おかげですぐに娘たちは後ろへと遠ざかったけれど、「タイメイ」さんは時々後ろを振り返りながら、ふいにニヤニヤして僕の顔を見上げ、「阿古村っていうところは、村の娘たちが宿屋へ遊びに来るんですよ」と言ったのだった。
やがてその辺りは、丘陵のしわが入り乱れて道は石ころだらけになり、両側は雑草と雑木林で、その間を深く切り込むようにして下っていく急な坂道になった。その坂を下り、ふと海の真上に出てきたのかと思うほど切り立った崖の縁を曲がったとき、前方に、それもすぐ目の下にその阿古村が現われた。
そこは島へ来て初めて目にする、いくらか平地らしい平地だった。もっとも東側は高い崖なんだけど、西方へ向かって開けた土地で、崖のふもとから海のぎわまで、低い瓦屋根の家々がぎっしりと詰まっていた。それらの家々は、強い西風を防ぐための石垣の間で、まるで身を縮こまらせるようにお互いくっつき合っているように見えた。
天気はよかったけれど、ちょうど今も西風が吹いていて、それほど強くはないものの、海から打ち付ける波のしぶきが、集落の端にある真っ黒な岩々の上を薄い煙のように這うように広がっているのが見えた。
神着の集落とは違って、ここでは家々もそれほど頑丈ではなく、どこか剥き出しの荒々しい空気が集落全体を包み込んでいるようだった。
大きな石を敷き詰めた道が、太陽の光を浴びてツヤツヤと光り、なんだか滑りそうな具合で町の中へと上っている。
しばらくして、僕たちはその石畳の道の方へと降りていった。
その夜、集落で結婚式があるというので、僕は「タイメイ」さんに連れられて見物に行くことにした。
宿屋の外へ出ると、そこはさっきの石畳の道だった。
そこを爪先上がりでのぼっていくと、上の方から人の影が三つ四つ下りてきた。
話し声からして、年配のおかみさんたちのようだった。
すれ違いざまに、彼女たちは首をのけぞらせるようにして僕たちをじろじろと眺めた。
その瞬間、ぴたりと話し声をやめて黙り込むのだ。
そして僕たちをやりすごすと急にまた集まって、夜道だからよくは見えないけれど、袖で喉元を隠すように前かがみになりながら、がやがやとおしゃべりしながら下りていくのだった。
また前方の暗がりから、誰かがやってくる。
すぐ近くまで来るまでは、それが男なのか女なのか、よく見分けがつかなかった。どの人影も、すれ違いざまにこちらの様子をじろりと盗み見るように見てきます。
あちこちの曲がり角や家の軒下などに、二、三人ずつ黒いかたまりになって立っている人影もあります。
そうした人影は、歩いていくにつれてどんどん多くなっていきました。
結婚式が行われる家のすぐ近くあたりには、そこら中の暗がりに、一人や二人の人影がいない場所などないほどでした。
みんなひそひそと小声で話しています。
ときどき大きな声が聞こえるのは、子どもたちがきゃっきゃっとはしゃぎ叫ぶ声くらいのものでした。
結婚式の行われている家は雑貨店らしく、店内には商品を並べた棚が見えました。
お店の中にはランプが一つだけぽつんと灯っていて、その明かりの下で、赤ら顔ですっかり太った男の人が袴(はかま)を着て座り、ときどき外の人影を意味ありげな笑みを浮かべた目で眺めていました。
その家の前にはちょっとした広場があり、火災報知用の半鐘(はんしょう)をつるした高いはしごが立っていました。
僕と「タイメイ」さんは、その石垣に背中をもたれかけさせながら、しばらくの間そこで待つことにしました。
お昼間に比べるとだいぶ風が出てきたせいで、肌寒いくらいでした。
僕はそのときになってようやく気づいたのですが、集落の道には街灯が少しもありませんでした。
そして、空の真上には、ぼんやりと光の輪(暈)がかかった大きな月が出ていました。
人々の顔がはっきりとは見えないながらも、どうにか集落の中を歩いてこられたのは、その月の明かりがあったからだったのです。
僕たちはかなり長い間待ちました。
今日は花婿が花嫁の家へ迎えに行く「婿入り」の日だということなのですが、肝心の行列は一向にやってきません。
いつの間にか、僕たちのまわりには十三、四歳くらいの女の子たちがたくさん集まってきていました。
だけど、女の子たちは決して自分から私たちの前へは近づいてきません。
ときどき、まるで魚の群れの中から気まぐれな一匹、二匹が、すーっと横へ流れを突っ切っていくように、一人や二人の女の子がわざわざ僕たちの前をすっと通り抜けては、また元の場所へと帰っていくのです。
そして、もとのグループへ戻ると、くつくつと忍び笑いをあげるのでした。
中には、月明かりをいっぱいに浴びた顔をさっと突き出すようにして、いたずらっぽく逃げていく子もいました。
女の子たちのグループは、あちらの暗がりへ行ったり、かと思うとまた僕たちの背後にそっと近づいてきたりしていました。
「タイメイ」さんは、「まだ式が始まらないみたいだから、少しそのへんを歩いてこようよ」と言うと、集落の奥の方へと歩き出しました。
僕は自分が今どこをどう歩いているのか、さっぱりわかりただただ、あたりがうっすらと明るく、あちこちに深い暗がりがある集落の中を、なんだかワクワクするような興奮した気持ちになりながら、「タイメイ」さんの後ろについて歩いていきました。
道を歩くたび、あの突然の暗がりの中からふっと現れてすれ違っていく人影に出会います。
でも、少し慣れてきたおかげで、僕にもそれが男の人なのか女の人なのか、だいたいの区別がつくようになっていました。
相手がどんな人間か見きわめるように、ぬっと堂々と近づいてくるのは男の人で、女の人たちはたいてい足音を立てないようにして、前かがみになりながら早足で歩いていくのです。
「タイメイ」さんは、すれ違う相手が男の人だとわかると決して近づきませんが、女の人だと分かると、ほかの男の人たちがやるように、相手のすぐそばへとぬっと近寄っていきます。
相手の女の人たちは大部分が顔見知りのようで、「タイメイ」さんは何やら楽しそうに話し込んでいます。
「タイメイ」さんは、まるで僕の存在をすっかり忘れてしまったかのように大忙しでした。
そして、別れ際には必ず「○○館に泊まっていますからね、ぜひ遊びにいらっしゃい」と声をかけるのでした。
やがて、僕たちはとうとう集落の端っこのように見えるところまでやってきました。
そのあたりは、道がまわりの土地より少し高い場所にあるせいか、月の光が急にくっきりと明るく見えました。
道沿いには、桃の花が鮮やかに咲いていました。
戸をぴっちりと閉めきった、庭先の地面だけが明るく照らし出されている家の前まで来ると、「タイメイ」さんは「ちょっと待ってて」と言い残して、小走りでその家の前へ駆け寄りました。
そして、戸をトントンと叩いて、もう眠っているはずの家の人を起こしたのです。
いったい何の用事だろうと見ていると、「もしもし、タイメイですよ。たま子さんはもうお休みになりましたか?」と声をかけているのが聞こえました。
僕は少しポカンとしてしまいました。
あんな夜遅くに戸を叩いて、娘さんを夜遊びに誘うような真似をして、お家の人に怒鳴られやしないかとハラハラしたのです。
初級翻訳・石ころ路 第4話
田畑 修一郎
コメント