初級翻訳・怪奇四十面相 第1話

怪奇四十面相

二十面相の改名

「透明怪人」の事件で、名探偵・明智小五郎にその正体を見破られた怪人二十面相は、そのまま警視庁の留置場に入れられました。ひと通りの取り調べを受けたのち、彼は裁判を待つ身である未決囚として、東京都内のI拘置所にぶちこまれてしまったのです。

二十面相といえば、これまでに何度も牢屋を破って逃げ出した怪物です。そのため、拘置所でも特別な注意が払われました。見張りをするのに最も都合がよく、厳重な独房(ほかの人とは一緒にならない、一人だけの牢屋)が選ばれました。さらに、通常の見張りに加えて、二人の看守が交代で、昼も夜も絶え間なくその独房の前で立ち番をすることになったのです。

なにしろ、「透明怪人」というとほうもない大事件の犯人が見事につかまり、しかもその正体が怪人二十面相だったのですから、世間はそのうわさで持ちきりでした。新聞も怪人がつかまった経緯を詳しく書き立てますし、人が二人集まれば、天気のあいさつの代わりに二十面相の話をするというありさまでした。

名探偵・明智小五郎の名声は、この大捕り物によっていやがうえにも高まりました。「透明怪人」を捕らえた日本のシャーロック・ホームズとして、外国の新聞にも明智の手柄話が大きく載せられたほどです。この人気に便乗して、二つの映画会社が「透明怪人」事件の映画を作ることになりましたし、芝居の世界でも、日比谷と浅草の二つの劇場で「透明怪人」の劇が上演されるという騒ぎでした。

ところが、二十面相が拘置所に入れられてから五日目のことです。東京でもっとも読者の多い「日本新聞」に、次のような記事がデカデカと載り、世間をアッと言わせました。

「四十面相」と改名
いよいよ大事業に乗り出す
拘置所内の二十面相から本紙に寄せられた不敵な宣言

きのう午後二時、I拘置所内の二十面相から、左のような奇妙な手紙が本社編集局に届きました。I拘置所に問い合わせると、係官が全く知らないうちに、なにか不思議な手段を使ってこの手紙を郵送したことが明らかとなりました。二十面相は係官に向かって、「おれは大奇術師だ。牢屋から誰にも気づかれずに手紙を出すくらい、朝飯前だよ」と、うそぶいていたそうです。

以下は、その手紙の全文です。

『わたしは明智小五郎に負けた。しかし、これで降参したわけではない。近く再起をはかることはもちろんだ。奇術師のわたしには、どんな厚い扉も、どんな厳重な錠前も、少しも役に立たないのだ。わたしは、いつでも出たいときに拘置所を出られる。しかし、その前に世間に知らせておきたいことがある。それは、わたしの名前についてだ。世間ではわたしを二十面相と呼んでいるが、わたしは大不満だ。わたしの顔は、たった二十ぐらいではない。その倍でもまだ足りないほどだ。もっとも少なく見積もっても、わたしは四十以上のまったく違った顔を持っているつもりだ。そこで、わたしはこれから「四十面相」と名乗ることにした。二十面相を卒業して、四十面相になったのだ。今度はわたしを四十面相と呼んでもらいたい――。さて、改名の初めに、わたしは今までに一度も手がけたことのないような大事業に取りかかるつもりだ。それがどんな事業かは、また改めて連絡する』

この記事を読んだ世間の人々が、アッと驚いたことは言うまでもありません。しかし、一番驚いたのはI拘置所長です。未決囚に勝手に新聞社へ手紙などを出されては、拘置所の面目丸つぶれです。拘置所だけでなく、検察庁や警察の名誉にも関わる問題です。そこでI拘置所長は部下を叱りつけ、問題の手紙がどうやって外へ持ち出されたのか、その手段を必死になって調べさせましたが、少しもわかりません。実に不思議です。本当に魔法でも使わなければ、そんなことができるはずはないのです。

拘置所では、二度とそんなことが起こらないように、さらに見張りを厳重にしました。ところが、それから二日後には、またしても同じ「日本新聞」に、四十面相の第二の手紙が発表されたのです。

四十面相の新事業
「黄金どくろ」の秘密
I拘置所から再び通信

I拘置所に閉じ込められている四十面相は、前回の投書に続いて、またもや左のような第二の通信を本社に送ってきました。今回もI拘置所では、この手紙がどうやって出されたのか、想像すらできないと言っています。

『前回のわたしの通信を、貴紙に載せてくださったことに感謝する。』つづいて、ここに第二の通信をおくる。
まえの通信に、あたらしい事業に着手すると書いたが、その事業の一部分を、読者に知らせておきたい。
わたしの新事業とは“黄金どくろ”の秘密を、あばくことである。
それ以上くわしいことは、いまは言えないが、もし、わたしが、その秘密を発見することができたならば、日本じゅうを、いや、世界じゅうをおどろかすような、大事件となることを、確信をもって、予告する。
それには、まず、このI拘置所を脱出しなければならない。
だが、その日も、目のまえにせまっている。
わたしは、やすやすと、牢やぶりをしてみせる。
そのかどでにあたって、本紙読者諸君の健康をいのるものである。
』

ああ、なんという、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な言いぐさでしょう。
拘置所の囚人が、まもなく牢やぶりをするぞと、言いふらしているのです。
この記事を読んだ世間は、ふたたび、わきかえりました。
拘置所でも、よういならぬ事態とみて、いよいよ警戒を厳重に、四十面相の独房には、ピストルで武装した五人の看守が、すこしも油断なく、見はりをつづけることになりました。
それにしても、四十面相のやることは、とんと、合点がいきません。
牢やぶりをするぞと、新聞に書けば、ますます、見はりが、厳重になるばかりではありませんか。
自分で、自分を、しばっているようなものです。
ところが、あとになって考えてみますと、それが、じつは、大奇術師の秘密の「手」であったことがわかりました。
四十面相が、新聞にあんな投書をしたのは、なにも名誉心のためではありません。
あれは牢やぶりに、ぜひとも必要な、手立てにすぎませんでした。
ああ、なんということでしょう。
怪人四十面相の、悪知恵は、まったく、底が知れないほどです。

弁護士の帽子

「日本新聞」に四十面相の第二の通信がのったあくる日、I拘置所長のところへ、四十面相事件の係である木下検事から、電話がかかってきました。
いま、そちらへ、明智探偵がゆくから、四十面相に面会させるように、ということでした。
所長はそれを聞くと、なんとなくホッとしました。
四十面相が牢やぶりを宣言している最中に、かれをとらえた名探偵が、来てくれるというのは、願ってもないことでした。
待つほどもなく、明智探偵の自動車が、拘置所の玄関に、着いたので、所長は明智を、丁寧に、自分の部屋へ案内させました。
「いや、じつは、わたしのほうから、おいでを願いたいと、思っていたところです。
四十面相のやつは、あの新聞社への手紙を、厳重な独房のなかから、どうして送るのか、そのやりかたが、まったく、わからないのです。
このうえは、もう、あなたにでもお調べ願うほかはないと、考えていたのですよ。

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