おまわりさんの芝田さんは、何か事件でも起きたのかと、電灯の下であわてて黒いズボンをはき、サーベルを腰につるしながら下りてきました。
しかし、話を聞いた芝田さんは、少し拍子抜けした様子で言いました。
「そりゃあ、また和太郎さんが一杯やったんだろう」
「でも、こんなことは一度もございませんもの。あの子にかぎって、いくら酔っていても十一時にはちゃんと帰ってきますだのに」
和太郎さんのおかあさんはそう言いました。そして、十一時を二十分も過ぎて帰ってこないのは、きっと途中で追い剥ぎ(おいはいぎ)にでも捕まったに違いないと言い張るのです。
芝田さんは、この平和なご時世に追い剥ぎなどがうろついているはずがない、と諭しました。和太郎さんはいつも正体もなく酔っ払って、牛に引かれて帰ってくるのだから、今夜は牛の都合で二、三十分遅れているだけだろう。そもそも牛というものは、あまり時間の正確な動物ではないのだから、と言うのです。
けれど、和太郎さんのおかあさんが自分の考えをいつまでも言い張るので、芝田さんもとうとう根負けして言いました。
「よし、それでは捜索することにしよう」
いつも事件が起きたときには、村の青年団が駐在巡査の応援をすることになっていたので、芝田さんは青年団の人たちに集まってもらいました。
まもなく青年団員たちは制服を着てゲートルを巻き、棒切れを持って集まってきました。青年団員だけでなく、ほかのおとなや、腰の曲がったおじいさんまでやってきました。
実は、このような「夜中に人が消えた」というような事件は、この村ではもう何十年も起きていなかったのです。
この前、青年団が芝田さんの応援をしたのは、西山のふもとのわら小屋に草焼きの火が燃え移ったときのことでしたが、そのときはとても簡単な対応で済みました。
しかし、今回の事件は、なかなか難しそうです。
いったい、どうやって捜索を始めたらいいのでしょう。
すると、富鉄(とみてつ)さんという、大きな鼻のおじいさんが、いいことを思い出してくれました。
それは今から四十年くらい前のこと。村の行商人が坂谷まで油菓子を仕入れに行った帰り、ろっかん山のキツネに化かされて迷子になったという事件でした。
そのとき村の人たちは、鐘や太鼓を鳴らして山や谷を歩き回り、ついに泉谷(いずみたに)の泉の中で、ももひきを頭にかぶってガタガタ震えながら、「これはええ湯じゃ、ええ加減じゃ」と言っている行商人を見つけ出すことができたのでした。
富鉄じいさんはこの話を詳しく説明しましたが、それもそのはず、そのときキツネに化かされたのは、他でもない自分自身のことだったのです。
富鉄さんの話を聞いてみると、キツネに化かされるということも、ありそうな話に思えてきました。ろっかん山では今でもよくキツネがちらりと走り去るのが見られますし、村の中でも寒い冬の夜ふけには、ムジナの声が聞こえるのですから。
また、たとえキツネやムジナに化かされないにしても、酔っ払っている人間というものは、化かされている人間とあまり変わりがないものだ、というわけなのです。そこでみんなは、鳴り物を持ってきました。
鐘はお寺から借りてきました。お葬式が出る時刻を知らせて回るときにたたく、あのおごそかな鐘です。
太鼓は、夜番が「火の用心」といってドンとたたく、あの寝ぼけたような音のする太鼓です。
かつて吉野山へのお参りで先達を何度も務めた亀菊(かめぎく)さんは、久しぶりに腕をふるおうと、宝蔵倉からほら貝を取り出してきました。
しかし、ひと吹きしてみると、驚いたことにもうそのほら貝は、「しゅうしゅう」と空気が漏れるばかりで、音が出ませんでした。
「こりゃ、ひびが入っちまったかな」と亀菊さんは言いましたが、息子の亀徳(かめとく)さんが吹いてみると、そのほら貝は実によい音で鳴ったのです。
そこで亀菊さんは、自分がすっかり年をとったことを思い知らされました。
そして、年をとるということは、なんともあほらしいことだな、と思ったのでした。
青年団のラッパ手である林平(りんぺい)さんは、月の光を浴びてピカピカ光る立派なラッパを持ってきました。
これなら三里(約12キロ)先まで聞こえるはずだと、林平さんは心の中で得意になっていました。
こうして男たちは、手に手にちょうちんを持って、山の中へ入っていきました。
鐘や太鼓が打ち鳴らされ、ほら貝も吹かれました。
林平さんはラッパをどんな節回しで吹こうかと迷いました。
けれど、キツネに化かされた人間と牛を捜すのには、どんな曲もぴったりこないような気がしたので、結局、ただ「プウーッ、プウーッ」と節もつけずに吹き鳴らしました。
すると、けなすことが大好きな亀菊さんが「まるでゾウのおならみてえだ」と言ったので、林平さんは気を悪くしました。
もっとも、亀菊さんは実際にゾウのおならを聞いたことなど一度もないのですが。
みんなはあちらこちらと探し回りましたが、同じ谷に何度も下りたり、同じやぶに何度も入ったり、同じ池を何度もぐるぐる回ったりしました。
これではまるで、自分たちがキツネに化かされているみたいだと思いながら、みんなは十回目も同じ池を回りました。
もうみんなへとへとで、ほら貝やラッパも鳴らなくなりました。
ときどき、寝ぼけたような音で太鼓が鳴るだけでした。
こうして捜索しましたが、和太郎さんと牛は見つかりませんでした。
それどころか、みんなのうちで二人もどこかへはぐれてしまったことがわかりました。
やれやれ、困ったものです。
これではいつまで探していても無駄なばかりか、かえって損というものです。
もう、池の面が鈍く光り始めていました。
そのとき、池の向こうのやぶで年老いたウグイスが静かに鳴いたので、みんなは「おお、もう朝が来たか」と思いました。
そこで村へと引き返しました。
六
村の人たちは、一晩中眠れなかったうえに、山の中を歩き回ったので、たいへん疲れ果てて村に帰ってきました。
ひとまず駐在所の前に着いたものの、もう立っているのもつらいので、道端の草にみんな座り込んでしまいました。
すると、西の方にある学校の裏道から、牛車が一台やってきました。
もう仕事に行くのかと、みんなはぼんやりした目で見ていました。
牛車が駐在所の前を通るとき、乗っていた男が、
「おい、おまえら、朝早いのう。きょうは道普請(道路の修理)でもするのかえ?」
と言いました。
どこかで見たことのある男だと思ってよく見ると、なんと、それが和太郎さんだったのです。
「なんだと! おれたちはおまえを捜して、一晩中山の中を歩き回っていたんだぞ!」
と、亀菊さんが言いました。
「ほうかい。そいつはご苦労だったのう」
そう言うと、和太郎さんは牛車から降りもせずに、そのまま家の方へ行ってしまいました。
「なんのことだ」と、村人たちは開いた口がふさがりませんでした。
こんなことなら、あんなに大騒ぎして山の中を捜し回る必要なんてなかったのです。
これは和太郎さんをみんなで厳しく叱りつけなければならない、と年寄り連中は言いました。そうしないと変な癖がついてしまう、というのです。
そこでみんなは眠い目をこすりながら、和太郎さんの家に押し掛けました。
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