他人たちの楽しげなお祭りの遠さと、行き場のない霧のような自分の重たい悲しみが、心いっぱいに満ちてくるのだった。
手早く身支度を整えて、良子は気晴らしに表へ出かけてみた。
何日ぶりかすらパッと思い出せないほどの、本当に久しぶりの外出だった。
けれど、街に出るとクリスマスはもっと賑やかにあふれ返っていた。
どのお店もクリスマス・セールの飾りつけに趣向を凝らしていて、どこにいても何種類ものクリスマスのメロディが同時に耳に入ってくる。
そして、その街を歩いている人たちは、みんなプレゼントらしき綺麗に包装された品物を、嬉しそうに胸に抱えていた。
……
だが、彼女だけは、すべてのプレゼントとは全く無関係だった。
くれる相手もいなければ、贈る相手もない。
買うこともなければ、もらうこともなかった。
彼女は、たった一人ぼっちだった。
ふいに、それがたまらなく不安になった。
街にあふれ、楽しそうに笑いさざめく無数の人びとの中で、そんなプレゼントで結ばれ合っている他のすべての人たちの中で、彼女だけは彼らとは何の関係もなく、たった一人きりでぽツンと生きているのだと感じられた。
どうして私にだけ、プレゼントなんて関係がないんだろう。
どうして私にだけ、心から愛する人がいないんだろう。
……愛する人がいないという現実が、悲しみというよりも、まるで自分自身がこの世界から消え失せてしまったかのような恐怖となって、良子の胸を締めつけにきた。
彼女は、思わずふらふらと角にある洋品店へと足を踏み入れた。
真弓。
彼女に何かプレゼントを買っていったら、どうだろう。だが、良子の脚は女物の売場を通りこして、男物のショウ・ケースの前に彼女を立たせていた。
そう。
真弓だって、私なんかにもらうよりも、彼氏の一人にでももらうほうが嬉しいにきまっている。
私も、だれかすてきな男性への贈りものがしたいわ。
良子は男物の革手袋に手をのばした。
そのとき売子が声をかけた。
もちろん、これという心あたりがあったのではない。
夫のことなど露ほども頭になかった。
ただ、その革手袋のしなやかな手ざわりが、精悍な男性の冷たく残酷な魅力を、彼女に空想させていたのだった。
彼女は、それを買った。
アパートへの暗い道をいそぎながら、意味もなく頬が熱く、目がすわって、小鼻がひくひく動くのがわかった。
冷えた冬の夜の外気を深く嗅ぐと、胸がふるえてくる。
ときどき、膝が萎えそうになる気もした。
部屋に入り、電燈を消しすぐ横になったが、どうしても睡ることができない。
……良子は、はじめて小説の中の人物のように、自分あることを積極的に欲しているのを知った。
暗闇の中で、幾度も頬が燃えるように赤くなった。
真弓の帰宅は、翌日の昼近くだった。
まだ、やっと寝ついたばかりだった良子を、真弓はその甲高い声で起した。
「ねえ、まだ寝てんの? 良子。
あなたにプレゼントが届いてるのよ」
「いま帰ったの?」
良子は、泣きながら眠ってしまった目の跡をかくすようにこすりながら、明るい部屋の中に、真弓が正面にセロファンを貼った細長いボール箱を抱えて立っているのを見た。
「ほら、プレゼント、花束よ。
すてきじゃない? ちゃんとポインセチアまでついてる」
真弓はその箱をベッドの良子に渡すと、両手を腰にあてた。
「いま、そこの廊下で花屋に逢ったんで代りに受けとったんだけど、あんた、それ、だれからのプレゼントだと思う?」
「……死んだ弘が、今年のクリスマスには、ママに花束をあげるっていってたのよ」
と、良子はしずかな声でいった。
「まあ呆れた。
びっくりしないの? 贈り主は、その坊やなのよ」
良子はサイド・テーブルに花束を置いた。
「きっと旦那ね。
わざと坊やの名前で」と、真弓はいった。
「固物の老舗の息子にしちゃ、やるじゃない? なかなか」
良子は、ゆっくりと身を起した。
どうしてこの花束にまったくワクワクする気持ちが湧かないのだろう。
それが、自分でも不思議だった。
花束の贈り主は、ほかならぬ良子自身だった。
――彼女は、あの海岸の公園で夫との別居を決心した直後、一人でホテルの隣りの小さな花屋へ行き、真弓のアパートの番地を告げ、市外へ送る料金まで前払いをして、自分宛てにクリスマスこの場所に届けるようお願いしていたのだった。
……でも、なぜ私はこんなことをしたのだろう。
真弓が鼻歌をうたいながらお風呂場を使っている。
そののんびりしたハミングをぼんやり聞きながら、良子はベッドに坐ったまま、窓の外の明るく晴れた空を見ていた。
自分は、こうして少しでも弘の記憶を生々しくしないと、何のプレゼントもない私のこのクリスマスがどんなに空虚で悲しいものかという予想から、海にいなくなってしまった弘の身代わりとして、自分にこの花束を贈ったのだ――と良子は考えてみた。
だけど……真黒な穴の中へとてつもなく落ちていくような、からっぽな混乱状態だったあのときとは違い、いまの私は、自分の心の中に真黒な穴をあけた状態のまま、それが固定しかけている。
結局、かつての自分が贈ってくれたものは、そのときの「自分」でしかない。
しかしまあ、あのときの私をいまプレゼントされても、何のありがたみもない。
私は、いわばもうすっかり別人になっているのだから。
――ふと良子は思った。
たしかに、いまの私は、あのときの私とはまったくの他人なんだ。
そして、もしプレゼントを贈る相手というものが、その人が本当に心から愛し、必要とする相手なのだとしたら、あのとき、私は未来の自分の中に、たった一人そんな愛しうる他人を見出していたのかもしれない。
突然、良子は気づいた。
あのときの自分は、弘を追いかけ、弘を求め、弘にだけ心を奪われ、弘とともに、海に沈んでいたのではないだろうか。
この花束は、そんな自分、濃い藍色の海の中で、弘とともに死んでいた一人の自分からの、ちがう新しい自分への、切実な愛のしるしではないのだろうか……?
良子は花束にそっと手をのばした。
はじめてそのプレゼントを、現在の自分にとって、他人から贈られたものとして素直に受け取ろうという気持ちが湧いてきていた。
十二月の海岸公園には、訪れる人もあまりいない。
芝生もすっかり枯れ、木々も葉を落として、ただ海の轟音だけが、荒涼としてだだっ広い園内に、変わらない響きを伝えている。
たった一人、眼鏡をかけた三十歳前後の男が、ぽつんとベンチに腰かけている。
彼は真冬の午後の海をじっと見つめている。
海は灰色にどんよりと濁り、今日はいつもより霧が深く立ちこめている。まだ若い女が一人、ハイヒールのヒールをカツカツと鳴らしながら、ホテルのほうから舗道へとつづく柵をぬけて、海岸公園に入ってきました。
男は気づきません。
くだける波の音と海からの風のせいで、足音が聞こえないのでしょう。
女は、まっすぐにその男のいるベンチへと近づきました。
「やっぱり、あなただったのね」
と、女は言いました。
男は顔を上げました。
でも、何も言いません。
「あなたでしょう? 私に、弘の名前で花束を送ってくれたのは」
「……ぼくだ」
と、男は言いました。
「ゆるしてくれ。
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