初級翻訳・火星兵団 第117話

海野 十三

ところが今はすでにその時刻を過ぎているのに、地球は変わらずきらきらと天空に輝いているのです。
なんと信じられない奇跡的な出来事でしょうか!
「ああ、夢を見ているんじゃないだろうか……」
 新田先生はうめくように言いました。
千二も、地球はもう絶対に粉々になってしまうものとばかり思い込んでいたので、こうして地球が何事もなく輝いているのを見ると、まるで夢のなかにいるような心地がしてなりませんでした。
そのとき、蟻田博士がしみじみとした声で言いました。
「実に大変な幸運だったと言うほかはない。
モロー彗星は本来なら地球に正面衝突するはずだったのだ。
ところが、思いがけないことが起きた。
それは、モロー彗星が地球に衝突するまさにその直前に、月がモロー彗星の方へ引き寄せられるように近づき、お互いに引き合い始めたのだ。
だからモロー彗星は、地球のすぐそばまで来て、あと一歩でぶつかるというその寸前で、月の引力のために軌道が曲げられてしまったのさ。
おかげで地球は、間一髪のところでモロー彗星との衝突を免れることができたのだよ。
どうだ、これで分かったかね」
「なるほど、なるほど……!」「そんなうまい話があるものなんですね」
「ははあ、それは驚いたなあ」
 月が、地球を守ったと言えるではないか。
「じゃあ、博士。
地球に住んでいる人たちには、何事もなかったのでしょうか」
「さあ、それはどうかなあ。
きっと月の軌道もいつもと変わってしまっただろうし、モロー彗星とすれ違うときには、台風の何十倍も大きな大風や大雨が吹き荒れたり、地球の磁石の力が狂って思いがけない出来事が起きたりして、地球の人々はびっくり仰天したことだろう。だけど、こうして外から見たところでは、地球は変わらずきらきらと輝いているのだから、そんなに心配しなくても大丈夫だと思うよ」
 月が地球をモロー彗星から救ったとは、なんて美しい話なのだろう。
まるで戦場で、愛馬が主人の兵士を敵の弾丸から身を挺して救い出したようなものではないか。
蟻田博士を真ん中に、千二と新田先生は、きらきらと光り輝く地球の姿をじっと見つめたまま、その場から動こうともしなかった。
そのとき、千二が少し恨めしそうな声で尋ねました。
「博士は、地球があぶないところを救われたってことを、前から知っていらしたんですね」
 すると、蟻田博士は首を横に振って言いました。
「いや、地球が無事だとハッキリ確信したのは、たった今この目で夜空に地球の姿を見上げて、はじめて安心して分かったことなんだよ」
「でも、さっきの博士は、まるで前からそれを知っていたような話し方でしたよ」
「ああ、あれかい。
あれはこういうわけさ。
もし地球とモロー彗星が宇宙で本当にぶつかっていれば、火星にいる私たちにも何かものすごい揺れが伝わるはずだし、宇宙に大きな閃光が広がるから、火星の中でも大騒ぎが起きるはずだ。
だけど、衝突の予定時刻を過ぎてもそんな様子は一切なく、あたりがあまりにも静かだったものだから、わしは『もしかしたら月が少し変な動きをしていたことと関係があるのでは』と思い合わせて、『ははあ、これは地球がうまく危険な目をのがれたんだな』とピンときたのさ。
それだけのことだよ」
 蟻田博士の予想はほとんどその通り的中していたが、月の引力が割り込んでくるという点だけは、少し予想外の出来事だったのである。
しかし、地球が無事に危機を脱したことは、まるで神様が守ってくださったとしか言いようがない奇跡だった。
「……地球は衝突から救われた。
だけどこれからは、火星人と競い合っていかなければならない。だから私たち地球の人類は、今まで以上にしっかりと勉強をしなければ、大宇宙のリーダーの座を火星人に奪われてしまうぞ。
勉強だ、一生懸命の勉強が必要だ!」
 蟻田博士は力強くこぶしを握りしめながら言いました。
千二も先生も、しっかりと力強くうなずいたのでした。

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