初級翻訳・海底の魔術師 第6話

江戸川 乱歩

それでは、家の外まわりを調べてみようということになり、三人の警官が塀の外の暗い町を歩いていると、向こうの方から恐ろしい勢いで駆け寄ってくる男の姿が見えました。
何者かに追いかけられているかのように、一目散に走ってくるのです。
「君、どうしたんだ」
不審に思って声をかけると、その男は三人の前で立ち止まりました。
「あ、おまわりさんですね。大変です。恐ろしいやつが、マンホールの中から出てきたのです」
息を切らして、また逃げ出そうとしています。どこか近くの店の店員らしく、ジャンパーを着た若い男です。
「君はいったい、何を見たんだ」
「化け物です」
それを聞くと警官たちは、この男はもしかして賢吉君を襲った怪物に出会ったのではないかと思い、あわてて尋ねました。
「そのマンホールっていうのは、どこだ」
「あそこです。この町の角を曲がったところです」
警官たちはそこまで聞くと、「よしっ」と叫んで、いきなりその町角へ駆け出しました。角を曲がると、すぐにマンホールが見えました。しかし、別に怪しいものも見当たりません。マンホールには、ちゃんと鉄のふたが閉まっています。
「おい、このマンホールかい。何もいやしないじゃないか」
おずおずとついてきた若者に尋ねますと、男はさも怖そうに指さしながら言いました。
「それです。そのふたがスーッと持ち上がって、中から恐ろしい化け物が出てきたのです」
「恐ろしい化け物って、どんなやつだった?」
「牙が生えていました。それからウロコが生えていました。目がリンのように光っていました」
やっぱりそうでした。賢吉君を襲った怪物です。
「そいつはマンホールから出たのでなくて、マンホールへ逃げ込んだのかもしれないぞ」
警官の一人が、さすがに気味悪そうに目の前のマンホールのふたを見ました。
「よし、それじゃ調べてみよう。手を貸したまえ。そして君はピストルを出して構えていてくれ。危険と見たらぶっ放すんだ」
三人の中で先輩らしい警官がそう言って懐中電灯をつけると、マンホールのふたのそばにしゃがみ込みました。もう一人の警官が、それに手を貸します。残る一人は腰のサックからピストルを抜き出し、いざという時には発射する身構えをしました。
「そら、いいか」
二人の警官が力を合わせて、マンホールの鉄のふたを開けて脇にのけました。穴の中は真っ暗です。懐中電灯の光が、さっとそこを照らしました。その中に、鉄のウロコの怪物がうずくまっていたのでしょうか。
いや、そうではありません。中は空っぽだったのです。警官たちは拍子抜けしてしまいました。
「なんだ、何にもいないじゃないか」
それは下水のマンホールでしたが、細い下水道ですから、そこから下水をつたって逃げることはとてもできません。怪物は一時マンホールの中へ隠れて、それからまた逃げ出したのでしょう。さっき店員の見たのは、やっぱり出てくるところだったのでしょう。この店員は賢吉君と同じ怪物を見たのです。二人も見た人がいるからには、もう夢や幻とはいえません。捨ててはおけないのです。
そこで警官は電話でこのことを本署に知らせ、本署から警視庁に連絡しました。それからは大変な騒ぎです。パトロールカーが三台もやってきました。警視庁や警察署から何台も自動車が来ました。それに新聞記者たちです。賢吉君の家は臨時の捜査本部となって、門の前には十何台もの自動車が並び、近所の人たちが「何事か」と集まってくるものですから、たちまち黒山の人だかりです。
何十人という警官による大捜索が始まりました。その近くの家という家は片っ端から調べられ、町という町は警察の自動車が巡回し、非常線が張られ、アリの這い出る隙間もない捜査の網が敷かれました。
しかし、明くる朝になっても、どこからも怪しいものは発見されませんでした。鉄の人魚は、煙のように消え失せてしまったのです。その翌日の新聞は、鉄のウロコの怪人の記事でいっぱいでした。賢吉君の家の窓の敷居に残った爪の跡と、庭の大きな動物の足跡が、写真になって新聞に載ったのです。日本全国の人がその新聞を読んで、震え上がってしまいました。そして人が集まれば、この恐ろしい怪物の話でもちきりでした。

大金塊

賢吉少年は、その明くる朝、警察の人たちが引き上げていくのを待って、そっと庭へ出ました。庭の石の下に隠しておいた、あの小さい鉄の箱を調べてみるためです。昨晩の怪物が、あの鉄の箱を奪っていったのではないかと、賢吉少年は心配でたまりませんでした。
急いで庭へ出て、目印の石を持ち上げてみます。ああ、よかった。
鉄の箱は、ちゃんとそこにありました。
元の場所に、そのまま残っていたのです。
賢吉君は、もう自分ひとりでこの箱を隠し持っていてはいけない、と思いました。
そこで箱を取り出すと、大急ぎで家の中へ駆け込み、お父さんに見せました。そして、このあいだの夜、神社の森で格闘があったとき、顔じゅうにヒゲが生えた汚いおじさんにこの箱を預けられたこと、そのおじさんは「もし俺が死んだら、この鉄の箱を川の中へ捨ててくれ」と言い残したこと、でもおじさんが警察病院で亡くなってからも、どうしても捨てる気になれなくて、庭の石の下に埋めておいたことを、くわしく話しました。
お父さんは鉄の箱を手にとって開けようとしましたが、どうしても開けることができません。
書生の戸田君もやってみましたが、やっぱりダメでした。
そのとき、賢吉少年はふと思いついたように、声をはずませて言いました。
「いい考えがあります。この箱を明智探偵事務所へ持っていって、ぼくらの少年探偵団の小林団長に見せましょう。明智先生の知恵を借りれば、きっとこの箱の秘密がわかるはずです!」
「うん、それはいい思いつきだ。戸田君に送ってもらって、いつも呼んでいるハイヤーに乗って行くといい。運転手さんと戸田君、ふたりも護衛がいれば大丈夫だろう。それに昼間のことだしね」
お父さんも賛成してくれたので、まず明智探偵の事務所へ電話をかけました。すると明智先生も小林少年も事務所にいることがわかったので、顔なじみの運転手の自動車を呼び、賢吉少年は鉄の箱を大事に抱えて、書生の戸田君と一緒に乗り込みました。
事務所に着くと、小林少年が出てきてふたりを応接室へ通してくれました。
賢吉君から話を聞き、小林少年は鉄の箱を手にとっていろいろと試してみましたが、彼にも開けることができません。
「ちょっと待っていてくれたまえ。明智先生にこの箱を見せてくるから」
小林少年はそう言って箱を持ってドアの外へ出ていきましたが、十分ほどすると、明智先生と一緒ににこにこしながら戻ってきました。
「先生は、わけなくお開きになったよ。ほら、こうするんだ。箱根細工の秘密箱と同じだよ。から草模様の、ここのところを押すんだ。すると、こちら側が開くようになる。それからここを押すと、ね。二、三度同じことを繰り返せばいいんだよ。そうすると、すっかり開いてしまう。だが、それよりももっと大変なことがあるんだ。この箱の中には、何十億円という素晴らしい値打ちのものが、入っていたのだよ」
小林少年の説明に賢吉君がびっくりしていると、明智探偵が椅子にかけて、にこにこしながら話しはじめました。

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