初級翻訳・海豹と雲 第2話

北原 白秋

光り輝く、
氷柱(つらら)の神。
犬は噛みつく。
月のかげを噛みしめて、
かりかりと音を立てる。

【木蘭吟(もくれんぎん)】

木蘭よ。
私は語ろう。
さかずきは、私の子供のようなもの。
木蘭よ。
酒、酒、酒。
酒は私の、いとおしい和魂(にぎみたま)。
木蘭よ。
また語ろう。
太陽こそが私の父。
木蘭よ。
月はまた、母。
木蘭よ。
山の木蘭よ。
木蘭よ。
空は私の神。
木蘭よ。
私は歌そのもの。
木蘭よ。
私は飲もう。
酒を。
また、酒よ、酒よと。
木蘭よ。
深めよ、お前の春を。
木蘭よ。
琥珀色の、
私の酒よ。

【早春】
【香取神宮】

マキの木のこずえに、青サギが
群れて巣を作っている、その静けさよ。
空のはるか彼方を、太陽の光の輪(日暈)が
形を作りかけては、消えてゆく。

【白き花鳥図】
【水禽(すいきん)】

まるで一片の
蓮の花、浮かぶ舟のよう。
息づかいも荒く、黄色いクチバシを
尾の方へ反らせた、白い水鳥。
楚々として、後ろを向く
細い首の、その長さ。
目の聡明さ、悩ましさ。
七月、八月の頃。

後ずさりする水かきは、
少し乱れて。
川のうねり、とどまることなく、
また淀んでは。
(たさよ、はてなさよ、)
ああ、水鳥よ。
紫よ、
雲は午後のもの。
くわうくわうと声を放ち、
月に対して鳴く。

【奉悼曲(ほうとうきょく)】

冷えとおる白い鳥。
翼を打つこともない。
凍りついた白い花、
今朝、姿は見えない。
十善の尊い位に
君はいらっしゃるのだから。
またいつか、見守ってくださるだろう、
冬の日の、白い花鳥図を。

【白鷺(しらさぎ)】

白鷺は、その一羽で、
睡蓮の花を食み、
水を食み、
こうこうと輝くようである。
白鷺は気高く、
身が細く煙るようだ、
冠羽(かんむりげ)が払子(ほっす)のように揺れる白さ、
ひらりと、空に舞う。
白鷺はまばたきもせず、
日をあさり、自分自身で鳴いている、
幽かである、片方の足で
蓮の実を超えて立っている。

【白牡丹(はくぼたん)】

白い牡丹が、大きな籠に満ちあふれ、
照り重なる内側の紫。
豊かである、花の香りの奥で、
とどろきが響いた、静かな春の中に。
蝶は超えてゆく、この現実から、
うつらと舞うヒゲの長い影。
昼は闌(たけな)わ。
花びらの外で、
嘆くまい、雲のあふれる驕りを。
白牡丹は、宇宙そのもの。
また薫る、ひたむきな白。
この座に、ふたつとない、ただひとつ。
位のみ。
ああ、香りだけが満ちている。

【辛夷(こぶし)】
【唐画】

黄鳥(こうちょう)は辛夷に触れる。
辛夷こそは深山の妃、
清らかで白い手の指、
『開け、指よ。』
黄鳥は歌う。
黄鳥は萌黄色の翼で、
飛び移る、金星の皇子のように、
『過ぎ去れ、雨よ。』
ガクをつつく。
霧雨の朝明(あさあけ)の辛夷、
雫を落として、
ああ、雫して、
声もない白い声で燃えあがっている。

【白】

目覚ましいもの、それは花辛夷、
白き胸毛の百千鳥。
夏は岩の根に咲く白牡丹、
白光を放つ番(つがい)の鳩。
秋は月夜の白樺、
白き鹿が立つ杣(そま)の霧。
ひらりと飛びゆく雲は冬、
鶴に身を借りた幻術師。
何かが座している、山の秀(ほ)に、
雪の気韻は澄みのぼる。

