卓一の話が左門に及ぶと、他巳吉は時々慌ててしまうのだ。他巳吉は、自分が不当に左門へ押し付けた絶望の深さを知っているのだ。後ろめたい思いが、絶えることなく胸にある証拠であった。
「世の中は因果応報。驕る平家は久しからず、だ」と他巳吉は言った。悲しみの底にいる左門を、あえて「驕る平家」に見立てるのだった。
「年寄りは旧弊なものさ。若い者に憎まれるのが年寄りの役目だね。『早くくたばれ、このもうろくめ』と、俺の家でも倅も孫も、腹の底でみんなそう思っているだろうよ。けちんぼ爺、早く死ね、死ねとね。いやはや、八方敵だらけだ。憎まれっ子世にはばかるというのは、この理屈だ。けちんぼ爺が百万年も生きるとさ。背中に甲羅が生えるとさ。頭に皿ができるとさ。河童になっても生きているとさ」
他巳吉はひっくり返って笑い出した。
「いやはや。若い連中の邪魔をするのが娯楽さ。若い者は天下様だ。浮世の楽しみがみんな揃っているね。年寄りはやけくそさ。あれも癪の種、これも癪の種だね。見るもの聞くもの、嫉妬するばかりだ。ここはもう、敵か味方かという世界だね。若い者に気兼ねすることはないさ。金もやるな。遊びもさせるな。女房も持たせるな。いやはや、若い奴らはいい面の皮だ。娘にダンスを教える親父なんて、孔雀の羽をくっつけた鴉(からす)と同じだね。天罰は覿面さ」
左門に思い知らせること、その残忍な喜びを他巳吉は抑えることができないのだった。容赦もなく傷めつけ、辱め、混乱の底へ突き落とし、惨めな末路をせせら笑ってやりたいのだ。
寂寥に耐えかねた左門が、最後の一縷の生きがいを求めて、やがて他巳吉を訪ねてくる。他巳吉は、そんな左門すら門前払いを食らわせるのだった。まるで宿なしの野良猫を追い出すような無情さで。
「こっちへ来るな。宿なしのもうろく猫め。臭い、臭い、臭い」
他巳吉は卓一と語りながら、ある日突然、そう喚いていた。
「あっちへ行け。シッ。シッ。シッ」「山奥の藪へ行って、首をくくって、死んでしまえ」
無限のイライラと後悔に疲れきった他巳吉なのだろう。せめて卓一を訪ねることが、その日一日の休息だったらしい。しかし左門は、鬱憤を晴らす場所もなかった。心の休まる場所もなかった。
卓一から電話がきたのは翌日のことだった。心当たりのある場所を調べてみたが、文子の行方はまったく見当がつかないという話だった。なお人に頼んで探してはいるが、突き止める見込みは今のところ自信がないという話なのだ。それがただ、それだけの話を伝える電話だった。
暗闇の奥で、誰のものかもわからない不吉な声を聴かされたかのように、左門の心は心細さでいっぱいになるばかりだった。その話を直接伝えてくれるために、どうして訪ねてきてくれないのか。会って直接聞く言葉なら、話もあれこれと広がり、そのどこかには希望をつなぐ手がかりもあったはずで、こうまで惨めな心細さに襲われることはなかったはずである。
いや、用件はむしろ左門にとって、今すぐどうこうできる問題ではない内容だった。とにかく訪ねてさえくれれば……。電話で用事を済ませてしまう卓一の冷たい心が、左門をいっそう心細さの底へ突き落とすのだった。
文子の行方がわからないとして、この先どういう結果に落ち着くのだろうか。文子が死ぬ。出し抜けにそんなこともないだろうが、やがて文子は実家へ帰るに違いない。そして左門のところから直接帰郷したように語るとしたら、文子の嘘がバレるのは火を見るよりも明らかだ。嘘がバレるとなれば、事態はやはり予測のつかないことになる。「恥」というものは、善良な人々を最も頻繁に殺してしまうものだから。
悔いと恐れに怯えながらも、生き延びて左門のもとへ戻ってくる。その場合はそれで「一陽来復(いちようらいふく)」だ。希望の明日が始まるのだ。すでにすべての暗い予想も不要なわけだが、生憎なことに、万が一にもそんな場合があるようには思えないのだ。
恥が文子を殺さなければ、文子はおそらく男の懐へ走り込んでしまうだろう。それが当然の筋道のような気がする。そしてそうなると、その先がどうなるか予測のしようもなくなってしまう。文子と男は新潟を去り、姿を消してしまうかもしれない。噂のように男が悪人であれば、文子は頼みの男にも捨てられる可能性があるが、事態がそこまで行き詰まると、文子の死、それはやはり架空の不安ではなくなるのである。
死ぬことはないにしても、とにかく文子が二度と左門の元へ戻ってこないという予感だけは、ひどくはっきりしているようだ。非常に暗く、なにか濡れたような不安だった。その不安が左門の頭に絡みついている様子は、ちょうど台所の片隅に、ぐっしょりと濡れた古雑巾がグシャリと置かれているようなものだ。
濡れ雑巾は頭の底にグシャリとへばりついている。押しても突いてもグシャグシャと汁を出すだけで凹むばかりで、動きもしない。頭をガクガクと振ってみても、要するに濡れ雑巾の重みを揺さぶっているだけのようなものだ。手応えがなかった。頭の中身がすべて、ひとつの濡れ雑巾にほかならなかった。
左門の不安も、左門の思索も、常にそこが限界だった。濡れ雑巾に突き当たると、そこでバッタリ行き止まりである。どんな考えも、そこまでくると同じようにぐっしょりと濡れて、それ自体が濡れ雑巾のひとつになり、一緒にグシャグシャと積み重なってしまう感じだ。それからあとは、もう無性に切なさがこみ上げてくるばかりである。
「恋は思案の外という。大寺老(だいじろう)にも覚えがあるだろうが、もともと恋というものは人目を忍んでやるようにできている。公(おおやけ)にやりにくいところが恋の身上というものだろう。恋の盲目的な情熱は、この世の道理に合わないのが自然なのだね。合理的に恋をさばこうとすれば、そのどこかに無理が隠されてしまうのだろう。こっそりと一人の胸にたたみ込んで苦労する。やがて間違いも起きるのが道理で、もともと恋はそういうものだね。私はそう思っている。たまたま相手の男が悪者だったとしても、それは不運な巡り合わせで、文子を責める理由にはならない」
左門は他巳吉に向かってそう言ったことを覚えていた。それは言い過ぎだっただろうか。いやいや、そんなことがなぜあり得よう。なるほど他巳吉には鬱憤があった。そしていくらか当てつけ気味の皮肉な語調はあったのである。しかし、言葉の内容は正しいはずだ。
「私はただ、文子が無事に帰ってきてくれることだけを願っている。悪事を働いてしまったような罪人の卑屈な後悔に悩むことなく、堂々と帰ってくることを願っている。誰しも恋の間違いはある。姦通といえども、時にはやむを得ないことだね。人間の弱点が犯しがちな過ちを責める資格のある人なんて、誰にもない」「自分の醜い心に目を覆った人だけが、人の弱さを非道に責めることができるというものだ」
左門はそうも言ったのである。
それはたしかに、鬱憤を晴らすための言葉に違いなかった。
あてつけ気味の皮肉な語調だったことを、左門もありありと覚えていた。
他巳吉は、その言葉に腹を立てたのだろうか。
そして、もう左門を訪ねてこなくなったのだろうか。
それは卑怯なことだ。
自分勝手なことだ。
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