初級翻訳・天女とお化け 第1話

天女とお化け

いまよりもずっと世の中が暗かった時代の、お話です。
当時は、教師が自分が選ばれた仕事だという自覚もなく、仕事に対する責任感も持たず、上の立場の人たちが、下の立場の人たちに対して好き嫌いの感情をむき出しにしても平気でいられた、そんな時代でした。

新しく中学校の担当教師となった「S」は、桶(おけ)屋の息子である「秀吉(ひでよし)」という生徒のことが、どういうわけか好きになれませんでした。
特別にきらっている理由の一つは、ほかの生徒たちのように勉強ができないからというわけではありませんでした。そうではなく、秀吉がいつもじっと教師の顔を見つめ、まるで何か恨みを持っているかのように、あるいは相手の心のなかを探っているかのように、油断ができなくていらだたしい感じを教師に与えていたからでした。

秀吉は教室に入ると、絶えず教師の顔に目を固定し、決してよそへ動かそうとはしませんでした。
「いったい、何の目的で、こんなに自分ばかり見ているのだろう」
と、教師は不快に思いました。
それで、つい彼ばかりに質問したくなりましたが、何を聞いても、秀吉の答えはちんぷんかんでした。
それというのも、授業の話をよく聞いておらず、ほかのことを考えているか、あるいは心の中で、だれにも想像のつかないようなことを考えていたからでした。
これは、算数の時間でも、作文の時間でも、同じでした。
こうした子供は、不思議と図画(絵)の時間だけは上手に描くものだと言われていましたが、秀吉の場合は、静物を写生させても、何を描いたのか、その外側の形すらまとまっていませんでした。
「これは、どうしようもない低能児だな」
と、教師は心の中でつぶやきました。

ついに、秀吉の母親が学校へ呼び出されました。
彼の住んでいる地域は、貧しい人たちが集まっている場所でもありました。
母親はおそるおそる職員室へやって来ると、低く頭を垂れ、いかめしい、ひげを生やした教師の顔をまともに見ようともせず、ただ教師の言うことを額に汗をにじませながら聞いていました。
「あの子は、妙なくせがあって、人の顔ばかり見ていて、勉強が少しも頭に入っていませんが、家ではどんなふうですか?」
と、教師は尋ねました。
「先生のおっしゃることをよく聞いて、頭に入れなければいけないと、家では言い聞かせているのですが……」
と、母親は恐縮しました。
「いや、人の顔を見るのがあの子のくせなのかどうか、それを聞いているのです」
と、教師は、それが自分にだけする行動なのかどうかを知りたかったのです。
「あの子だけは、何を考えているのか、私どもにもわからないことがあります。ほかの子にはそんなこともありませんが、よく、猫と遊んでいて『お母さん、この猫はどんなことを思っているでしょうかね』と聞くのです。それはお母さんにも猫のなかまではわからないよ、猫に聞いてみなければね、と言うと、あの子は『ちょっと見るとずるそうだけれど、また無邪気だから、猫はかわいがられるんだね』と言って、いつまでも猫を見ているのでございます」
と、母親は答えました。

この話を聞くと、教師はますます、秀吉に顔を見られるのを気味悪く思うようになりました。
どうにかして、あの子供を学校に来させないようにする工夫はないものかと考えました。
「お母さんに聞きますが、あの子は小さいとき、脳膜炎にかかったことがありませんか?」
と、教師は尋ねたのです。
母親は、自分の子供が頭の病気ではないかと言われているのだと気づき、
「そんな覚えもございませんが……」
と、さすがに言葉を濁していました。
「それでも、あの子はなかなか、人の気持ちや腹のなかで隠しているようなことを、よく当てる妙なところがあります」
と、母親は最後にその特徴を挙げて、子供をかばいました。
「それなら、お母さんからも言ってやってください。学校に来ても勉強にまったく興味がないくらいなら、そして先生の顔ばかり見ているようでは何の役にも立ちませんから、いっそ学校をやめて、どこかに奉公に出るなり、家で手に職を覚えるほうが、将来のためにも役立つだろうと、言い聞かせてください」
と、教師はこう言い残すと、急に席を立って部屋から出ていきました。

かわいそうな母親は、学校の門を出ると、教師から受けた冷たい感じを思い出し、学校を嫌がるのも子供ばかりを責めるわけにはいかないと深く考えながら、家路を急いだのでした。

村と町の間に、一軒の医院があります。
村の人たちに言わせると、この医者の薬は高いので、めったにお世話になれないとのことでした。だから、どこでも市販の薬で間に合わせているという噂(うわさ)がありました。
その医院の息子である「K」と秀吉は同級生だったので、よく同じ道を話しながら歩いて帰ることがありました。
ある日、秀吉はKに言われるまま、彼の家に遊びに寄ったのでした。
学校でも、Kは成績がよくできるという評判でした。教師もKに対しては、秀吉とはまったく反対で、彼を見る目つきはいつもやさしく、ときには、ご機嫌をとるかのように、やさしい言葉をかけることさえあるように思われました。
秀吉はKに連れられて、きれいに磨かれた玄関を入ると、ひんやりとした空気を感じました。
すぐわきには患者の待合室があり、そこを通り抜けると、薬のにおいのする診察室があり、その並びには和室の座敷がありました。
秀吉は、Kの特別なお客さんとして案内されるまま、奥にあるKの書斎へと進みました。
そのとき、座敷のうす暗い床の間に置いてあった、美しい羽を広げた大きな鳥に、目を奪われたのでした。
「ねえ君、あの鳥はなんていう名前なの?」
と、秀吉は友だちの机のそばに座ると、すぐに尋ねました。
「え、あの鳥をまだ知らないの? 孔雀のはく製なんだよ」
と、Kは答えました。
「本当にきれいな鳥だね。どこに住んでいるんだろう?」
「なんでも、南の国の暑いところらしいよ」
「どうやって捕まえるんだろうね」と、彼は次から次へと空想を膨らませて質問しました。
「でもね君、あの尾の一番きれいなところには、猛毒があるんだってさ」と、Kは秀吉に言いました。
「あの紫色にピカピカ光るところがそうなの?」と、秀吉は思わず目を輝かせました。
「ああ、そういう話だよ」
「なめたら死んじゃうのかな?」と、秀吉が聞きました。
「そりゃあ死ぬだろうさ。もっとも、古い置物だからもうあてにはならないけどね。それより、もっと恐ろしい毒薬を見たことがあるよ。ただ見ただけじゃ何ともない白い粉なんだけどさ。それが一グラムの何分の一かをごく少量なめただけでも、獣でも人間でも一瞬で死んでしまうんだ」と、Kは言いました。
「そんな恐ろしい薬、僕も見てみたいな」と、秀吉はため息をつきました。
「うちにあるにはあるけど、お父さんが『子どもなんかが見るものじゃない』って言って、戸だなの中にすごく厳重にしまっているんだよ」と、友だちは答えました。
「このあいだね、学校にうちのお母さんが呼ばれて、僕が小さいときに脳膜炎をやったことがあるか聞かれたんだって」と、秀吉が正直にKに話すと、Kは体を向けなおして言いました。
「あのハゲ頭の先生かい? 敏感な君のどこがバカなもんか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました