初級翻訳・レモンの花の咲く丘へ 第24話

レモンの花の咲く丘へ

(機を二、三度織ってから)私はどうしてもあの塔へ行く気にはなれない。
晴れやかな光も、なつかしい色も、心が浮き立つような物音も、何一つ楽しいもののない、あの灰色の墓場の塔へは、私はどうしても行く気にはなれない。
あの塔の中にあるものは、もの恐ろしい沈黙と、すべてのものを支配する大きくて大きな暗黒ばかり。その沈黙と暗黒とへ、どうしてこの身を投げられよう。
私はいつまでもここにこうして機を織っていよう。
(と言いながら機を織りつつ歌う)

若い頃の恋の色彩、
太陽のような赤い喜び、
ああ、それもまたたく間に消えて、
墓をめぐる夕月の色、
悲しみの青い綾糸、
人生の縦糸となりけり。
(塔を眺めながら)そろそろ日が暮れるとみえて、塔の上のしめった影が、だんだん下へ下りてくる。
あの影が下りきらないうちに、私は機を織らなければならない。
(音を立てずに機を織る。
――はるか屋外で、頑丈な城門の開く音がする。
女の子は機を織る手を止めて耳を澄ます。
その音がなおもかすかに響いてくる)
女の子 剣で囲まれた第一の城門が、そう簡単には開くはずがないけれど、(と考えて)今の音はどうやらその城門が開いた音のように思えるわ。
(音がまだ残りながら聞こえている)あれあれ、まだ鳴っている。
鋼鉄の琴をかき鳴らすように、あれあれ、まだ鳴っている。
(音がだんだん小さくなって、やがて止む)止んだ!(と寂しそうに笑いながら)私の耳の空聞きね。剣で守られたあの城門が、どうして簡単に開くものですか。あの音は、空の真ん中で鳴り響いた雷の音だったのよ。
(やや長めの沈黙。
音がするかどうか耳をすます。
――塔を吹く風の音)塔を吹く風の音が、まるで挽歌(ばんか)のように鳴っている。
(水門へ流れ入る水の音)そして水門へ流れ入る水の音が、まるで亡骸をのせた柩(ひつぎ)の舟を運び行くように聞こえている……。
ただそれだけだ。
……何も聞こえない。
……城門が開いたと思ったのは、きっと私の気のせいだわ。
(間)気のせいでよかった。
あれが気のせいじゃなかったら……。
本当に城門が開いたのだとしたら、(恐ろしそうに)私の運命が……運命の糸が切れてしまうわ。
それが私の身にふりかかっている、命の預言! この世の運命……そんなことあるはずないわ。私はずっとずっとここにいて、五色の糸を織る身なんだもの。今の音は、雲の間でむなしく鳴り響く、意味のない雷の音だわ!(でも、どこか不安そうに耳をすませる。
しんと静まり返る。
女の子はさびしそうに笑いながら機織り機に手をかけ、五色の糸を見てびっくりする)
――糸が切れた!(青と赤の糸がプチッと切れている)
青と赤の糸が切れてしまったのね!(機織り機から立ち上がろうとして、やっぱり座り込み、両手で顔を覆う。
おいおいと忍び泣く。
三分間が過ぎる。
やがて女の子は顔を上げ、残りの三色の糸を見つめる)
ああ、私はもう何も言うまい。
まだ三色の糸が残っているわ。
この残りの三色の糸で機を織り続けよう。
この三色の糸が切れないうちは、私はまだここにいられるんだから……。
私は何も言わないことにしよう。
(女の子はふたたび機を織り始める。
さっきよりも一層悲しそうな声で歌う)

白い糸が清らかなように
乙女の心も澄んでいた、
やがて染まる赤や紫、
あるいはまた罪を恐れる
暗闇に似た真っ黒な色、
罪の黒糸
罪の黒糸。
さまざまな色がある糸で
模様を織る人間の世界のすがた
ああ、こうして日を織り、月を織り、
年を織り、命を織り、
人生を織り上げていくシャトル(おさ)なのだろうか。
(その日のために)

