初級翻訳・悪霊物語 第3話

悪霊物語

老人は用心深く、あの物体に覆いの布をかけてしまったのかもしれません。
「これですよ。この中ですよ」
燭台をかざしたのは、一つの大きな黒い箱の上でした。それは西洋の装飾寝棺に似ており、外側の黒い色は漆のようにツヤツヤと光っていました。老人は燭台を置くと、またポケットから鍵束を取り出して、その黒い長い箱の錠前を外しました。そして、燭台をかざしながら、その蓋をソロソロと開いていきました。

蝋燭の光と一緒に、蘭堂の目がチラチラと揺れました。箱の中には、白いなめらかなものが横たわっていました。蓋がすっかり開いてしまうと、それは美しい裸体の女であることがわかりました。蘭堂は愕然として、一歩うしろに下がりました。蝋人形というものが、こんな恐ろしい美しさを持っているとは、思いもよらなかったのです。ああ、これが生きた人間でなく蝋細工だなんて、そんなバカなことがあるものでしょうか。

「お気に召しましたか。美しい女でしょう。これは生きているのですよ」
老人はささやくような低い声で言いました。すると、その声が蝋人形に通じたのか、美しいまぶたがブルブルと震えて、パッと目を開きました。蝋細工ではない、本物の目でした。それがじっと蘭堂の顔を見つめていました。

蘭堂の鼓動が早くなりました。逃げ出したいような恐怖を感じました。伴天連(バテレン)爺さんとはよくも名付けたものです。彼は本当に伴天連の魔術を心得ているのでしょうか。

「ハハハ、大江蘭堂さんは、こんなものに驚くような方ではないと思っていましたがね。あなた、顔が青くなっていますよ。ハハハハハ、わたしは天下の大江蘭堂をびっくりさせましたね。先生のお書きになる怪談と、わたしの発明した怪談と、どっちが怖いでしょうかね」
爺さんは顔じゅうを、すぼめた提灯のようにシワだらけにして、歯の抜けた口を耳まで広げて、悪魔のように笑っていました。

「これが蝋人形ですか。なにかカラクリ仕掛けでもあるのですか。ああ、目だけじゃない。唇が動いている。息をしている……」
「生きているでしょう。あなた、わたしのトリックにかかりましたね。これは本当に生きているのですよ。人造人間じゃありません。さわってごらんなさい」
老人は無理に蘭堂の手を引っ張って、箱の中に横たわっている美女の肌に触れさせました。その肌は暖かくて弾力がありました。すると、人形がくすぐったいと言うように身もだえして、ムクムクと起き上がりました。その時は、さすがの怪奇小説家も心臓が止まる思いをしましたが、すぐにそれが老人形師の子供らしいトリックであることがわかりました。箱詰めになっていたのは人形ではなく、本当の生きた人間にすぎなかったのです。

「ひどいいたずらをしますね。可哀そうにこのお嬢さんは、箱の中でさぞ息苦しかったことでしょう」
蘭堂はそう言いながら、美しい裸女の手を取って引き起こし、箱の外へ出るのを手伝ってあげました。
「ごめん、ごめん。これが怪奇小説家のあなたには、何よりのご馳走だと思いましてね。実はこの女は、わたしのモデルなんですよ」

だが、不思議なことに、この美しいモデルの娘は、少しも裸体を恥ずかしがる様子がありませんでした。無言のまま向こうの衝立(ついたて)の陰に入り、しばらくすると、素肌の上にガウンを着たらしい様子で出てきました。

「先生、まだ心臓が静まりませんね。こういうときは一杯やるに限ります。この子に酌をさせて、あちらでまた一杯やりましょう」
老人形師は燭台を持って先に立ち、その次にガウンの美女、あとから蘭堂が続きました。以前の書斎でそれぞれ椅子にかけると、またコニャックの酒盛りが始まりました。心がときめいているので酒の回りが早く、蘭堂はすぐに酔い心地になりました。

美女はほとんど口をききませんでした。何か言われると、ニッコリ笑って頷いたり、首を振ったりするばかりでした。しかし、彼女も酒を少しずつ飲んでいました。やがて目のふちがポーッと赤くなってきました。娘は人形から人間になって、また元の人形に戻っていくように感じられました。生きた人間にしてはあまりに美しすぎたのです。ホフマンのオリンピア嬢も、こんな美しさだったのかもしれません。もし生きているとすれば――いや、生きているに違いないのですが――このシワくちゃの老人が、どうしてこんな美しい女を手に入れたのか、不思議でたまりませんでした。

「このモデルの娘さんは、なんと呼ぶのですか」
「最上令子と言います。これをモデルにして、寸分違わない美人人形を造りたいのです。いま、体の調子を見ているのですよ。最良の状態のときに、石膏を塗りつけるのです」

令子はパチッとまばたきをしました。まるで自動人形のようなまばたきでした。人間らしくなくて、人形とそっくりの娘。そこから、この世のものとは思えない、あやしい美しさが放たれていました。人間らしくないところに、言葉では言い表せないほどの強烈な魅力がありました。

「令子さん、あなたは自分とそっくりの人形が出来上がることを、怖いとは思いませんか?」
蘭堂は、はじめて娘に話しかけました。
「いいえ」
彼女はかすかに微笑み、小さな声で答えました。
まるで人形が、何かの仕掛けで喋っているかのようでした。
彼女は背筋をピンと伸ばして椅子に座り、顔は正面を向いたまま、少しも動かそうとしませんでした。

蘭堂と老人形師は、この美女をそばに置いたまま、一時間近くもコニャックを飲みながら、人形についての話を続けました。
「それじゃあ、令子さんをモデルに仕事をはじめたら、ぜひ知らせてください。
どうしても見たいのです。
約束しましたよ」
蘭堂はひどく酔っ払っていて、ろれつが怪しくなっていました。

二人に送られて外に出たときのことです。玄関の戸口で、令子の手が蘭堂の体に触れました。
意味ありげな触れ方でした。
彼は暗い夜道に出て、電車の駅の方へフラフラと歩きながら、その触れられた感触を思い出していました。
ふと、もしやと直感した彼は、触れられた側のポケットに手を入れてみました。すると、小さな紙切れが入っていたのです。
街灯の下まで急いでその紙切れを調べてみると、鉛筆で次のような走り書きがされていました。

「この爺さんは大悪人です。
助けてください。
わたしは殺されます」

(附記:本作は一挙掲載された作品であり、この後の発展篇は角田喜久雄君が、解決篇は山田風太郎君が執筆しました。)

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