【作者の言葉】
私は探偵小説を書いている者です。でも、「探偵小説」といっても、今ではいろいろなタイプに分かれていて、昔ながらの探偵小説とはずいぶんイメージが違うものもあります。
私が書く作品は、最後まで読んでもらわないと分からないかもしれませんが、いわゆる王道の本格探偵小説とは少し違うかもしれません。かといって、最新の流行を取り入れたモダンなスタイルでもありません。結局のところ、私好みの少し古風で、怪奇な雰囲気の世界から抜け出せないだろうと思います。
つまり、私自身にしか書けない探偵小説を書くしかないのです。
ですから、もし今回初めてこのタイプの小説を読むという方がいたら、私の作品だけを読んで「今の探偵小説ってこんなものか」と決めつけないでくださいね。ぜひ、他のタイプの作品もあわせて読んでみてほしいと願っています。
大正十五年十二月七日「東京朝日新聞」
【死人の腕】
小林紋三(こばやし もんぞう)は、フラフラに酔っ払って安来節(やすぎぶし)の寄席「御園館(みそのかん)」を出ました。
舞台の娘たちの必死な歌声と、それに合わせるお客たちのものすごい怒号が混ざり合って、頭の中がしびれるようでした。寄席の外に出ても、まるで船に乗っているときのようなめまいで、足元がふらつきます。
道の両側に並んでいる夜店の屋台が、自分の方へドッと押し寄せてくるような気がしました。
紋三は明るい大通りを歩きながら、なるべく他の人の顔を見ないようにあごを胸に押し付け、公園の方へ急ぎ足で向かいました。
もし友達が散歩していて、自分が寄席からコソコソと出てくる姿を見られたら……と思うと、落ち着きません。
気がつくと、どんどん歩くのが早くなっていました。
半町ほど歩くと、薄暗い公園の入口に出ました。広い十字路を境に、人の姿はまばらになっていました。
紋三は、池の鉄柵のそばにあるおでん屋の赤い行燈(あんどん)の光で、腕時計を確認しました。もう十時です。
「さて、帰るかな。でも、帰ったところで何もすることがないな」
自分の借りている部屋のしんと静まり返った空気を思い浮かべると、なんだか帰る気がしません。
それに、春の夜の浅草公園は、不思議と彼を惹きつけてやみませんでした。
紋三は帰る方向とは反対に、公園の中へと足を踏み入れました。
この公園には、歩いても歩いても見終わらないような不思議な魅力がありました。
どこかの隅っこで、とんでもない事件に出会うような気がしたのです。何か素晴らしいものが発見できそうにも思われました。
彼は公園を横切る真っ暗な大通りを歩いていきました。
右側にはいくつもの広場を囲む林があり、左側には小さな池が続いています。池では時々、鯉(こい)が跳ねてボチャンと音がしました。藤棚を屋根にしたコンクリートの小さな橋が、ぼんやりと白く浮かび上がっています。
「大将、大将」
気がつくと、右側の闇の中から誰かが彼を呼んでいました。妙に声を押し殺したような呼びかけです。
「なんだ」
紋三は、強盗にでも襲われたかと思うほど大げさに驚き、身構えました。
「大将、ちょっとちょっと。他の人には言わないでくださいよ。ここだけの秘密です。これ、すごく面白いものですよ。五十銭、奮発してくれませんか」
縞(しま)の着物に鳥打帽をかぶった三十歳くらいの男が、ニヤニヤしながら近づいてきました。
「それは、何だ?」
「へへへ……ご存知のくせに。決してインチキじゃありませんよ。ほらね」
男はキョロキョロと周りを見回してから、一枚の紙片を遠くの街灯の光に透かして見せました。
「じゃあ、もらおう」
紋三は別にそれが欲しいわけではありませんでしたが、ふと物好きな好奇心が湧いて、五十銭銀貨と紙片を交換しました。そして、また歩き出しました。
「今夜は幸先がいいぞ」
臆病なくせに冒険好きという、紋三の心はそんなことを考えていました。
吉原帰りで酔っ払ったらしい店員風の四、五人組が、肩を組んで調子外れに歌いながら通り過ぎていきました。
紋三は共同便所のところで右に曲がり、広場の方へ入っていきました。
隅っこに置かれたベンチには、いつも通り浮浪者たちが寝る支度をしていました。ベンチの周りには、おびただしい数のバナナの皮が踏みつぶされています。浮浪者たちの夕食だったのでしょう。中には、近くの料理屋からもらってきた残飯を二、三人で分け合っている者もいました。
高い街灯が、そんな光景を青白く照らしています。
紋三がそこを通り抜けようと二、三歩進んだとき、すぐ脇の闇の中で何かが動く気配を感じました。
見ると、暗くてよくは分かりませんが、普通ではない、ひどく奇妙なものがそこに立っていました。
紋三は一瞬、不思議な気持ちになりました。自分の頭がおかしくなったのかと思いました。
しかし、目が闇に慣れるにつれて、だんだんと相手の正体が分かってきました。
そこに立っていたのは、哀れな一寸法師でした。
十歳くらいの子供の体に、借り物のような立派な大人の顔が乗っかっているのです。
それがまるで生人形のようにすまして彼を見返している姿は、あまりにも滑稽(こっけい)で、同時に不気味でもありました。
紋三は、そんなにジロジロと眺めては失礼なような気がしました。それにいくらか怖くもあったので、紋三はそのまま何気なく歩き出しました。
振り返って見るのも、なんだかためらわれました。
それから彼は、いつものように公園の広場から広場へと歩き回りました。
気候がいいので、どこのベンチも人でいっぱいでした。
たいていは一つのベンチを一人で占領して、洗いざらした法被(はっぴ)姿の男たちが、長々と横たわっていました。
中にはもういびきをかいて、泥のように熟睡している者もいました。
まだ慣れていない浮浪者たちは巡査の目を恐れて、ベンチを避け、鉄柵の中の暗い茂みを寝床にしていました。
そんな場所を、奇妙な散歩者たちが歩き回るのです。
寝床を探す浮浪者、刑事、サーベルをガチャガチャいわせて三十分ごとに巡回する正服の巡査、紋三と同じような物好きな人たちなどが主な顔ぶれでしたが、他にもそれらのどれにも属さない、一種異様な人たちがいました。
彼らは一寸(ちょっと)その辺のベンチに腰を下ろしたかと思うと、すぐに立ち上がって同じ道を何度も何度も往復するのです。
そして木立の間の暗い細道などで別の散歩者に出会うと、意味ありげに相手の顔をのぞき込んだり、自分でも持っているくせに、相手からマッチを借りたりしました。
彼らはひげをきれいに剃り落として、つるつるした顔をしていました。
縞(しま)の着物に角帯(かくおび)などを締めているのが多かったです。
紋三は以前から、こうした人物に一種の興味を感じていました。
なんとかして彼らの正体をつきとめてみたいと思っていました。
彼らの歩き方などから、あることを想像しないでもなかったのですが、それにしては皆三十歳や四十歳の汚らしい年寄りばかりなのが不思議でした。
屋根つきの東屋(あずまや)風の共同ベンチのそばを通りかかると、その奥の暗いところで喧嘩のような声が聞こえました。
この公園の浮浪者たちは意外と弱虫で、危ないことはないだろうと考えていた紋三は、少し意外な気がしました。
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