初級翻訳・石ころ路 第6話

田畑 修一郎

信じていいものと、信じなくてもいいものの境界線がいっしょくたになってしまい、夢を見ているときと目を覚ましているときの感覚がまったく同じになってしまい、最後には自分の体を生きているという感覚さえも失われてしまったのです。
そして、一番最悪なことに、これらの一連の気味の悪い混乱が、細かな小さな点から全体の大きな部分にいたるまで、いちいち異常なほどはっきりと見えてしまうことでした。
それは、昔体が元気だった頃に感じていたような清々しいハッキリ感とはまるで性質が違っていて、その恐ろしい感覚に襲われるたびに、思わずその場で大声を張り上げて叫び出さずにはいられないような、そんなゾッとするようなハッキリ感だったのです。
僕はすっかり疲れ果ててしまい、これから先、自分がどうなってしまうのかなんてことすら考える力も残っていませんでした。
僕はただ、じっと待っていました。
何かが自分のところにやってくるのを待つしかなかったのです。
それが一体何であれ、これまでどうしようもなかったのと同じように、今度もその恐ろしい「何か」に自分の身を任せるよりほかに方法はありませんでした。
新しい場所へ引っ越してきてからというもの、お天気はだんだん安定してきました。
毎日あたたかい日が続きました。
もうどこを見渡しても、みずみずしい若葉が一面に広がっていました。
僕が今いる場所は「原地農場(はらちのうじょう)」というところで、牛を七、八頭ほど飼っていて、バターを作っている牧場です。
お家の目の前は、ずーっと広い畑が広がっています。
畑全体を囲むようにして、お家の裏から左手の方へ、そしてずっと遠くの前方まで、なだらかな山の斜面がもりあがっています。
そこら中に生えている榛(はんのき)の若葉が、もう、言葉では言い表せないほどなんて美しいんだろう!
太陽の光を浴びてキラキラと輝き、風にゆらゆらと揺れて、絶えずサラサラと小さな心地よい音を立てています。
その景色を見ていると、なんだか自分の心そのものが吸い込まれていってしまうような不思議な気持ちになります。
それにしても、あの白と黒のまだら模様の牛は、どうしていつまで経ってもこうやってじっと動かずにいるんだろう。その鮮やかな背中は、どんなに遠くにいても、どんなに林の隙間からちらりと見えただけでも、見逃してしまうことはありません。
いつまでもいつまでも、じっと動かずに草を食べています。
まわりには、お散歩できる場所がたくさんありました。
同じ島の中なのに、神着(かみつき)とここでは、なんと違うことでしょう。
明るい。
そして、何もない。
お家の左手にある斜面を上っていくと、高台のようになった広い平らな場所があります。そこはほとんどが畑になっていて、ところどころでクワを動かしている人の姿が見えますが、なんだかまわりの景色にすっぽり包み込まれているようで、働いているというよりも、ただそこにぽつんといる人のように、ゆっくりと動いています。
畑の様子もそうで、まるでつい昨日になってやっと畑になったばかりのような、なんだか素人っぽいたどたどしさがありました。
林もそうです。
木々はちょろちょろと細かったり、ただ上へ上へと伸びられるだけ伸びようとするみたいに、むやみにまっすぐ立っていたりするのですが、それでもちゃーんと生き生きとしています。
お家の右側の林を抜けると、すぐそこは海です。崖のふちにある細い小道をたどっていくと、一面がまだ黄色っぽい草でおおわれた、広い岬(突鼻)に出ます。
お昼の間、僕は何度もそこにゴロゴロしに行きました。
草地はふかふかで、お日様に温められていて、いつの間にか体中がぽかぽかととろけていくようです。
海の風が、絶え間なく顔の上を吹き抜けていきます。
耳のすぐそばで、虫の羽音が聞こえます。
海のうえには、何もない。
ただただ広すぎるだけで、いつまでたってもそこでは何も起きません。
僕は、自分の心をどこかに置き忘れてきてしまったような気持ちになります。
何かが起きたんだ、何かが起こったんだ。
僕は思い出そうとしてみます。
だけど、ちっとも僕のところには思い出してきやしません。
僕の中には遠くて不快な記憶のようなものがあって、それと今の僕との間には、ぽっかりと大きな溝(断絶)があるのです。
ふいに、鋭くて皮肉な気持ちがむくむくと湧き上がってきます。
あれはあれ、これはこれだ。
どれも確かなものなんてありはしない。
どこにも確かなものなんかないんだ。
本当にあるなら、お目にかかりたいものだ。
僕は、もうどうにでもしてくれと、どんなことにでも身を任せたくなってしまいます。
そして、ぼんやりとした気だるい空気に、すっかり包み込まれてしまうのです。
だけど、それも束の間、またしてもふいに、予期しない原因不明の鋭い痛みが、胸をグサッと突き上げてきます。
どこから、どうして。
そして次の瞬間には、それが何だか分かってくるのです。
妻、子ども、友人、仕事、生活というやつ。
自分という存在。
そういうものを、いまのおれは全然信じられない。
何かが、おれからそれを信じる力をすっかり抜き取ってしまったんだ。
それならいっそ、その「何か」に訊いてみてくれよ。
――僕はこういう種類のことを、心の中で次から次へとつぶやきます。
だけど、もう長い間、そんな気持ちに本気で浸っていられやしません。
僕は、そんな嘘のすべてを見抜いているからです。
僕が今やっと信じられるのは、この気だるい空気だけなのです。
僕のいる家は、六人家族でした。
主人は阿古村(あごむら)の村長をしていて、ここは役場から遠い場所なので、部落の方に住んでいました。
その奥さんは四十歳を少し過ぎた、肌が浅黒くて目が大きい人でした。その目は島の人に特有のだるさをたたえていて、どこか野生的な雰囲気を漂わせながら、身寄りのない「正代(しょうだい)」という娘と一緒にバターを作ることから始めて、家族みんなの仕事を切り盛りしていました。
ほかに、東京の女学校を出た養女の娘さんがいました。
奥さんの姪っ子にあたる人で、部落の方に本当の実家があったので、しょっちゅうそっちへ遊びに行っていました。
坪田村(つぼたむら)というところにお医者さんがいました。肌が真っ白で、おとなしいときはよく言葉をどもっておとなしいのですが、お酒を飲むとまるで別人のようにガラリと変わってしまう人が、時々やってきました。
ウワサでは、大変な遊び人だということです。
このお医者さんと養女の娘さんの仲は、まわりもみんな知っている公然の秘密でした。
お医者さんは鉄砲(猟銃)が好きで、時々遠くから「パン、パン」と音が聞こえてきます。その音がだんだん近づいてくると、やがて向こうのハンノキの林から猟犬がわーっと駆け下りてきて、そのすぐ後ろからお医者さんが自転車に乗ってやってくるのです。
娘さんは、もうその頃にはたいてい畑のあたりまでお迎えに出ていました。
時には、さっきまでその辺にいたはずの娘さんが、お医者さんと一緒に林の方からひょっこり現れることもありました。
鉄砲の音は、お医者さんが来たという「合図」なのかもしれません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました