あわてさえしなければ、この少女の優れた頭脳は、難関を切り開く鍵となるはずです。
「そう言えば、ここへは水が来そうもないね」と健一。
「隧道の入り口からは、元の通り入っているでしょう。きっとどこかへ水が抜けるんだわ」
燿子は懐中電灯を振り照らして、足元の水の中に二、三歩降りて行きました。
「お兄様、大きな分かれ道があってよ」
「どれどれ」
健一も綾子も水の中へ入って行きました。
燿子の指さす方を見ると、恐ろしい勢いで隧道の入り口から入ってくる大量の水が、広間の前で一度淀んで、右手の大きい分かれ道へ静かに、静かに流れて行っているのです。
「行ってみようか」
もう躊躇などしていられません。
隧道から入ってくる水の勢いは少しも衰える様子はなく、広間の広さには限りがあるうえ、八百年来淀んでいた空気は、三人の人間が入ったことで次第に濁り、息苦しくなる胸にも、弱っていく蝋燭の灯にも、それがよく分かります。
「お兄様、行きましょう」
そこから二十メートルばかりは、かなり激しい水勢に押し流されるようにして、三人は胸まで浸かりながら進みました。
健一は銅板を頭の上に載せて、片手に高々と蝋燭を掲げ、懐中電灯を振りかざした綾子がそれに続き、一番最後は燿子が、これも懐中電灯を持って覚束ない足取りで進みました。
「石があるぞ、――左は深いぞ」
健一は時々そう言いました。
牛の歩みのように、また十メートルばかり進んだときです。
「あッ!」
健一は思わず足を踏み滑らせて、水の中に倒れました。
急に深くなっていたのです。
水泳の名選手はすぐ起き上がりましたが、蝋燭はどこかへ流されてしまった様子です。
「お兄様、背が立たないわ!」
「泳いで来い!」
綾子も燿子も少しは泳げますが、靴を履いて着物を着ているうえに、懐中電灯を濡らさないようにと思うと、大苦戦です。
「あッ!」
激しい大きな波――急に隧道の入り口でも崩れたのでしょうか、あっという間に二人の少女は水に呑まれて、懐中電灯を取り落してしまいました。
四方は塗りつぶしたような闇です。
「どうした、綾子さん、燿ちゃん!」
健一は大声で怒鳴りました。
「ここよ、お兄様」
「私はここよ」
幸い綾子も燿子も浅いところへ這い上がった様子ですが、蝋燭も懐中電灯も取り落してしまい、鼻をつままれても分からないほどの闇です。
左右はくり抜かれた岩、前も後ろも水。その水勢が、隧道の口が大きくなったせいか、次第に激しくなるばかりです。
「お兄様」
「綾子さん」
「燿ちゃん」
三人は探り寄って、闇の中で手を繋ぎました。
その時、北上川の堤防の上では、雲間から漏れた月の光に照らされながら、せっせと堤防を壊して、いやが上にも隧道の口へ水を落とし込んでいる者の姿がありました。
健一、綾子、燿子はどうしたら助かるのでしょうか。水の中に射す――青白い微光
平泉館の秘密を探るため、北上川の川底にある隧道(トンネル)へ入り、水中宮殿の絵図面が刻まれた銅板を手に入れた立花博士の遺児・綾子と、その友人である燿子、そして燿子の兄で有名な水泳選手である翠川健一少年は、何者かによって突然堤防を決壊させられたせいで、逆巻く激流に押し流され、真っ暗闇の隧道の中で九死に一生を得るという危機に瀕していました。
「しっかりしろ、燿ちゃん、綾子さん」
二人の少女を両腕で抱え、胸まで浸かる奔流の中で、翠川健一少年は必死の奮闘を続けました。
「お兄様、どうなってしまうんでしょう」
普段は一番明るく、一番頭の回転が速い燿子も、こんな状況に陥ると、口数が少なく悲しげな綾子ほどの落ち着きもありません。兄の肩に必死にしがみつき、次第に増してくる隧道の中の水位ばかりを気にしています。
「燿ちゃん、そんなに心配しちゃいけない。僕がついているじゃないか」
健一は隆々とした肩をいからせ、力強く言い切りました。日本の選手権をいくつも制している水泳の名手、翠川健一は、こんな時こそ誰よりも頼りになる少年でした。
三人は激流に押し流されそうになりながら、さらに二十メートルほど進みました。その間に、何度も足をすくわれて水の中に倒れ込んだり、恐ろしいほど深い穴に落ちて、あやうく水を飲み込みそうになったりしました。
何より困ったのは、トンネルの中の水位がどんどん上がり、顔を出しているのが精一杯なうえに、空気がどんどん悪くなっていくことでした。流れ込んでくる水の勢いは少しも衰える気配がないのですから、このままもたもたしていれば、三十分もしないうちに三人とも窒息するか溺れるかして、助かる見込みは全くありません。
「もう一歩も進めない。隧道がいっぱいだ」
健一は思わずそう口にしました。頭が隧道の天井に当たっているのに、水はすでに顎を越して口に入ろうとしています。
「お兄様」
「引き返すか、別の道を探すんだ」
健一は思い切りよく踵(かかと)を返しました。
「そんなこと、できないわ!」
燿子は驚いて兄の首にすがります。ここまでたどり着くのに味わった苦難をもう一度繰り返すのも大変ですが、それ以上に、引き返したところで他に通り道があるはずもなかったのです。
「でも、このままでは進めないぜ」
健一ほどの腕前があっても、隧道いっぱいに奔騰する水には、どうすることもできませんでした。
「あれは何でしょう? ――水の中にほんの少し、薄明かりが射していませんか」
綾子は健一の腕を引っ張り、今まで進んでいた前方を見せました。
「おかしいな」
水面すれすれに目を近づけると、前方の水の中に、薄青い光がほんの少しですが、ぼうっと射し込んでいます。
「今夜は月が出ていたかしら」
燿子がいきなり突拍子もないことを尋ねます。
「満月は三日ほど前だったから、今頃はちょうど月が出る時間かもしれないな」と健一。
「それなら、きっと月の光よ! ――ここは隧道の出口なんだわ。今まで知らずにいたけれど、月が出て水に反射したから、あんなに薄明るくなったんじゃないかしら」
燿子はようやく、その素晴らしい頭脳を働かせ始めました。
生か死か――水を潜る三人
「僕が行って見てこようか」
健一はもう潜る準備を始めました。何メートル、いや何十メートル潜る必要があるのか見当もつきませんが、今はそんなことを言っている場合ではありません。
「一緒に行きましょうよ、お兄様」
「危ないぜ、燿ちゃん。僕が水深を確かめて帰ってくるまで、ここで待っていたらどうだ?」
「だって、ここに長くはいられないのは分かっているでしょう? お兄様一人でうまくいくか分からないような状況なら、ここに残っている私たちだって助かりようがないじゃありませんか。ねえ、綾子さん」
「ええ」
それはまさに燿子の言う通りでした。健一一人で行って帰ってこられるくらいなら、三人でも行けないことはないはずです。逆に健一だけでも抜け出せないような場所なら、三人は死ぬより他に道はありません。
「よし、その気なら一緒に行こう。できるだけのことはやってみるが、僕の邪魔をしないようにしてくれ。
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