夢が覚めて机のそばへ行き、思わずペンを執り上げると、美しい音楽が頭の中で高らかに響いています。――しかし、ベルリオーズは考えなければなりませんでした。
階下では妻と子が病気でうめいており、最近では薬代さえ事欠く有様です。もしここでベルリオーズが金儲けという俗事を放り出して、交響曲の作曲に没頭したら、一体どうなることでしょう。
一か月や二か月、その仕事のために一切の収入を失うことは火を見るより明らかです。
その上、それを上演したいという熱望に駆られて管弦楽団を組織し、長い間の練習を重ねて、どうせ儲かるはずのない公演のために、驚くべき費用をどこからか捻出しなければならないだろう、ということを。「今はそんなものに没頭している時ではない」と、ベルリオーズは自分に言い聞かせて、布団の中に潜り込んでしまったのです。
次の日の夜も、ベルリオーズはまったく同じ夢を見ました。
耳には美しいメロディがハッキリと鳴り響いています――しかし、下から聞こえてくる病気の妻と子どもの苦しそうなうめき声が、またしてもベルリオーズの夢を打ち砕き、彼はもう一度あきらめの枕につかなかったわけにはいきませんでした。
三日目の夜には、もうその夢を見ることはありませんでした。
それだけでなく、あとからどれほど思い出そうと頑張っても、夢の中で聞いた交響曲のメロディは、二度とベルリオーズの頭に戻ってくることはなかったのです。
こうしてベルリオーズは、せっかく天から授かった素晴らしいアイデアを一つ失ってしまい、のちの時代を生きる私たちもまた、ベルリオーズの人間らしさ――優しい心ゆえに、たった一つの美しい交響曲を、文字通り歴史の闇へと永遠に失ってしまったのです。
「天才を家族への愛のために犠牲にするほど、彼は本当に英雄的だった。
――もしこれがワーグナーなら、どんなにつらい思いをしてでも、絶対にその交響曲を書き上げたことだろう。
そして、ワーグナーのしたこともまた正しかったに違いない」と、音楽家のロマン・ローランは語っています。
そんな、ベルリオーズがあまりの貧しさに苦しんでいた頃のことです。ヴァイオリンの天才であるパガニーニが、前触れもなく突然、二万フランというものすごい大金を、何の条件もつけずにポンとプレゼントしてくれたのです。
ベルリオーズが大喜びした様子は、彼の自叙伝のページをめくれば生き生きと飛び出してきます。
パガニーニがベルリオーズのことを「彼こそはベートーヴェンの真の後継者だ!」とみんなの前でハッキリ言っていたという事実が、この二万フランの贈り物にどれほど深い意味があったのかを物語っているでしょう。
苦悩の連続
ベルリオーズの人生は、まさに苦しみの連続でした。
その気まぐれな性格と純粋すぎる心のせいで――普通の常識ではとても同情してもらえないような――。
いや、あふれんばかりの情熱のせいだったと言った方が正しいかもしれません。
彼の作った音楽が人々にものすごい熱狂で迎えられたのは、大人の人生のほんの一瞬だけで、中年になってからの彼は、本当に惨めで不運なことばかりが続きました。
パリの人々は決してベルリオーズの音楽を理解しようとはせず、彼の作品はいつも外国――とくにドイツで大きな話題になったのです。
そこにはリストやシューマン、そしてワーグナーといった、彼の音楽をちゃんと分かってくれる素晴らしい理解者たちがいたからでしょう。
そして今でも、「ファウストの劫罰」という名曲を生で聴くためにはドイツに行かなければならない、と言われているほどです。
のちにワーグナーがベルリオーズと出会ったとき、思わずホッとしたように大きなため息をつきました。
「彼はついに、自分よりもっと不幸な人間を見つけた――」というエピソードを聞くと、私はベルリオーズのみじめさが、まるで目の前にあるかのように感じられてしまうのです。
四十五歳になったベルリオーズは、「私はもうこんなにおじいさんになって、すっかり疲れてしまった。
夢も希望も、何もかも失ってしまったんだ」と語っています。
彼が中年を過ぎてから作った作品に、あまり元気が感じられないのは、仕方のないことだったのです。
その後、ベルリオーズはスペインの歌手であるマリア・レシオと結婚しましたが、晩年になると自分のきょうだいや、最初の妻スミスソン、そしてスミスソンとの間に生まれた一人息子のルイまでも亡くしてしまい、すっかりひとりぼっちになってしまいました。
「自分はずいぶん苦しんできた。
でも今はもう死にたくないな。
自分にはちゃんと暮らしていけるだけのお金があるんだから」と言いながら、一八六九年三月八日に彼は静かに目を閉じました。
――やっと生活が安定したその時こそが、孤独だったベルリオーズの人生の最後の日だったのです。
ベルリオーズの音楽は、ダイナミックで明暗のはっきりした、とてもスケールの大きなものでした。
ロマンチックでありながら甘ったるさは少しもなく、当時としては誰も想像できないほどものすごい大人数によるオーケストラ曲作りに挑戦し、昔からの古い音楽の決まりを根本からひっくり返そうとしたのです。
物語の情景を描く「標題音楽」の世界では明らかにリストの先頭を走り、一つのメロディをずっと使い回す技法は、ワーグナーの「ライトモティーフ(示導動機)」よりも先を行っていたと言えるでしょう。
ベルリオーズは自由奔放で情熱的で、いつも自分の決まった道というものがありませんでした。
それは彼自身が、自分の生活や音楽のスタイルを上手にコントロールする方法を知らなかったからです。
「彼は美を信じておらず、自分自身をも信じていない」というのは、言い得て妙です。
「――しかし、彼の作品のほんの一かけら――たとえば『幻想交響曲』のほんの一部分でさえ、彼が生きていた当時のフランス音楽全体のどの作品よりも、はるかに多くの天才的なきらめきを放っているのだ」。
「彼より上の順位につけられる音楽家なんて、世界に四、五人しかいない。
バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、ヘンデル、そしてワーグナー」と、こう語るのは、決してロマン・ローランの母国びいきばかりだとは言えないのです。
ベルリオーズの作品とそのレコード
ベルリオーズのレコードの数は、とても少ないです。
彼の曲は色鮮やかで優美で、すごく興味深いものばかりなのですが、その一方で、一般の人が気軽に親しむにはちょっと難しい一面を持っているからです。
彼の音楽は、あまりにもスケールが大きすぎたせいで、当時の人々の耳には少し大きすぎて届かなかったのかもしれません。
「ベルリオーズの音楽が本当に人々に理解されるのは、ワーグナーよりも半世紀(五十年)遅れるだろう」というのは、まさにその通りの名言です。
幻想交響曲、その他の管弦楽曲
このベルリオーズの代表作のレコードとしては、モントゥー、マイロウィッツ、ピエルネ、ワルターという有名指揮者たちがそれぞれ指揮した、全部あるいはそれに近い演奏のレコードが四種類ほど出ています。
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