初級翻訳・海底都市 第20話

海底都市

数条の、きちんとした間隔で直線的に並んでいる標識灯が、モニター画面の中で美しく輝いている。

やがて、その標識灯の行列が消えた。

「海中へ出たぞ」

博士が言った。なるほど、そのようだった。海底都市の建物から離れて、深海へと向かっている。異様な形をした魚の群れが、こちらへどんどん近づいてきたかと思うと、ぱっと花を散らすように上下左右へと飛び散った。海中には、うす青い光が満ちていた。また、海底の丘などは白っぽく輝いている。緑や茶色の海藻は透き通って見え、魚の群れが近づくと、まるで嵐に遭ったかのような格好で踊り狂った。

僕はふと博士のことが気にかかり、画面から目を離して、横を向いて隣席の博士の様子をうかがった。カビ博士は、一心不乱に計器を見ながら操縦をしている。僕は髭もじゃの博士の横顔をしばらく見ていた。それは、かねてから僕が抱いていた疑問に、十分に答えてくれているようだった。

「ねえ、先生。……いや、辻ヶ谷(つじがや)君」

僕はついにそれを口にしてしまった。そう言ったときの博士の驚きはどんなものだろうかと、僕は喋るよりも前から興奮の絶頂にいたのだが、博士は僕の期待に反して冷然としていた。そして、いつもの調子の声で言った。

「君は、今頃になってそれに気がついたのかね」

   奇妙な再会

「ああ、本当に君は辻ヶ谷君だったのか。あの、君が二十年後の辻ヶ谷君で、そしてカビ博士なのかい」

そうとは思っていたにせよ、カビ博士がこうして素直にそれを認めたとなると、僕は新たな狼狽(ろうばい)に陥らずにはいられなかった。学友だった辻ヶ谷君は、今もあの東京の焼け野原にいて、時間機械を守りながら計器を読んでいるものとばかり思っていたのに、こうして僕のそばに何日も一緒にいたとは、全く思いがけないことだ。

「君の言うとおりじゃ。ミドリモ君」

ミドリモ君? 僕はそう言われて、博士の顔を見直した。

「ミドリモって、なんだい。君が今言ったミドリモ君というのは」

「知らないのか、それを。君の頭はまだまだ十分に回復していないらしいな。ミドリモというのは、君の名前なんだ」

「冗談じゃないよ。僕にはちゃんと、本間良太(ほんまりょうた)という名前がある」

「ふふん。それがミドリモと改名されたんだよ。ちょうどわしが、辻ヶ谷からカビに改名したようにね」

博士は不思議なことを言った。

「本当かい。なぜそんな改名をしたのか」

「名前というものは、昔から親がつけたものだ。しかしそれはやめて、名前は自分でつけることに法令が改められた。それと同時に姓もやめることになり、今は誰でも名前だけになったんだ」

「なぜそんなことをしたんだろう」

「わしは知らない。」「法令だ」

法令によって、そんなことを決めなければならない理由がどこにあったのだろうか。僕はそんな問題について、カビ博士と長々と議論する気にはなれなかった。しかし、その時抱いた印象として、この理想的で自由な都市に見えるこの町にも、なにかカビのようなものが生え始めているのではないかと直感した。果たしてこの直感が当たっていたかどうか。

それはさておき、カビ博士が学友の辻ヶ谷(つじがや)君と同一人物だと分かった今、僕はそれまで感じていた窮屈さを一気に肩から降ろすことができた。それと同時に、彼にいろいろと問い詰めたいことが山のようにあるのを感じ、どこから聞き出せばいいのか迷うほどだった。

「とにかくミドリモ君。君は興奮しないように、極力気をつけたまえ。君がこの際、興奮して頭がカーッとなってしまうと、えらいことになってしまうからね。昔の言葉で言うなら、それは君が自爆するようなものだ。だから気をつけて、それを避けたまえ。極力、興奮しないようにするんだ。聞きたいこともあろうが、それは後日、ゆっくりしたときに聞き出すことにすればいい」

と、カビ博士は一生懸命に僕をなだめるのであった。

「それよりも目下の大問題は、さっき少し話したが、われわれの海底都市が外部から何者かによって狙われているらしいことだ。彼奴(あいつ)は、われわれの海底都市を破壊し、この平和な住人たちを皆殺しにしようと思っているのではないか。果たしてそうだとしたら、彼奴とは一体何者だ。――それを早いうちに突き止めねばならぬ。そこで君の力を借りたいのだ」

「それは大変な事件だ。しかし、僕にどんな仕事が務まるというのかね。僕は君の言うところでは、少し頭が疲れていて、カボチャ頭らしいんだが、それでも役に立つのだろうか」

僕は、いささか皮肉な言い方をした。

「いや。それがね、君でなくちゃならないことがあるんだ。とにかく、あそこに見える海底の丘の陰へ、このメバル号をつけて、ゆっくり話をするとしよう」

カビ博士は、下方に見える乳房のようにこんもりと盛り上がった白い丘陵へ向けて、舵を下げた。艇は緩やかに曲線の軌道を描いて、水中を降下していった。

「わざわざこんなところまで出かけないと、話ができないのかね。そんなわけがあるのかい」

僕は聞いた。

「そうなんだ。町では、こんなことはうっかり喋れないんだ。恐ろしい相手が、到るところに秘密のマイクを仕掛けてあるし、そのうえに、怪しい人物がうろついているんだからね。この間も、博物標本室の、象の剥製(はくせい)の中から、のこのこと出てきた諜者(スパイ)がいたからね。わしの教室だって、決して安全な場所ではないんだ」

そう言うカビ博士の顔には、いつにない不安の色が漂っていた。

「深海底なら大丈夫というわけかね」

「うん、多分大丈夫だろう。しかし、ここも絶対に安全とはいえないんだ――ありゃりゃ、これは大変だ、逃げよう、力いっぱい!」

何に驚いたのか、カビ博士は急にアクセルを入れて、艇に最大速力を与えた。飛ぶ、飛ぶ。海底の丘を飛び越して、艇は必死に飛んで逃げる。

恐怖の陰謀者

カビ博士が、あんな真剣な顔つきになったのを、今までに見たことがない。博士は操縦席で、長髪を逆立て、目を皿のように見開いて、全速力のメバル号の速度をもっともっと上げようと努力したのだ。メバル号は流星のように深海の中を駆け抜けた。もはや海底の果てまで来たのではないかと思われる頃、それまで石像のようだった博士は、やっと体を動かし始めた。

「あああ、驚いた。さっきはもうダメかと思った」

博士はそう言って、ハンカチで額の汗を拭った。

「どうしたんだね、君をそんなにびっくりさせたのは……」

と、僕は尋ねた。何者か強敵に追いかけられたらしいことは察せられたが……。

「姿を見せたことのない陰謀者だ。さっき君に話をしたばかりの、例の陰謀者だ。ぐずぐずしていれば、殺されるところだった。逃げることができたのは、非常な幸運だ」

博士は、まだ興奮している。僕は博士の言葉の中に、辻褄(つじつま)の合わないものを見つけた。

「君、姿を見せたことのない陰謀者と言ったが、姿を見せたことのないものなら、君にも見えるはずがないじゃないか」

「その通り……」

「それなら、君がそれを見つけたようなことを言って、逃げ出したのがおかしいね」

「違うよ。かの陰謀者どもは今までに一度も姿を見せていない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました