初級翻訳・四葉の苜蓿 第2話

四葉の苜蓿

 ですが、人一倍勘の悪い私などには、そんな幸福の合図なんて気づきそうもありません。
 そういえば、四葉のクローバーを探すのが上手な少女を昔知っていたっけ……。その少女は若くして亡くなりました。
 しかし、その早すぎる死でさえ、彼女がそれほど四葉のクローバーを探すのが上手だったという事実から、「彼女はその死によって、何かこの世のものではない幸福を手に入れたのだ」と思えるほどで、私たちをいつまでも悲しませることはありませんでした……。
 今の少女たちは、四葉のクローバーなんて何とも思わないでしょう。
 それはそれでいいのかもしれません。
 けれど私は、もっと何か得体の知れないものへのあこがれに満ちていた、昔の少女たちのことが忘れがたいのです。
 ――私はそんな考えをめぐらせながら、いかにもその草の香りをなつかしむようにクローバーの上に腰を下ろし、パイプを再びつまらなそうにふかし始めました。

3

 あの古いホテルも、――去年まではそんな残骸をさらしていた建物も、今年はすっかり取り払われてしまいました。
 ですが、ホテルの裏の塀にくっついて立っている、村で一番美しいさるすべりの木は、それがはっきりとホテルのものかどうかも分からなかったおかげで(本当に、何が幸せになるか分かりません)、そのまま引っこ抜かれもせず、今年も夏のはじめには真っ白い花を咲かせていました。
 私が今年はじめてその前を通ってみると、その木の下はいまや公然と便利屋の荷車の置き場になっていて、車の上には、いい香りのする白い花がぽたりぽたりと落ちていました。
 私は相変わらずつまらなそうにパイプをふかしながらその木を見上げ、それからもう、梢の向こうによく見慣れていたホテルの建物が完全に無くなっていることに、はじめて気づきました。
 それも、何か当たり前のことのように……。

4

 今年の夏は、本当に雨が多かった。
 散歩にもなかなか出られませんでした。
 八月の半ばを過ぎてから、ようやく雨が上がって、晴れた日が続くようになりました。
 ある日、私は散歩の途中、村の会堂の方へSの字を逆にしたような形に曲がっている道のほとりで、二人の老婦人が何かしゃがみ込みながら熱心に探し物をしている後ろ姿を見かけました。
 私がパイプをふかしながら近づいてみると、二人ともときどきその道で見かける品のいい老婦人たちでした。いつも古風な麦わら帽子をかぶっている方の老婦人が、道端の草の上に両手をかざしながら、その上へ魔法でもかけるように絶えずゆっくりと動かしています。
 もう一人のターバンを頭に巻いた老婦人の方は、その傍らでしゃがんだり立ったりしながら、それを一生懸命に見守っています。
 四葉のクローバーを探しているのです。
 私はそんな様子を、何か見てはいけないものを見ているような気がして、知らん顔をしてパイプをふかしたまま、二人の背後を通り過ぎようとしました。そのとき、ちらっと横目で見ると、不意に草の上をなでるようにしていた老婦人の手が、すうっと何かに引き寄せられるように動いたかと思うと、もう四葉のクローバーを探し当てていました。
ターバンを巻いた老婦人はそれを受け取ると、にこにこと笑いながら、自分の胸のボタンの穴にそれを差し込んでいました。
……
 私は久しぶりにそんな好ましい情景を見かけながら、しかもそれが自分の母親くらいの年格好のドイツ人らしい老婦人たち――昔の、そのまた昔の少女たち――によって行われていることにすっかり感動し、何か自分までもそのそばを通っただけで、彼女たちの幸福のお裾分けにあずかることができそうな気分にさえなりました。
 私は「今日は何かいいことがあるぞ、それとも今日やろうと思ったことをすればきっといい結果になるぞ」とそんな上機嫌な気持ちになって、村の会堂の方へ近づいていくと、一台の自転車が柵の中に乗り捨てられていて、会堂の中からバイオリンの調子を合わせているらしい、幽かな音がそれとなく漏れていました。
 私はしばらく柵にもたれかかって、パイプをふかしながら、それが何か私の幸福の下準備をしてくれているかのように、いい気分になって聞いていました。
 それから二、三日の間、私が夕方そこを散歩のついでに通ると、いつも決まって同じ自転車が置いてあって、会堂の中からは同じように低いバイオリンの音が漏れていました。
 私はそのたびに、しばらく同じような格好で柵にもたれ、同じような格好でそれを聞きながらパイプをふかしていました。

5

 ある晩、村の慈善音楽会が開かれました。
 その村に夏を過ごしに来る人々の中で、毎年上手な素人の音楽家が選ばれて演奏するのですが、その晩、私ははじめて毎日その自転車だけ見ていた、バイオリンを弾く少女を目の当たりにしました。
 真紅のデコルテを着た、髪の黒い、目の大きな、痩身の少女は、最初、母親らしい婦人の伴奏で、タルティーニの「悪魔のトリル」にその妙技を見せました。
 その難曲も、いささかの不安も見せずに易々と弾きこなしました。
 それから続けて、ベートーヴェンの「ロマンス」とバッハの「G線上のアリア」を弾きました。
 その少女と入れ替わって、毎年見かける一人の、大柄な、胸の妙に赤らんだ老嬢が出てきて、シューベルトの「菩提樹」などを二、三曲、あまり上手ではないアルトの声で歌いました。
 それからまた、さっきの少女が出てきて、今度はショーソンの「詩曲」を、それが静かでゆったりした曲なだけに、いかにも真剣そうな顔つきをしながら弾き出しました。
 私はついぞこの頃、少女がそんなに真剣な顔つきをして何事かを成し遂げようとしているところを見たことがありませんでした。
 それほど一人の少女が、完全に「少女」になりきっているような感じを受けたことはほとんどないと言ってよかったです。
 私はそんなに夢中になって弾いてばかりいると、そのバイオリンを押さえている少女の首がそのまま傾いたきりになってしまい、背中なども永久に曲がったままになってしまいはしないかと、半ば心配し、半ばもしそうなってしまったらなったで、それも随分いい感じだろうと思いました。
 ……「詩曲」は、それが弾き始められたときのように、静かに弾き終えられました。
 その次にはまた、大柄なアルト歌いが出てきて、シューマンを数曲歌いました。
 三度目に少女は登場しました。
 心なしか、少女はもう少し疲れているように見えました。
 しかし彼女には、もう軽々と弾けるように見える二、三の小曲を残しているだけでした。
 彼女はふとそれが気になるように神経質にバイオリンの調子を二、三度試し、それからやっと気が済んだような顔つきになって、サラサーテの「ロマンサ・アンダルサ」を弾き出しました。
 その演奏にすぐ不安を感じるほど私の耳は敏感ではありませんでしたが、私の目は、お母さんのピアノの伴奏だけの節になると、その少女がバイオリンをちょっと肩から外して、その真紅のデコルテを何度となく空いている方の手で、妙に神経質そうに直しているのをなんとなく異様に見出していました。
 少女はその曲を、何か上気したような顔をして弾き終えました。

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