、そこには懐かしさと優しさ、そして心の奥底からにじみ出る愛情と輝くような美しさがあり、音楽が生まれて以来、これに比肩するものは他にありません。
これを人文史におけるオアシスと呼ぶこともできますし、芸術の中の芸術と見なすことも全く差し支えありません。
シューベルトこそは、まさに人間という母親から生まれた中で最も善良な魂を持ち、百年の歳月が流れても変わることのない、人類の親友であると言えるでしょう。
シューベルトは「自分自身を世界一の作曲家だとは自任しない、唯一の作曲家であった」と言われています。
彼は自分の持つ天才的な才能を少しも自覚していなかったほど謙虚な心の持ち主で、たまたま自分の曲が世間で絶賛されると、「それは歌い手のフォーグルがうまく歌ってくれたおかげだ」と本気で信じていました。
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