初級翻訳・妖怪博士 第34話

妖怪博士

だけどね、ただの名画なら、信雄が無事に帰ってきたことであきらめられるけれど、あの雪舟の絵は国宝なんだよ。
わたし一人の損だけですむ話じゃない。
日本の美術界に対しても、合わせる顔がないんだ。
明智さん、なんとかしてあれを取り戻すいい方法はないものだろうか……?」
 明智探偵は、気の毒そうに小泉さんの顔を見つめながら、考え込みながら答えました。
「いまとなっては、それを探すのはとても難しいと思います。
たとえ、あいつの隠れ家に飛び込んでみたところで、きっともぬけの殻(から)でしょうね」しかし、さいわい、信雄君が、その家を知っていらっしゃるのだから、これからすぐ出かけていって、いちおうしらべてみるのもむだではありますまい。
信雄君、きみはこれから、ぼくと小林君とを案内して、そのあやしい洋館へ連れていってくれることができますか。
」
「ええ、先生や小林さんといっしょなら、ぼく、こわくありませんから、ご案内します。
家はよくわかっています。
」信雄君は、さいぜんおかあさまの心づくしのごちそうで、ペコペコになっていたおなかがふくれたので、なかなか元気です。
それに、日ごろ尊敬する明智探偵の案内役というのですから、にわかに勇みたつのでした。
そこで、小泉氏とも相談のうえ、明智探偵と小林少年と信雄君の三人は、明智の待たせておいた自動車に乗って、夜ふけの町を世田谷区池尻町へと出発しました。
例の洋館の百メートルもてまえで車をおりて、なにげない通行人のような顔をして、門の前まで歩いていきますと、門のとびらは、二時間あまりまえに、信雄君がにげだしたときと同じように、ひらいたままになっていました。
「やっぱり、二十面相はもうここにはいないのだ。
しかし、ともかく、家の中をしらべてみよう。
どんな手がかりがつかめないともかぎらないからね。
」明智探偵は、そんなことをささやきながら、先に立って門内へはいっていきます。
玄関のドアはしまっていましたが、とっ手をひねりますと、なんなくひらきました。
見れば、中はまっくらで、まったくあき家の感じです。
「小林君、懐中電灯だ。
」明智のさしずで、小林少年の手が、やみの中に動いたかと思いますと、正面の壁にパッとまるい光があらわれました。
明智はその光で、電灯のスイッチをさがして、おしてみましたが、どうしたことか、何度やっても、電灯はつきません。
二十面相は、信雄君が帰宅すれば、きっとこの家へ、だれかが捜索にふみこんだと察して、用心ぶかくおおもとのスイッチを切っておいて、逃げさったにちがいありません。
「しかたがない。
懐中電灯の光で、もう少し奥のほうへはいってみよう。
小泉君、きみが監禁された鉄の部屋というのは、どのへんだね。
」
「ずっと奥のほうですよ。
この廊下を行けばいいんです。
ぼく、ご案内しましょう。
」信雄君はそういって、小林少年の懐中電灯をかりますと、それをふりてらしながら、ソロソロと廊下を歩きはじめました。
信雄君は、長い廊下をたどるあいだじゅう、今にもどこからか、三角ひげの蛭田博士が、ヌーッと顔を出して、ピストルをつきつけるのではあるまいかと、もうビクビクものでしたが、さいわいそんなこともなく、やっと例の動く天井の小部屋をさがしあてました。
「ウン、これだね。
この中にとじこめられて、天井がだんだんさがってきたときには、さだめしこわかっただろうね。
なんというおそろしい拷問道具を考えだすやつだろう。
」明智探偵は小声でそんなことを言いながら、部屋の裏にまわって、天井を動かすしかけをしらべたり、部屋の中へはいって、懐中電灯で床や壁をあらためたりしていましたが、べつに手がかりになるような発見もなかったとみえ、ふたりの少年をうながして、家中の部屋部屋を、かたっぱしからしらべはじめました。
どの部屋のドアにもかぎはかかっていませんでしたので、なんの手数もなく、三人はつぎつぎと部屋にはいって懐中電灯の光を壁や床に投げかけましたが、家具も調度もないガランとした部屋ばかりで、紙きれ一枚落ちてはいませんでした。
そうして、三部屋ばかり、たんねんにしらべおわった三人は、こんどは建物の中央にある、いちばん広い部屋へはいっていきました。
ところが、先頭に立った明智探偵が、一歩部屋の中へはいったかと思うと、とつぜん、じつにとつぜん、どこからともなく、人の笑い声が聞こえてきたではありませんか。
ワハハハ……という高笑いです。
まったくのあき家とばかり思いこんでいた、まっ暗やみの部屋の中で不意うちに、人の笑い声を聞いたときの、三人のおどろきはどれほどだったでしょう。
さすがの明智探偵も、思わず立ちどまってしまいましたし、信雄君の手にする懐中電灯の光は、持ち主の心のさわぎを白状するように、はげしくゆらめきました。
数時間まえに、あんなおそろしいめにあった信雄少年は、心の中で「ソラ、出た!」とさけんで、もう逃げ腰になっていました。
暗いので人には見られませんでしたが、その顔は、きっと幽霊のようにまっさおになっていたにちがいありません。
「ワハハハ……、明智君、ご苦労さまだね。
国宝を取りもどしに来たのかね。
それともこのおれをとらえるためにやってきたのかね。
お気のどくだが、おれは、まだきみみたいなヘボ探偵につかまるほど、もうろくはしないつもりだよ。
ワハハハ……。」暗闇の中の声は、まるで他人事のようにケラケラと笑いました。
おお、怪人・二十面相です。
すっかり逃げ去ったものと思い込んでいた二十面相は、まだこのもぬけの殻のような建物の闇の中に身を潜め、一匹の恐ろしい野獣のように、好敵手である明智小五郎を待ち構えていたのです。
明智探偵はそれを聞くやいなや、サッと身構えて、信雄君の懐中電灯をひったくるように手にとると、いきなり声のする方へと向けました。
しかし、その部屋には、誰も姿形が見えません。
これまで通りの、がらんとした何もない部屋なのです。
ああ、そうです。
この部屋はほかの部屋とは違って、入り口のところに小さな控えの間があり、その向こうにもう一つ奥の間が続いているのです。
今、懐中電灯の光の中に、二つの部屋を仕切るドアが浮かび上がってきました。
二十面相は、そのドアの向こう側でしゃべっているのです。
二十面相の、この大胆不敵な振る舞いには、何か裏があるに違いありません。
奥の間の暗闇の中で、何か想像もつかないような恐ろしい罠を用意して、三人が入ってくるのを待ち構えているのではないでしょうか。
信雄君はそれを考えると、まるで化け屋敷にでもいるような、言いようのない不気味さにゾーッと背筋が寒くなり、心臓が早鐘のようにドキドキと打ち鳴りはじめました。
しかし、さすがは明智探偵、少しも恐れる様子を見せず、スタスタと仕切りのドアに近づくと、いきなりそれを勢いよく引き開けました。
そして、懐中電灯をぶんぶんと振り照らしながら、広い奥の間へと踏み込んでいきます。
小林少年も元気よくその後に続きました。
それを見ては、いくら気味が悪くても、いつまでもグズグズしているわけにはいきません。
あとで小林くんに笑われたりでもしたら、少年探偵団の恥というものです。

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