(歌声がやんだ時、二番目の城門が開く音が聞こえてくる。
女の子は耳をすます)
女の子 二番目の城門は、滝のように激しく流れ落ちる泉の水で守られているのよ。
(少し近くに聞こえてくる余韻を追いかけるように)あの城門も開いてしまったの? 私の身にふりかかると言われていた命の予言が、いよいよ近づいてきたんだわ。
(窓から塔のほうをすかしてみる)ああ、塔の上にあった人影は、もう水門の上の方まで下りてきている。
もうすぐ、この部屋にも忍び込んでくるんだわ。
そして私を、あの塔の中へと連れていってしまうのね。
(耳をすませて外の音を聞く)誰かが歩いてくるわ。
足音が、まるで子どもの足音みたいに軽くて小さく聞こえてくる。
私の身代わりとして、この部屋にやってきたのかしら。
ものすごい城門の音に送り出されて、ここにやってくる不運な人は、女なら機を織り、男なら琴を弾いて、一生をここで過ごさなくちゃいけないのよ。
(機の糸を眺めながら)ああ、また白い糸が切れてしまったわ。
あとに残っているのは、黒と黄色の二色だけ。私はこの糸が切れるまで、ここで機を織り続けなきゃならないんだわ。
そして、その最後の二色の糸が切れたとき、私は静かにこの部屋を出て、あの塔の影になってしまうの。
それが私の命の予言。
(そう言いながら機に手をかけ、織りながら歌う)

人生を織り続けるシャトルが
絶えるその日に琴の音が響くだろう、
七つのすじの調べの弦に
黄色の糸――運命の糸を
ひっかけて
鳴らそうとするのだろうか。
(その日のために)

(三番目の城門が開く音が、すぐ近くで聞こえてくる。
女の子は機を織る手を止める)
女の子 黒い糸もまた切れてしまった!(と、何かを決心したように機織り機から離れ、部屋の真ん中に立って、下手のほうにある頑丈な鉄の扉をじっと見つめる。
――扉の外から、軽い足音が聞こえてくる)
女の子 軽い足音がするわ。
こんなにも物寂しい部屋にやってくるには、あまりにあどけない足音だわ……子どもの足音だわ。
(足音が近づいてくると同時に、七弦琴(しちげんきん)の音が聞こえてくる)
女の子 (耳をすませて)七弦琴の音がする。
私がまだ小さかった頃、この部屋に来る前に、弟といっしょによく弾いていた七弦琴の音がするわ。
(いっそう高く七弦琴が鳴り響く。
その音が消えると同時に、頑丈な鉄の扉がひとりでに開き、一人の愛らしい少年があらわれる。
手には七弦琴を持っている)
少年 (女の子を見つめて)お姉様!
女の子 (びっくりして)いったい、あなたは誰なの?
少年 (無邪気に、とてもうれしそうに)お姉様、お姉様、僕はお姉様をずっと探しに来たんだよ!
女の子 お前さんは一体誰なの?
少年 ヨハナーンだよ!
女の子 ヨハナーン……?
少年 お姉様の弟のさ。
女の子 弟……?
少年 お姉様! お姉様は僕のことを忘れちゃったの! 僕は、お姉様の弟のヨハナーンだよ!
女の子 (少年をじっと見つめ、急いで駆け寄る)ヨハナーン! ヨハナーン! 本当にお前は私の可愛いヨハナーンなのね!
少年 (お姉さんにすがりついて)お姉様!(となつかしそうに顔を見上げる)
女の子 (少年を抱きしめ、何度も何度もキスをして)ヨハナーン、私の大切で大切なヨハナーン! どうしてこんな所へ来ちゃったの? ねえ、どうしてこんな所へ来たのよ。
少年 (なつかしそうに、お姉さんにキスをしながら)お姉様に会いに来たんだよ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました