これまでにも城中で二度ばかり見かけたことがあったが、背丈の小ぶりな、白面で、どこか陰気な青年のように記憶していたが、いまちょっと見たところでは、かなり肥えたようである。
「あとの二人は水野と大久保だろう」
「そうだ、先客も四人ばかりいる。その中の一人は右京大夫さ」
「御側用人か」
風呂舎で彼が「神田橋」と言っていたので、半之助はそう尋ねた。
松平右京大夫輝貞は、上屋敷が神田橋内にあり、御側用人を務めていたのだ。
「たいそうな顔触れじゃないか、こんなところで何が始まるんだ」
「定例会談だよ」主馬はあっさり答えた、「七日めに一回、この家で集まって会談をするのさ。顔触れはそのときどきで一定しないけれどね」
「――どうしてまた、そんなことを」
「おれなどが、というのか」
こう言って、主馬はふと箸を取った。
「今のうちにちょっとこいつを片づけよう。鮎の若竹蒸しというんだ。あとでまた珍味が来るからね」
山葡萄の古酒から始まって、出てくる料理がみな変わっているのには、半之助も驚いた。
鮎の若竹蒸しというのは、今年育った竹のひと節を割り、その中に鮎をまるのまま入れてあけびの蔓で巻き、外から藁火で蒸し焼きにするのだそうである。
それから、聞いたこともない山菜の浸しものや岩魚の田楽などが出され、次に焼いた肉の皿が出た。
「これはおれも初めてだぞ」
主馬が開き直って言うと、女の一人が半分は自慢げに、半分は気味悪そうに「鹿の肉でございます」と言った。
「冗談じゃない、いまの時節に鹿の肉が食えるものか」
「いいえ、冬に獲った若鹿の肉を、雪詰めにしておくのだそうでございます。召し上がってみてくださいませ、みなさん大変な珍重だと仰いますわ」
「仰るかね」
主馬は軽口を叩きながら箸をつけた。
半之助も食べてみた。
焦げ目のついた肉に、なにか果物を潰したような、甘酸っぱくてどろっとした汁がかけてある。
雪詰めにしたと言うだけあって、塩も振ってあるのだろう、かなり塩気がきいているが、肉の味は他の何とも比べようのない、香ばしい匂いと細やかな旨味を持っていた。
女中の説明によれば、それは野猪の脂を鉄鍋に溶かし、その熱で煎り焼きにしたのだという。
また掛け汁は、茱萸(ぐみ)と山桃の実を煮詰めて絞ったものだということであった。
「村田なら喜ぶだろう」半之助は食べながら言った、「彼は長崎へ行って来たし、あっちではこんなのをよく食べてるんじゃないのか」
するとふいに、なにか喉にでもつかえたかのように、主馬が激しく咳き込んだ。
「いやあ失敬、この掛け汁にむせちゃって」
彼は手拭いで口の端を拭い、脇を見ながらそう言った。それでなおさら、咳き込んだのがむせたせいではないことがよく分かった。
……半之助は少し白けたような気分になったが、その肉の味や珍しい調理法にすっかり興味を惹かれ、ぜひ村田平四郎に食べさせてやりたいものだなどと思った。
甘い砂糖漬けの杏子(あんず)が出され、お茶をいただいたあと、席を変えてまたお酒を飲もうということになり、二人はその座敷を立った。
「もうお腹はいっぱいだよ、とてもこれ以上飲めそうにないな」
「おつまみが変われば、まだまだいけるさ」
「まだ何か食べさせる気かい?」
「見せると言った証拠っていうやつのことさ、忘れたのかい?」
こう言って、主馬は何か意味ありげな目配せをした。
庭とは反対側にある、薄暗い中廊下を鍵の手に曲がって進み、二階へと上がって、六畳の座敷に入った。
主馬は案内してきた女中に何か小声で囁き、女中は頷いて「はい、空いております」と答えて去っていった。
「驚いたな。
青山がこんな家を知っているだけでも意外なのに、よっぽど親しくしているみたいじゃないか。いつごろからここに来ているんだ?」
「もう少しすれば、もっと驚くことになるさ。まあ、そこに座りなよ」
ほどなくして、三人の女中が酒と肴の膳を運んできた。
「無理に飲まなくてもいいけれど、形だけでも飲んでいるように整えてもらおう」
主馬はそう言って、半之助に盃を持たせ、いかにも楽しく飲み食いしているかのように膳の上を取り繕った。
「いったい、何を始めようっていうんだ?」
「なに、万が一のときの用心さ」
女中たちが酒や皿鉢を運び終えてしばらくすると、主馬が立ち上がって隣の座敷へ行き、何やら様子をうかがっていたが、すぐに襖の間から顔を出し、手招きをした。
「静かにしてくれよ」
半之助は言われるままに立ち上がってついていった。
そこは四畳ほどの長い納戸部屋で、窓などは一切なく、一方の壁の下に、掃き出し窓のような、長さ三尺(約90センチ)、高さ二尺(約60センチ)ほどの小さな切り穴があった。
ちょうど座ったままで覗き込めるくらいの高さで、主馬はその傍らに座り、「ここを見てみろ」と手招きをした。
襖をしっかりと閉め切ったその部屋は、真っ暗だった。
主馬が指し示すところを覗き見ると、その掃き出しのような切り穴の底が、斜めに一寸(約3センチ)ほど開くようになっており、そこから下の座敷の様子が見えた。
それだけでなく、一体どんな仕掛けになっているのか、下で話す声が、まるで耳のすぐそばで話しているかのように、はっきりとよく聞こえるのであった。
いつどこで聞いた話かは覚えていないが、世の中にはそうやって客にいかがわしい覗き見をさせるところがある、と聞いたことがあった。
おそらくこの穴も、元々はそうした目的で造られたものなのだろう。
しかし、主馬がいま半之助に見せようとしたものは、そうした浮かれた情景とは、およそかけ離れたものであった。
「上座に侍従がいるだろう、右京大夫、肥前守、それになんと……」主馬が小さな驚きの声をあげた。
「見えるかい? 吉里の右に座っているのは土屋だ、老中の土屋相模守だよ!」
「だって、土屋といえば反柳沢の……」
「俺にとっても意外だけどな……」
下の座敷から話し声が聞こえてきたので、主馬は手信号で「静かにしろ」という合図をした。
柳沢吉里を中心に、大久保長門守、土屋相模守、水野肥前守、松平右京大夫――いずれも幕府の重職にある者が四人、ほかに柳沢家の家老だという丸茂新左衛門と、どういう関係の者か中年の侍が三人いた。
――なるほど、これのことか。
半之助は、あの「証拠を見せよう」と言った主馬の言葉の、本当の意味をようやく理解した。
彼らの会話は断片的でその場では漠然としていたが、どうやら、将軍の世継ぎを排そうという密談らしい。
しきりに「甲府侯(こうふこう)」という名前が飛び交っていた。
甲府侯といえば、四代将軍・家綱の弟である甲府宰相綱重の息子であり、すでに次期将軍・綱吉の後継ぎとして定まっていた人物だった。
半之助のような身分にはもちろん詳しいことは分からないが、非常に頭の明敏な公子だと聞いており、自然と一部からは反感を持つ者もいるらしいが、全体としてはかなり大きな期待が寄せられていた。
世間の風評というのは気まぐれなもので、どこまでが真実なのかは分からないが、その甲府侯が反柳沢派の主動的な立場にいるということは、半之助もこれまでに耳にしたことがあった。
したがって、いま彼らが相談していることの意味も、かなりはっきりと推察することができた。
初級翻訳・山彦乙女 第14話
山彦乙女
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