初級翻訳・恐竜島 第20話

恐竜島

それに続いて、ほんの少しの間をおいて、遥か下の方で、どぼーんという大きな水音が聞こえました。そのあとには、わんわんと気味の悪い反響が長く続きました。伯爵がもんどり打って海水の中に落ちたのでした。

上の岩場には、玉太郎が一人残されました。玉太郎は途方に暮れてしまいました。ロープは切れ、下に落ちてしまいました。三人は岩壁の中段に残され、セキストン伯爵は海中に落ち込んでしまいました。

どうすればいいだろう。まず老伯爵の安否が気がかりだったので、玉太郎は岩場から身を乗り出し、一生懸命に老人の姿を探し求めました。ですが、途中に岩が突き出していて、伯爵が落ちたあたりは見えませんでした。

それでは、中段に取り残されたケンとダビット、そして衰弱しているラツールを救うために、玉太郎は手元に残っていたロープを解いて、下に垂らしてみました。ですが、ロープは短すぎて、その高さの半分も届きませんでした。
「ああ、困った。どうすればいいだろう」
四人の命が危ないのです。玉太郎だけが自由な身でした。そして四人の命が危ないことを知っているのは、玉太郎だけでした。
「ぼくは責任重大だ。落ち着かなくちゃ……」
と、彼は自分の心を励ましました。もうこうなれば、後ろへ引き返して隊員を呼んでくるほかありません。玉太郎は、そこでケンたちと連絡を取り、地下道を急いで元来た方向へとって返しました。
「そうだ。多分、あの沼のところに、ツルガ博士とマルタン氏がいるはず……」

地下道をようやく抜け、崖を滑り降りて、沼の畔まで来ました。すると、彼はそこに、なんともわけの分からない奇妙な光景に出くわしました。その沼のほとりに、ツルガ博士親子が体をぴったりと寄せ合っていたのです。そして小さい竪琴を、ぽろんぽろんとしずかに弾いているのだった。
それはいいが、二人の前には、恐竜のおそろしい首があった。
この恐竜は沼の中から首だけを出して、博士親子をひとのみにしようとしているらしく思われた。
マルタン氏の姿が見えない。
いや、いた。
氏は博士親子がもたれている太い樹のうしろに、腰をぬかさんばかりにがたがたとふるえていた。
紙のように白い顔、丸い頭といわず額といわずくびといわずふきだしている大粒の汗は、水をかぶったようであった。
玉太郎は、気が遠くなりかけて、はっとわれにもどった。
いったいこれはどうしたのか。
奇蹟の博士親子。

「うわーッ」
玉太郎は、その場の光景に気絶しそうになり、自分でもどうしてそんな声が出たかと思うほどのすごい金切り声を発した。
でも、誰だって、これを見れば、金切り声を出さずにはいられないだろう。
だって、沼の中からぬっと恐竜が長い首をつきだして、もう一息でツルガ博士やネリをぱくりとのんでしまう姿勢をとっているのだった。
そこへ玉太郎が金切声を発したものであるから、恐竜の耳にもとどいたと見え、恐竜はくるっと首を横にまげて、玉太郎をきっとにらんだ。
玉太郎は、氷の雨を全身にあびたように、がたがたふるえ出した。
が、ここで気絶しては、自分が背負っている重大な義務がはたせないと思いなおして、けんめいにこらえた。
「今だ。早くにげなさい。ツルガ博士。ネリーさーん」
玉太郎は、全力をあげて、やっとそれだけのことをいった。
と、恐竜はとつぜんどぼんと、沼の中に姿を消してしまった。
沼の表面には、はげしい波紋が起って、岸のところへ波がざぶりとうちあげた。
竪琴が急調をふくんで鳴りひびいた。
ツルガ博士の手が、竪琴の糸の上を嵐のようにはしっているのだ。
ネリが、父親の博士にだきつくようにして、その耳に何かささやいている。
そのとき玉太郎は、とつぜん大きな身体にだきつかれた。
「おお、玉太郎、玉太郎。よくここへもどってくれた」
その大きな身体は、実業家のマルタンであった。
ツルガ博士が腰をおろしていた大木のうしろで、ぶるぶるふるえていたマルタンであった。
「君は小英雄だ。恐竜をおっぱらってくれた」
マルタンは、玉太郎へほめことばと感謝を、こういって投げつけた。
「いったい、どうしたのです」
玉太郎が、たずねた。
「ツルガ博士が竪琴をひくから、恐竜がそれを聞きつけて襲撃してきたのだ。私は博士に、琴をひくのをすぐやめるようにいったのに、博士は頑としてきかない。君があのとおり恐竜をおっぱらってくれなかったら、私たち三人は次々に恐竜の餌食になってしまったろう。ああおそろしや」
マルタンは、もう一度はげしく身ぶるいして、沼の方をふりかえった。
水面は、もう静かにもどって、しずまりかえっていた。
岸のところへ木の根の上には、ツルガ博士がネリをだいてやさしくネリの頭髪をなでていた。
「たいへんなことができたんですよ。マルタンさん。この奥の恐竜洞へいった人たちが岩から落ちて、上ってこられなくなったんです。ラツールもやはり落ちていたのです」
「ええッ」
それから玉太郎は、早口でそのいきさつをのべた。
そしてすぐにロープを洞窟へはこんで彼らを救い出さないと、四人の人たちは恐竜に殺されてしまうであろうといった。
「それはたいへんだ。みんな力を合わせなくては。おーい、ツルガ博士。たいへんなことが出来たんです。恐竜が伯爵やケンやダビットやラツールをくい殺そうとしているそうです。あなたも力を貸して下さい」
マルタンはそういって博士に呼びかけたが、博士はそれにたいして、頭を二つ三つ左右にふり、そのあとで、同じように手をふっただけであった。
ネリの方はびっくりして立ち上り、博士の手をとって立たせようとした。
だが博士は、お尻に根がはえたように、その位置から動かなかった。
「邪悪な慾望を持った者たちの上に、おそろしい災難が落ちかかるのは、あたり前だ。わしは彼らに同情する気がおこらない。わしは恐竜の方に味方する。あの人たちが何をいおうと、かかわりあわないがいい」
博士は、ネリにいった。
ネリは苦しげに眉をよせて、父親と、玉太郎とマルタンの両人とを見くらべたが、やがて力なくその場にしゃがんだ。
玉太郎は、ツルガ博士のたいどとことばをふかいに感じた。
四人の人間の生命が失われそうなときに、博士は自分だけが正しいのだ、自分さえよければいいんだと思っているらしいのにたいし、いきどおりをおぼえた。
だが、そのことで博士をとがめているひまはなかった。
そんなことよりも、早く大ぜいの救援隊員をあつめ、それから長いロープをかついで、恐竜の洞窟へ一刻も早くかけつけなくてはならないのだ。マルタンも同じことを考えていたようで、こう言いました。
「玉太郎君。あの人は放っておいて、早く海岸へ行って、他の人たちに協力をお願いしようではないか。その方が早い」
「ええ、それでは急いで、海岸へ戻りましょう」
そう言って、二人は密林のなかへ駆け込みました。

海岸の乱宴

太ったマルタン氏が、懸命に密林の雑草をかきわけて、少しでも早く走ろうとするその姿は、どこか滑稽でもありましたが、その誠実な心を思えば、玉太郎は笑うことなどできませんでした。
二人は、焼けつくような喉の渇きを我慢し、顔や手足に引っかき傷を作りながら、密林を突破しました。

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