初級翻訳・人魚のひいさま 第8話

アンデルセン ハンス・クリスチャン

王子はそのとき、いったい、あなたはだれでどこから来たのかといって、たずねました。
ひいさまは、王子の顔を、やさしく、でも、あくまでかなしそうに、そのこいあい色の目でみあげました。
もう、口をききたくもきけないのです。
そこで、王子はひいさまの手をとって、お城のなかへつれていきました。
なるほど、魔女があらかじめ言い聞かせていたように、ひいさまは、ひと足ごとに、とがった針か、するどい刃ものの上をふんで歩くようでしたが、いさんで、それをぐっとこらえました。
王子の手にすがって、ひいさまは、それこそシャボン玉のようにかるく上がっていきました。
すると、王子もおつきの人たちもみんな、ひいさまのしなやかな、かるい足どりをふしぎそうに見つめました。

さて、ひいさまは、絹とモスリンの高価な着物をいただいて身にまといました。
お城のなかでは、だれひとりおよぶもののないうつくしさでした。
けれど、ものを言うことも、歌をうたうこともできないおしでした。
絹に金のぬいとりをした着物で着飾った、うつくしい女のどれいたちがでてきて、王子と、王子のご両親である王さま、お妃さまのご前で歌をうたいました。
そのなかでひとり、だれよりもひときわじょうずによくうたう女があったので、王子は手をたたいてやって、そのほうへにっこり笑いかけました。
でも、人魚のひいさまは、じぶんなら、はるかずっといい声でうたえるのにとおもって、かなしくなりました。
そこで、
「ああ、王子さまのおそばに来たいばかりに、あたしは、みらいえいごう、声をひとにやってしまったのです。せめて、それがおわかりになったらね。」
と、ひいさまはおもっていました。

こんどは、女のどれいたちが、それはけっこうな音楽にあわせて、しとやかに、かるい足どりで、おどりました。
すると、人魚のひいさまも、うつくしい白い腕をあげて、つま先立ちして、だれにもまねのならないかるい身のこなしで、ゆかの上をすべるようにおどりあるきました。
ひとつひとつ、しぐさをかさねるにしたがって、この人魚のひいさまの世にないうつくしさが、いよいよ目に立ちました。
その目のはたらきは、どれいたちの女の歌とくらべものにならない、ふかいいみを、見る人びとのこころに語っていました。
そこにいた人たちは、だれもかれも、うっとりと酔ったようになっていました。
とりわけ、王子は、ひいさまの名を「かわいい、ひろいむすめさん」とつけてよろこんでいました。
ひいさまは、いくらでもおどりつづけました。
そのくせ地に足がふれるたんびに、するどい刃ものの上をふんでいるようでした。

王子は、いつまでもじぶんの所にいるようにといって、すぐじぶんの部屋のまえの、びろうどのしとねにねることをゆるしました。
王子は、ひいさまを馬にのせてつれてあるけるように、男のお小姓の着る服をこしらえてやりました。
ふたりは、いいにおいのする森のなかを、馬でいっしょに歩きました。
すると、みどりのこい木の枝がふたりの肩にさわったり、小鳥たちがみすみずしい葉かげで歌をうたいました。
ひいさまは、王子について、たかい山にものぼりました。
そんなとき、きゃしゃな足から血がながれて、ほかのひとたちの目につくほどになっても、ひいさまはわらっていました。そうして、どこまでも王子にくっついていって、雲が、よその国へわたっていく鳥のむれのように、空を流れていくのを、はるか目の下にながめました。

お城にいるとき、夜な夜な、ほかの人たちがみんな眠っているあいだに、ひいさまは、お城の大理石の階段のうえへと出ていきました。
そうして、ヒリヒリともえるような足を、つめたい海の水にひたしたのです。
そうしていると、はるか下の海の底に置いてきた、わかれてきた家族たちのことが、心にしみじみと浮かんできました。

そんな夜がつづいていたある晩のこと、夜がふけてから、人魚のおねえさたちが手をつなぎあって海からやって来ました。
波の上にうかびながら、おねえさたちは、とてもかなしそうに歌をうたいました。
ひいさまが手まねきをして知らせると、向こうでもすぐに気づいて、海の中のみんながどれほどひいさまをさびしがっているかを、話してきかせました。

それからは毎晩のように、おねえさたちは海の上に姿をあらわしました。
あるときなどは、もう何年も前からずっと海の上にでておいでにならなかったおばあさまの姿を、とおくに見つけました。
美しいかんむりを頭にかぶった、おとうさまの人魚の王さまも、ごいっしょのようでした。
おばあさまも、おとうさまも、ひいさまのほうへ手をさしのべてくれましたが、おねえさたちのように、おもいきってすぐ近くまでは寄ってこられませんでした。

日がたつにつれて、王子はだんだん人魚のひいさまのことが大好きになりました。
王子は、心のすなおな、かわいい子どもをかわいがると同じように、ひいさまをとても可愛がってくれました。
けれど、このひいさまを自分のお妃にしようとは、まるっきり心のなかで考えたこともありませんでした。
でも、ひいさまにとっては、どうしても王子のおよめさんにしてもらわなければ、死んでも消えない「たましい」をいただくことはできないのです。
もしそれが叶わなければ、王子がほかのお姫さまと結婚した次の朝には、海のあわになって消えてしまわなければならない運命なのでした。

「わたくしを、だれよりもいちばんかわいいとは思ってくださらないの?」
王子が人魚のひいさまを腕にかかえて、そのうつくしいおでこに自分のほおをよせるとき、ひいさまの目は、まるでそう問いかけているように見えました。

「そうとも、いちばんかわいいとも!」
王子はそう答えました。
「だって、おまえはだれよりもいちばんやさしい心をもっているし、いちばん、ぼくをたいせつにお世話してくれる。
それに、ぼくがむかし出会ったことがあって、もう二度とあうことはできないだろうと思っている、あるむすめにそっくりなんだよ。
ぼくはあるとき船に乗っていて、難破したことがあったんだ。そのとき、荒れ狂う波が、ぼくをある尊いお寺のちかくの浜にうち上げてくれた。
そのお寺には、たくさんの若いむすめたちが仕えていたんだ。
そのなかでいちばん若い子が、浜でぼくを見つけて、いのちをたすけてくれた。
ぼくはその子を、二度しか見たことがなかった。
その子だけが、ぼくのこの世の中で本当に好きだと思った、たったひとりのむすめだったんだよ。
ところで、おまえは、そのむすめに生きうつしなんだ。
あまりにも似ているから、ぼくの心に残っていたむすめのすがたが、いまではすこしずつとおくに追いやられそうなくらいだよ。
そのむすめは尊いお寺に仕えている身だから、ぼくの幸運の神さまが、その子のかわりに、おまえをぼくのところへつれてきてくれたんだね。
これからもずっと、いつまでもいっしょにいようね」――

「ああ、あの方のいのちをたすけてあげたのは、このあたしだということを、どうしてご存じないのかしら……」
と、人魚のひいさまは心の中で思いました。
「あたしこそが、あの方を腕にかかえて海の上をこえ、お寺のある森のところまで運んであげたのだわ。

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