【柳鷺(りゅうろ)】

サギは棲む、正身の
白き聖者。
しだれ落ちる雪のような柳に
少し燻(くす)んで。
つくづくと、見つめる先は
水、枯れた葦、

まさしく冬である。
白一色。
サギは棲む、羽衣をまとい、
笠をかぶった翁のように。
いよいよ、薄墨の
空を飛ぶものよ。

雀かと思い、目をそらし、
また眺めることもない。
何も言わず、舞うこともなく、
日が暮れゆく。
サギは燃える、白毫(びゃくごう)の
明るい眉間。

【和み(なごみ)】

和(なご)やかな魂、
それは童(わらべ)。
香りに和む
影の、野茨(のいばら)よ。
日の文(ふみ)よ、
そよかぜよ、ただ。
なづさわず、
行き過ぎることもなく。
かげろうよ、
さざなみよ、ただ。
水の紋、
幼い息づき。
匂うのみ、
揺らぐのみ、ただ。
無為(むい)よ、ああ、
白き水鳥。
遊ぶのみ、
潜るのみ、ただ。

【鮎鷹(あゆたか)】

鮎鷹は多摩の千鳥よ、
梨の実の雫(しずく)を切る口元、
ちちら、ちち、
白く飛ぶことよ。
鮎の子は澄んで走り回り、
調布の瀬の上下、
砧(きぬた)を打ち、
砧を打つことよ。
鮎鷹は初夜に目が冴え、
夜をひと晩中、狩りをする。
ちちら、ちち、
鮎の若鮎よ。
水の色、香る泡、
眉を引いた幼い月夜を
ああ、誰か、
影にうかがっている。
(注 多摩川のほとりには梨畑多し)

【蓮の実】
【唐画】

夏は良い、
君がいる水のほとり。
皆が涼しげ、
石の、濡れた色。
白い蓮が
半分くずれて、

カワセミが
狙いを澄ますと、

早くも、そよぐ
蓮の実の芯。
折れ曲がる
影の、一茎。

【鵲(かささぎ)】
【唐画】

鵲の集まるところを見れば、
黒い羽や、尾の白い鵲。
車前草(おおばこ)の花に粉は吹き、
夏はゆく、野の照り。
現実離れした、銀河の真昼、
流れゆくのは霞だけだろうか。
うらがなしく、穏やかながら、
こもっている、風もそこかしこに。
老いやすい、この草深い野には、
鵲が何羽いようとも。
揺れやすい、何羽いようとも、
黄色い、クチバシの、そよろ化粧毛。

【珠数かけ鳩(じゅずかけばと)】
【唐画】

珠数かけ鳩はむきむきに
落ちた杏をつついている。
湿りがまだ乾かない土の上に、
杏は赤く、そこかしこに。
珠数かけ鳩の健気(けなげ)さ、
足で拾い上げる。
飛び飛びに。
空には杏の葉が匂い、
羽根には雫の色が涼しい。
珠数かけ鳩は行き過ぎて、
赤い杏につまずいた。

【鳩】
【元画】

鳩である、良い紫、
両足よ。
良い桃色、
水盤の縁で、ああ、
うつむいている、法師の頭。やわらかく、かがやいて。
尾は立てない、雪の斑(まだら)の矢羽根模様。

鳩だ、良い紫。
静けさよ、その佇まい。
水の輪が織りなす紋様。
くちばしを、
くちばしを、
くちばしを触れ。
聴くともなく、春の雷。
鳩だ、良い紫。
昼時だ、この静寂。
突き入れない、
ああ、突き入れられない、瞳を、
水に、
水に、水に、水に。
夜明け。

【印度画趣】

白いサギが、空で戦い、
雨が激しく降り注ぐ。
季節は夏、青い夜明け。
雨がもうもうと降り注ぐ。
早くも空しい、あの蓮の花の色。
二つの塊、夢のような雲。
ひっくり返せ、地軸はめぐる。
恐ろしい銀と緑の中で。
白いサギが空に連なって飛び、
雨がもうもうと降り注ぐ。

【雀と雪】

陽の光は薄く、
庭の雪は、
凍りついて、
こわばっている。
厳しいのは、
冬の冴え。
木陰も、
貧しげに。
足跡よ、
誰がつけたものか、
雪の窪みは、
もう光らない。
いっそう急ぐ、
声よ、ただ、
ひとりでついばむ、
その窪み。
雀だ、
煤けた姿の。
目についた、
目を離せない。

【二月】

息もつかせず、
冬のひばり、
さえずりは、
短くて。
氷の張った、
川の上、
ぴしりと割れる、
氷の欠片。
とりどりに、
子供たちは行く、
消えかかる、
雪を、田を。

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