初級翻訳・石ころ 第3話

山本 周五郎

多田家は美濃の国から出て武田氏に仕えた家系であり、秋山家は武田家の代々の重臣でしたから、縁談はなんの障害もなくスムーズにまとまりました。
そしてその月のうちに、新蔵は新しく屋敷をもらい、そこで盛大な結婚式が挙げられました。
……いろいろと風評の絶えなかった二人の結婚は、まわりの人々をかなり驚かせましたが、いざ決まってしまえばごく当たり前の話となり、心配していたほどうるさい陰口も言われずに済み、その年も暮れて天正二年を迎えたのでした。

新蔵は無口な男でした。
中肉中セの体つきも、おっとりした顔立ちも、立ち居振る舞いも、すべてがきわめて平凡でした。
「きっと普通の人とは違う、尋常ならぬところがあるに違いない」
そう信じて嫁いできた松尾は、その平凡な姿の隠れたところを見つけ出そうと、ずいぶん注意深く観察していましたが、三十日経っても五十日経っても、何のひらめきも発見できませんでした。
それどころか、世間の評判を裏付けるような平凡な姿ばかりが目につくのでした。

ある日の午後。
夫の居間の掃除をしていたとき、上段に飾ってある鎧のそばに、白木の手箱のようなものが置いてあるのをふと見つけました。
何の気なしに開けてみると、中には綿が敷かれ、大切そうに石ころが五、六個ほど入っていました。
――いったい、なんの石なのだろう?
松尾は不思議に思って、よく見直してみました。
しかし、どう見直しても、ただの石ころでした。
それも、特に色が美しいとか、形が珍しいというわけでもなく、道端にいくらでも転がっているような、何の変哲もない石です。
ただ、その一つ一つに小さな字で何か文字が書いてあるので、松尾はそっとそれを手に取ってみました。
すると、いつの間にかうしろへ来ていた夫の新蔵が、
「ああ、それは遠江(とおとうみ)の二股城(ふたまたじょう)の石だよ」
と、やさしく教えてくれたのでした。松尾はびっくりしてふり返りました。新蔵はやさしく微笑みながらそばへ寄ってきて、「これは駿河の田中城の石だ、これは美濃の明智、これは三河の鳳来寺のものだ」と教えてくれました。
「では……本当にうわさは本当だったのでございますね」
いつか隠居曲輪(いんきょぐるわ)で耳にした噂を思いだしながら、松尾はいくらか責めるような口調で訊きかえしました。
「戦場から石を拾っていらっしゃるというお噂は、わたくし、根も葉もない陰口だと存じておりましたけれど……」
「いや、このとおり本当だよ」新蔵は平然と微笑んでいました。

四

松尾は夫の顔を見つめながら、いったいどういう意味でこのように戦場から石を拾っておいでになるのかと訊ねました。
「かくべつ、どういう意味ということもないな」新蔵は遠くを見るような目をしました。「強いて言えば、命を賭して戦った戦場の記念にという気持ちもある。だが、そういうことは別にして、おれは石が好きなんだ。石といっても、こういうありふれた、なんでもない平凡な石がね……。
世の中には、翡翠(ひすい)とか、瑪瑙(めのう)とか、紅玉とか、水晶とか、玉髄(ぎょくずい)とか言って、身分の高い人やお金持ちに大事に珍重される石もある。また、姿の珍しさや色の微妙さを愛されて、庭を飾ったり置物にされたりする石もある。むろん、そうした石にはそれだけの値打ちや良さがあるのだろう。けれども、見てごらん」
彼は小石の一つを手に取り、妻に見せながらゆっくりと続けました。
「こんな石は、どこにでも転がっている。いたるところの道端にいくらでもある。形も色も平凡で、これといった珍しさもない。しかし、よく見るとこいつは、実になんともいえずつつましい。自分を大きく見せようともしないし、気取りもしない。人に踏まれ、馬に蹴られても、おとなしく黙って転がっている。あるがままに、すっかり自分を投げだしている。おれは、この素朴さがたまらなく好きなんだ」
「それはそうでございましょうけれど、ただ素朴だというだけでは、いくら石だと言っても、世の中で役に立たなければ意味がないのではございませんか」
「そう思うかね」新蔵は穏やかに妻を見やりました。「しかし、こいつはこいつで、案外役に立つのだよ。道を作るときにも、家を建てるときにも、また城を築くときにも、土をしっかりと締め、土台石の下をかためるためには、こういう石はなくてはならないものだ。……城の石垣の下にも、家の下にも、道にも、そして石垣の間にも、人の目にはつかないけれど、こういう石が隅っこでじっとがんばっている。決して役に立たないなんてことはないんだよ」
そして彼は、手のひらにのせた石をしげしげと見つめながら、愛着のこもった声でつぶやくように言いました。
「おれは、この素朴さを自分の生き方としても学びたいと思うよ」

松尾には、夫の気持ちがおぼろげながらわかるような気がしました。
世間の評判は、あながち間違っていなかったのです。
夫が石の素朴さを愛するのは、まさにその人柄そのものでした。「この人には普通の人とは違う、尋常ならぬところがあるに違いない」と信じたのは、自分の思いすごしだったのです。
夫はうわさどおり、ごく平凡な人だったのでした。
松尾はだんだんと、その現実を受け入れるようになっていったのです。

……兄の万三郎はあまり訪ねて来ませんでしたが、父親の秋山伯耆(ほうき)は時折様子を見にやって来ました。
「どうだ、うまくいっているか」
「はい、おかげさまで幸せに暮らしております」
そんな会話のやりとりの中にも、新蔵に対する娘のひそかな失望がうかがわれました。
けれども父親はそれ以上何も言わず、「それは何よりだ、よく夫につとめを果たさなければならんぞ」とさとすだけでした。

その年の五月、ご主人さまである武田勝頼(かつより)は、二万余りの兵をひきいて甲斐(かい)を出立し、徳川氏の支城である高天神城(たかてんじんじょう)を攻めました。
高天神城は遠江(とおとうみ)の国小笠郡(おがさぐん)にあり、小笠原与八郎長忠(ながただ)を城主とし、大河内源三郎(おおこうちげんざぶろう)を徳川氏の監軍(かんぐん)として固く守られていました。
……この戦いには、多田新蔵も出陣し、松尾の兄である秋山万三郎も加わっていました。

勝頼が二万余りの大軍を動かしたのは、高天神城だけがめあてではありませんでした。状況次第ではそのまま三河(みかわ)まで侵入し、徳川氏の本拠地まで一気に席巻しようという大きな計画をもっていたのです。
五月三日に甲斐を発した武田軍は、同じく七日に相良(さがら)へ本陣をかまえ、十二日を期して攻撃を始めました。
勝頼は、父親の武田信玄がまだ生きていた元亀(げんき)二年に、いちどこの城を攻めたことがありました。
そのときは攻略に失敗しましたが、こんどはそのときの経験を活かすための万全の作戦をもっていました。
それは、穴山伊豆守梅雪(あなやまいずのかみばいせつ)を攻城の主将とし、馬場(ばば)や山県(やまがた)らを徳川氏の援軍への備えとして配置し、自分は本陣にあって全体を指揮するというものでした。つまり、高天神城の攻略と同時に、あわよくば徳川氏の本領への侵入をも決行するという、二つの面をもった作戦で臨んだのです。

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