初級翻訳・一人ぼっちのプレゼント 第2話

一人ぼっちのプレゼント

「やっぱり、お別れするわ、私、どうしてもあなたといっしょに暮せないの」
「また、それをいう、そんな……」
女の喉が動いた。
前を見たままでいった。
「私、前は、クリスマスなんて、なんでもなかったのよ。家では、特別なことなんかなにもしなかったの」
「それは、ぼくもそうだよ」と男はいった。
「クリスマスのお祝いをするようになったのは、弘ができてから、弘がいたからだわ。あの飾りつけやプレゼントや、ご馳走や、いろいろと工夫をするクリスマスという日は、私には、弘のためにあったんだわ」
「うん」と、男は低くいった。
「私、弘のいないクリスマスなんて、耐えられない」
叫ぶように、女はいった。
「あなたはどう? その日が、もうすぐまた来るのよ」
男はなにもいわなかった。
「弘は、ジングルベルが上手だったわ。私、弘のいない、弘のいたあの家で、とうていクリスマスの音楽なんか、聞けない。きっと気が狂っちゃう」
「……チンゴーベーか」と男はいった。
「ぼくにもクリスマスは、弘が生れてからの習慣だ。弘がいないのに、その賑やかな、たのしい、華やかなクリスマスがありつづける。空っぽに。たしかに、それは想像もできないような責苦だ。……わかるよ」
女は顔を覆った。
むせび泣きながらいった。
「弘は、今年、私に、プレゼントをくれるはずだったの。去年、来年はぼく、ママに、すてきなプレゼントあげるね、って。ママの好きな、お花の束をあげるねって……」
男は女の肩に手をのばした。
女は、はげしく肩を引いた。
「もう駄目。思い出さなかったらよかったのよ。もう私、忘れられない。私にはもう、プレゼントをあげる相手がいなくなってしまったんだわ」
「ぼくがいるさ」
「違うの」と、女はいった。
「私がほんとになにかをあげたくて、いろいろ考えたり、計画するのがたのしいその相手が、いないの。そうだわ。プレゼントは、あげるものなのね。その、あげることがよろこびになる相手だけが、そのひとの、本当に必要な人間なんだわ。本当に愛する人なんだわ。私、たぶん、あなたを愛していないんです。愛していたのは弘だけよ。弘のために、私はあなたの妻である自分を、不思議ともなんとも思わなかったんだわ。弘の母としてだけ、私はあなたの妻だったの。そうなのよ。それが、いま、はっきり……」
「君は興奮している」と、男はいった。
「部屋で、ゆっくり話そう。ね?」
「たしかに興奮はしてます」女は、涙でいっぱいの目で、怒ったように男を見た。
「でも、別れるというのは、いまの思いつきじゃないわ。いまはただ、クリスマスのことから、自分があなたのどんな妻だったか、それがうまく言葉になっただけです。昨夜は、そこのところで、あなたにうまくごまかされて……」
「良子。しかしぼくは……」
「私、ここのホテルに来る前から考えてたんです。もし離婚が難かしかったら、せめて別居をさせていただこうと」
「別居を? なぜ?」
「一人になりたいの」とにかく、これまでの生活から一歩外に出て、このチャンスに、ゆっくりと自分自身を見つめ直してみたいんだ。
すべてのことは、それからだと思うの」
「どうして、君はそんな……」
「行くあてだってあるわ。
しばらくの間、麻布にある真弓の部屋に同居させてもらうつもりなの」
「なに、真弓だって?」
「そうよ。
あなたが大嫌いだった、私の昔の同級生。
あの下品なテレビ・タレントの真弓よ。
あの子、一人でアパートに暮らしているからさ……」
「もう相談したのかよ?」
「ええ、もうしたわ。
電話でね。
いつでもいいし、いたいだけいていいからいらっしゃいって言ってくれたの。
私だってもう、真剣にあれこれ考えていたんだから。
一日や二日の思いつきで別れようなんて、そんな軽率なこと、しないわよ」
 男は黙り込んでしまった。
煙草を取り出そうとする指先がふるえ、視線は自分の靴のつま先をじっと見つめていた。
ライターが、カチッと硬く鋭い音を立てる。
おどろくほどその炎は赤く明るかった。
いつの間にか日は沈みかけていて、男の顔には薄暗い影がさしていた。
煙草を吸い込むたびにその火の赤さが際立ち、男のフチなし眼鏡にパッと光が反射する。
「ああ。
すっかり暗くなったな」と、しばらくして男がつぶやいた。
「とにかくぼくは、ホテルに帰るよ」
 女は男の顔をしみじみと眺めた。
「ねえ……もし私たち、もう一度お見合いをさせられたとしたら、また結婚するかしら」
 女はそう言った。
それはとても真面目で、ものすごくしんみりとした口調だった。
男は何も言わないまま立ち上がると、女を待つこともなくスタスタと歩きだした。
振り返りもしなかった。
女は、大きく息を吸い込んだ。
沖を行く汽船にも、埠頭やブイの目印にも、気がつくと公園の中の水銀灯にも、もうあすこここへと美しくたくさんの明かりが灯っている。
日はみるみるうちに短くなっていく。
そのうえ、寒さもぐっと厳しくなってきた。
女もベンチから立ち上がった。
公園の出口の方へ歩いていくと、まるで追いかけてくるかのように海のざわめきが薄墨色の空間に広がり、足元の地面にまでドスンと響いてくる。
車が入ってこないようにするための、幅広の舗装道路との境にある柵のところまで来ると、女はふと足を止めた。
ホテルの隣にある花屋がいくつかのライトをパッと点けていて、夕闇の中、そこだけがまるで小さな舞台のように明るく照らし出されていた。
未来というものが途方もなく厚くて重い灰色の壁のようにしか感じられないのに、それでもこうして振り返ってみると、時間の流れというのはぽっかりと穴が空いたみたいに驚くほど素早かった。
たしかに、あっという間に街にはクリスマスがやってきていたのだ。
真弓との二人暮らしのアパート生活は、楽しいわけでもつまらないわけでもなかった。
良子はほとんどの時間を、お留守番役として過ごした。
夫とは一度も会わなかった。
夫も、決まったように小切手を郵送してくるだけで、手紙はなく、電話すらかかってこない。
そのおかげで良子は、夫のことを思い出すこともほとんどなかった。
クリスマスのイヴの夜、真弓は自分が所属しているプロダクションのパーティに良子を誘った。
もちろん良子はそれを断った。
「私は一人でいたいの。そのほうが気楽でいいのよ。
誰かに気を使ったりしなくていいんだから」
「じゃあ私は徹夜だわ」と真弓は言った。
「あなたがいるおかげで、私、このごろすごく品行方正でしょ? たまの外泊くらい、大目に見合おうよ」
「毎日だって大目に見るわよ」
「おたがい干渉し合わないってわけね。
私たち、この先もずっと仲良く長続きしそうね」
 真弓はケラケラと笑った。
独身だからなのか、同じ二十五歳でも真弓は肌こそちょっと荒れていたけれどずっと子供っぽくて若々しく、性格もどこか可愛らしかった。
私とあの子の間のこの違いは、もうきっと縮まることがないんだろうな。
華やかなドレスに身を包んだ真弓を見送ると、さすがに良子の胸には深い孤独が広がっていった。
ラジオをつけてもテレビをつけても、スイッチをひねるだけでクリスマスムードがあふれ返ってくる。

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