初級翻訳・小公女 第31話

小公女

私は本なんか、好こうと思っても好きになれないのよ。私は利口じゃアないの。ところが、お父様は御自分が何でもお出来になるものだから、私だって出来ないはずはないと思ってらっしゃるのよ」

「私に本を下すったりして、あとでお父様に何て仰しゃるつもり?」

「何ともいわないわ。私がお話を憶えていさえすれば、読んだのだと思うでしょう」

「そんな嘘をいうものじゃアないわ。嘘は悪いばかりでなく、卑しいことよ。だから、御本を読んだのは、セエラだと仰しゃればいいじゃアないの?」

「でも、パパは私に読ませたいのよ」

「読ませたいよりは、憶えこませたいのよ。だから、憶えさえすりゃア、読んだのは誰だって、きっとおよろこびになるわ」

「どのみち、憶えさえすりゃアいいのよ。あなたが私のパパだったら、きっとそれでいいとお思いになるでしょう」

「でも、あなたが悪いからじゃアないわ。あなたの――」
頭の悪いのは、と危くいいかけて、セエラは口を噤みました。

「私が、どうしたの?」

「すぐ憶えられないのは、あなたが悪いからじゃアないっていうのよ。すぐ憶えられたって、ちっとも偉かアないのよ。親切なことの方が、どんなに値打があるかしれないわ。ミンチン先生なんか、いくら何でも知っていたって、あんなだから皆に嫌われるのよ。頭はよくても悪い事をしたり、悪い心を持ってたりした人がたくさんあるわ。ロベスピエルだって――憶えてるでしょう? いつかお話してあげたロベスピエルのこと」

「そうね、少しは憶えてるけど」

「忘れたのなら、もう一度話してあげるわ。ちょっと待ってね。この濡れた服を脱いで、夜具にくるまるから」

セエラは寝台の上で肩を夜具に包み、膝を抱えて、血腥いフランス革命の話を始めました。アーメンガードは眼を見張り、固唾をのんで耳を傾けました。怖いようでしたが、同時にまたぞっとするような面白さもありました。ロベスピエルのこと、ランバル公妃のことなど、忘れようと思っても、忘れられなくなりました。二人は、父のセント・ジョン氏に、セエラに話してもらって憶える計画を、正直に打ちあけることに決めました。で、本は当分セエラの所に置くことにしました。セエラは話している間も、倒れそうに空腹でした。アーメンガードが帰ってしまったら、ひもじさのあまり、眠られなくなりはしまいかと思いました。いつもは、そんなことに一向気のつかないアーメンガードも、ふとセエラを見てこういったくらいでした。

「私、あなたぐらいに痩せたいと思うわ。でも、今日はあなたいつもよりも痩せて見えるわね。眼もいつもより大きいようだし、肱のところには、とがった骨が出ているわ」

セエラは、自然にまくれ上った袖口を、引き下しました。

「私、小さい時から痩せてたのよ。そして、大きな緑色の眼だったのよ」

「私、あなたのその不思議な眼が好きなの。どこか遠いところを見ているようで、とてもいいわ。その緑色がとてもいいわ。でも、たいていは黒いように見えるのね」

「猫の眼なのよ。でも、猫のように暗いとこまで見えるわけじゃアないのよ。見えるかと思ってやってみたけど、駄目だったわ。暗くても見えるといいわね」

ふと、天窓の上にかすかな音がしました。二人とも見ずにしまいましたが、黒い顔が天窓に現れて消えたのでした。

「今の音は、メルチセデクじゃアないわね。何かが石盤瓦の上を、そうっと擦って行くような音だったわ」

耳の早いセエラは、そういいました。

「何でしょう? まさか、泥棒じゃアないでしょうね」

「まさか。盗んで行くものなんか、何もないじゃア――」
といいかけた時、また何か物音がしました。今度は二階で、ミンチン先生が怒鳴っている声でした。セエラは寝台から飛び降りて、火を消しました。

「先生は、ベッキイを叱ってるのよ」

「ここにやって来やアしない?」

「大丈夫。寝たと思ってるでしょう。でも、じっとしていてね」

ミンチン先生は、屋根裏まで上って来ることなど、めったにありませんでした。が、今夜は立腹のあまり、中途までぐらいは上って来ないとも限りませんでした。それに、ベッキイを小突きまわしながら、あとから上ってくるような気配さえしました。

「嘘つき! 料理番の話だと、なくなったのは今日ばかりじゃアないそうじゃアないか」

「でも、私じゃアございません」「私、お腹はすいていたけれど、そんな、そんな……」
「監獄に入れてやってもいいくらいだ。盗んだり、つまんだり。肉饅頭を半分も食べちゃったんだね」
「私じゃありませんってば! 食べるくらいなら、全部食べちまうわ。……でも私、指一つさわりもしなかったんです」

そのパイは、ミンチン先生が夜遅くに食べようと思って、とっておいたものでした。先生は息を切らして階段を上りながら、ぴしぴしとベッキーを打っているようでした。
「嘘なんかつくな。たった今、部屋に入ってしまいなさい」

戸が閉まり、ベッキーがベッドに身を投げる音がしました。彼女は泣きじゃくりながら言いました。
「食べる気なら、二つぐらい食べちまうわ。一口だって食べやしなかったのに。料理番が、あの警官に食べさせたんだわ」

セーラは真っ暗な部屋に立ったまま、歯を食いしばり、手を差し伸べては、掌を開いたり握りしめたりしていました。もうじっとしてはいられないという様子でしたが、それでもミンチン先生が降りて行ってしまうまでは、身動きもせずにいました。
「ずいぶんひどいわ。料理番はベッキーに自分の罪をなすりつけてるのよ。ベッキーはつまみ食いなんかするものですか。あの子は、時々ひもじくてたまらなくなると、ゴミ箱からパンの皮を拾って食べてるくらいだけど」

セーラは両手をぎゅっと顔に押し当てて、すすり泣きはじめました。セーラが泣くなんて――アーメンガードは、何か今まで気づかなかったことに気づいたような気がしました。ことによると――ことによると――彼女の親切な鈍い心の中に、恐ろしい事実がようやく姿を見せはじめました。彼女は手探りでテーブルのところへ行き、ろうそくに火をつけました。灯りがともると、身をかがめて心配そうにセーラを見ました。

「セーラさん、あの……あなた、一言も話して下さらなかったけれど、あの、失礼だったらごめんなさい――でも、あなた、ひもじいんじゃないの?」
「ええ、ひもじいのよ。あなたにでも食いつきたいほどひもじいのよ。それに、ベッキーの泣き声を聞くと、よけいひもじくなってくるの。あの子は私よりもひもじいのよ」
「あら、私、ちっとも気がつかなかったなんて!」
「私も、あなたにさとられたくなかったのよ。あなたに知られると、私、乞食になったような気がするから嫌だったの。もう見たところは乞食も同じですけどね」
「そんなことないわ。服はちょっと変だけど、乞食になんて見えるものですか。お顔が第一、乞食とは違うわ」
「いつか私、小さい男の子から施しを受けたことだってあるのよ」セーラは自分を蔑むように笑って、襟の中から細いリボンを引き出しました。「ほら、これよ。

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