初級翻訳・少年探偵団 第29話

少年探偵団

いったい明智さんは何を言っているのでしょう。
頭がどうかしてしまったのでしょうか。
「そうです。
ここには、ぼくたち四人だけです。
しかし、二十面相はやっぱりこの部屋にいるのです。」
「先生、あなたのおっしゃることは、私たちにはさっぱりわけがわかりません。
もっとくわしく教えていただけないでしょうか。」
 白髪の老支配人は、オドオドしながら探偵にたずねました。
「ほう、あなたにもまだわからないのですか。
それでは、あなたは二十面相がどこにいるのか、知りたいとおっしゃるのですね。
それを言ってもいいですか。」
 明智探偵は老支配人の顔をじっと見つめてから、意味ありげに言いました。
「えっ、なんとおっしゃいました?」
 門野老人は、なぜかドキッとしたように探偵を見かえしました。
「だれが二十面相なのか、正体を暴いてしまってもかまわないというのですか。」
 明智探偵の目に、電光のような鋭い光がかがやき、じっと相手をにらみつけました。
老支配人はその強い視線に圧倒されたように、返す言葉もなく、思わず目を伏せました。
「ははは……、おい、二十面相、よくも化けたものだな。
まるで六十歳の老人そっくりじゃないか。
だが、ぼくの目をごまかすことはできないぞ。
きみだ! きみが二十面相だ!」
「そ、そんなはずは……。
そ、そんなばかなことが……。」
 門野支配人はまっさおになって、必死に言いわけしようとしました。
主人の大鳥さんも、あわてて言葉をそえます。
「明智先生、それは何かのおまちがいに違いありません。
この門野は、親の代からわしのお店につとめているまじめな男です。
この男が二十面相だなんて、そんなことは絶対にありませんよ。」
「いや、あなたは、二十面相が変装の大名人であることを忘れています。
なるほど、ほんものの門野君はまじめな番頭さんでしょう。
しかし、この男は門野君ではありません。
あの予告のあとすぐ、二十面相はほんものの門野君をどこかの場所に閉じこめて、自分が門野君になりすまして、お店に出てきていたのです。
いや、お店に出てきていただけではありません。
門野君の家にも、ずうずうしく毎晩帰っていたのです。
家族の人たちでさえ、それを少しも怪しいとは思わなかったのですね。」
 ああ、そんなことが本当にあるのでしょうか。
今、目の前に立っている老人は、どう見ても門野支配人にそっくりです。
怪しいところなんて、どこにもありません。
いったい、どうやったらそんなに見事に変装できるのでしょうか。
みんながあっけにとられて明智探偵の顔を見つめている、まさにそのときでした。
ああ、またしても、どこからともなく、あのおそろしい声が聞こえてきたではありませんか。
「フフフ……、明智先生もすっかり年をとったものだな。
二十面相を取りにがしてしまった言いわけに、何も知らない老人に罪を着ようなんて……。
おい、先生、目をよく開けて見るがいい。
おれはここにいるんだぜ。
二十面相はここにいるんだぜ。」
 ああ、なんと大胆不敵なんでしょう。
どろぼうはまだ、この部屋のどこかにかくれているのでしょうか。
「先生、あれです!
あれが二十面相です!」やっぱり天井から聞こえてくる。
ね、おわかりでしょう。
門野君じゃございません。
門野君は二十面相じゃございません。
」
 大鳥氏は、恐怖にたえぬもののように、ソッと天井を指さしながら、ささやくのでした。
しかし、明智探偵は少しもさわぎません。
口をつぐんだまま、じっと大鳥氏を見かえしています。
と、とつじょとして、どこからともなく、まったく別の声がひびいてきました。
「おいおい、子どもだましはよしたまえ。
ぼくが腹話術を知らないとでも思っているのか。
ハハハ……。
」
 大鳥氏はそれを聞いて、ゾッとふるえあがってしまいました。
ああ、なんというふしぎなことでしょう。
それはまぎれもなく明智探偵の声でした。
天井から明智の声がひびいてきたのです。
しかも、当の探偵は目の前に、じっと口をつぐんですわっています。
まるで魔法使いです。
明智探偵が、とつじょとしてふたりになったとしか考えられないのです。
「おわかりになりましたか、ご主人。
これが腹話術というものです。
口を少しも動かさないでもいう術です。
今のようにぼくがこうして口をふさいでもいうと、まるでちがった方角からのように聞こえてくるのです。
天井と思えば天井のようでもあり、床下と思えば床下からのようにも聞こえます。
おわかりになりましたか。
」
 今こそ、大鳥氏にもいっさいが明白になりました。
腹話術というものがあることは、大鳥氏も話に聞いていました。
さいぜんからの声が、みんな腹話術であったとすれば、すっかりつじつまがあるのです。
天井や床下などをあれほどさがしても、二十面相の姿が発見されなかったわけが、よくわかるのです。
それでは、やっぱり二十面相は門野老人に化けているのでしょうか。
大鳥氏はまだ半信半疑のまなざしで、じっと門野老人を見つめました。
門野老人はまっさおになっています。
しかし、まだへこたれたようすは見えません。
顔いっぱいにみょうな笑いをうかべて、何かいいだしました。
「腹話術ですって、おお、どうしてわたくしが、そんな魔法をぞんじておりましょう。
明智先生、あんまりでございます。
このわたくしがおそろしい二十面相の賊だなんて、まったく思いもよらぬ、ぬれぎぬでございます。
」
 ところが、この老人のことばが終わるか終わらぬに、部屋の板戸を、外からトントンとたたく音が聞こえてきました。
「だれだね。
用事ならあとにしておくれ。
今はいって来ちゃいけない。
」
 大鳥氏が大声にどなりますと、板戸の外に意外な声が聞こえました。
「わたくしでございます。
門野でございます。
ちょっと、ここをおあけくださいませ。
」
「エッ、門野だって? きみは、ほんとうに門野君か。
」
 大鳥氏は仰天して、あわただしく板戸をひらきました。
すると、おお、ごらんなさい、そこにはまぎれもない門野支配人が、やつれた姿で立っていたではありませんか。
「だんなさま。
じつに申しわけございません。
賊のためにひどいめにあいまして、つい先ほど、明智先生に助けだしていただいたのでございます。
」
 門野老人はわびごとをしながら、部屋の中のもうひとりの門野を見つけ、思わずさけびました。
「アッ、あんたはいったい何者じゃ!」
 なんというふしぎな光景だったでしょう。
いや、ふしぎというよりも、ゾーッと総毛立つような、なんともいえぬおそろしいありさまでした。
そこには、まるで鏡に写したように、まったく同じ顔のふたりの老人が、敵意に燃える目でにらみあって、立ちはだかっていたのです。
おそろしい夢にでもうなされているような光景ではありませんか。
だれひとり、ものをいうものもなければ身動きするものもありません。
数十秒のあいだ、映画の回転がとつぜん止まったような、ぶきみな静止と沈黙がつづきました。

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