ピタゴラスの学徒たちは、人間はこの自制ができればできるほど、それだけ神さまに近づくことができ、一生を完全に自制し通した人は、死んだあとに神さまになれると信じていました。その反対に、少し自分を抑えることができずに悪いことばかりした人は、次の世には獣や、あるいはそれ以下の動物に生まれ変わってしまうと考えていたのです。
彼らはお互いに固く手を取り合い、いつも強いきずなで結ばれて、さまざまな学問を一緒に学んでいました。
特に数学と音楽を、一番大切な勉強として研究していたのです。
その学徒の一人であるピシアスという人がシラキュースの町にやって来ていましたが、ディオニシアスからは「いつも自分に反抗している危ない奴だ」とにらまれ、ある日突然捕らえられてしまいました。
ディオニシアスはいきなり「死刑だ!」と言いわたしました。
ピシアスは落ち着いて言いました。
「それでは、あなたの仰せのままに私を殺してください。しかしその前に、一つだけお願いがあります。私にはギリシャの故郷に土地があり、身寄りもいます。ですので、一度あちらへ帰って、すべての用事を片づけてから、すぐにまたここに戻ってきて処刑を受けます。どうか、しばらくの間だけお暇をいただけないでしょうか」
ディオニシアスそれを聞いて、あざ笑いました。
「そんなことを言って、まんまと遠い海の向こうへ逃げたあとで、わざわざまた殺されに戻ってくるおバカさんなんているものか。そんなふたりの見え透いた手口で、このおれの気が変わるとでも思っているのか!」と、からからと大笑いしたのです。
ピシアスは少しも慌てず、こう言葉をつなぎました。
「ですが、それには私が戻ってくるまで、代わりに牢屋に残ってくれる人間がいるのです。私の親友の一人が、ちゃんと身代わりを引き受けてくれると言っているのです」
「ははは、それはお前が友達にからかわれているだけだぞ! そんなことで、自分の命をむざむざ捨てるようなお人よしが、この世のどこにいるものか」
ディオニシアスがそう言ってバカにしていると、そこへデイモンという友人がすかさず一歩前に出てきました。
「どうぞ、私をピシアスの代わりに牢屋へ留めておいてください。もしピシアスがあなたを裏切って、お約束の日までに戻ってこなかったときには、すぐに私を殺してください!」
デイモンのその申し出を聞いて、ディオニシアスはむしろびっくりしてしまいました。
そして、「よし、それじゃあピシアスの言うとおりにさせてやろう」と言いました。
どうせ、デイモンのあまりのバカさ加減を試してみるには、ちょうどいい見世物だと思ったからです。
こうしてデイモンが代わりに牢屋へと閉じ込められました。
ディオニシアスは牢番たちに厳しく言いつけ、いつでもデイモンの様子をしっかり見張らせていました。
しかしデイモンは、いつまでたっても少しも不安そうな様子を見せませんでした。
「私はピシアスを信じている。ピシアスは立派な人間だ。絶対にうそはつかない。もし万が一、あいつの戻りが遅れたとしたら、それは彼のせいではなく、どうしようもない予期せぬ出来事が邪魔をしたからに違いなくだ。そのときが来たら、私は喜んであやつの身代わりに殺されてみせよう」
デイモンはいつもこのように言って、どこまでも落ち着き払っていたのです。
ところが、ディオニシアスが心の中で思っていたとおり、とうとう約束の日がやってきても、ピシアスは一向に戻ってくる気配がありませんでした。
それでもデイモンは、相変わらず平気な顔をしてこう言いました。
「これは、きっと戻ってくる途中で海が大荒れにでもなったに違いにない……」何、「私が代わりに殺されればそれでいいじゃないか」
と、デイモンは牢の番人に言いました。
ディオニシアスは、「それ見たことか!」と得意げに笑いました。
そして、「いよいよ今日のこの時間までに帰ってこなければ、容赦なくお前を処刑するからそのつもりでいろ!」と冷たく言い渡しました。
いよいよ、その約束の時間が刻一刻と迫ってきました。
デイモンは容赦なく死刑場へと引っ立てられました。
牢の番人たちは、恐ろしい死刑の道具をずらりとそろえて待っていました。
デイモンは、あと二、三分もすれば冷たい亡骸になってしまう、まさにその瀬戸際にいました。
しかし彼は、そんな命のぎりぎりの土壇場になっても、ピシアスが決して嘘つきだなどとは思っていませんでした。「あいつは絶対に嘘をついていない。ただ、どうしようもない避けられない事情があって遅れているだけだ」と、最後までピシアスを信じ抜いていたのです。
そのときです!
なんと、そこにピシアスが息を切らせてひょいと帰ってきたのです。
ピシアスはデイモンの手をがっちりと握りしめ、「ああ、間に合った! 本当に、ちょうど間に合ってよかった!」と心から喜びました。
そして、晴れ晴れとした笑顔を浮かべながら、デイモンと代わって、自分から進んで静かに死刑台へ向かいました。
その光景を見たディオニシアスは、あまりの出来事にすっかり度肝を抜かれ、ポカンと口を開けて驚いてしまいました。
そして、その場で即座にピシアスの罪を許してやったのです。
こんなにも素晴らしい、心から信頼し合える人たちを殺すことなんて、いくら冷酷な暴君の彼にだって、できるはずがありませんでした。
ディオニシアスは、それから改めて二人を自分のそばへ呼び寄せました。
彼はそれまで、誰も信じることができずに生きてきた、とても孤独で哀れな人間でした。
自分のしたいように暴力をふるい、やりたい放題の乱暴をしてきました。
だからこそ、自分の命を少しでも長く守り抜くために、まわりの人間すべてを疑いにかかりました。
そのせいで、多くの罪のない人々を次々と殺したり、牢屋に閉じ込めたりしてきたのです。
だからこそ彼は、ピシアスとデイモンの二人が見せた、この揺るぎない「誠実さ」と「深い友情(友愛)」を目の当たりにしたとき、うらやましくて、うらやましくて、どうしようもなくなったのです。
彼は震える声で、二人に向かってこう頼みました。
「どうか、これからは私をもお前たち二人の仲間に入れてくれないか。
そして、これからは三人で本当の友達になりたいんだ」
ディオニシアスはそう言いながら、ピシアスとデイモンの手をしっかりと握りしめたということです。
初級翻訳・デイモンとピシアス 第2話
デイモンとピシアス
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