初級翻訳・海底の魔術師 第15話

江戸川 乱歩

「ほら、あれが大洋丸だよ。でっかいだろう」
技師の言葉に下を見ますと、貝殻がいっぱいついた巨大な船体が横たわっていました。
それがスーッと近づいて、潜水機は、傾いた大洋丸の甲板にあるハッチの近くにとまりました。
向こうの方を、目玉のように光るものがスーッと通り過ぎました。
「あれ、なんですか? 自動車のヘッドライトみたいなもの」
「潜航艇だよ。ああして大洋丸のまわりをぐるぐる回っているんだ。いつ敵の魚形潜航艇が現れるかもしれないからね」
そのうちに、空中から、いや、海中の上の方から奇妙なものがスーッと下がってきました。
鉄の網と、それに取りついた三人の潜水夫です。
鉄の網は甲板のハッチのすぐそばにおろされ、三人の潜水夫は水中電灯を振ってこちらへ挨拶を送りながら、次々とハッチの中へ降りていきました。
降りていったあとには、三本のロープと送気管が、長い藤づるか何かのようにゆらゆらと揺れていましたが、しばらくするとその一本がピンと張り切って、つまり上から引き上げられて、ひとりの潜水夫が四角な木の箱を抱えてハッチから出てきました。
そして、その箱を鉄の網の中へ入れました。
入れ終えるとまたハッチの中へ戻っていくのです。
すると次の潜水夫が現れ、同じような箱を鉄の網に入れ、戻っていくとまた次の潜水夫という具合に、三人の潜水夫がハッチから出たり入ったりしているうちに、鉄の網の中にはだんだん箱の数が増えていきました。
金塊の箱は全部で三十個ありましたが、一度には無理なので、半分の十五個を鉄の網に入れると、潜水夫が電話で知らせて引き上げることにしました。
十五箱で膨らんだ鉄の網は、それを下げている太い鉄のロープがピンと張って、ゆらゆらと引き上げられていきます。
三人の潜水夫は、斜めになった甲板に立ってそれを見上げています。
ところが、鉄の網が十メートルほど上がったときです。
潜水夫のひとりが飛び上がるような変な格好をして、鉄の網の上の方を両手で指さしているのです。
すると、あとの二人の潜水夫も同じように両手を上げて、狂ったようにおどり始めました。
「おや、変だぞ。」「もしもし、潜水機を12メートルほど引き上げてください! 鉄の網のロープがどうかなったようです。早く、早く上げてください!」
技師が電話口で叫びました。
潜水機がガクンと揺れて、スーッと上へ上がっていきます。鉄の網を追い越して、ロープのあたりまで来ました。
「そのまま、鉄の網と潜水機を同じ速度で引き上げてください!」
電話でそう指示してから、前のハンドルを操作すると、潜水機の窓がロープの方を向き、強い電灯の光がそこを照らし出しました。
「あっ、カニだ! カニがロープにぶらさがっている!」
小林君が思わず叫びました。
人間の二倍もある、あのおばけガニです。そいつが鉄の網のロープにすがりついて、何かモガモガとやっているのです。
「あっ、大変だ! あいつはロープを切ろうとしている。大きなヤスリをノコギリみたいに動かしているぞ!」
今度は技師が叫びました。そして電話口に向かって、
「もしもし、潜水機を鉄の網に近づけてくれ! ロープを切ろうとしている奴がいるんだ。こちらは鉄のツメで攻撃する!」
潜水機はスーッとロープへ近づいていきました。巨大なカニがすぐ目の前でうごめいています。
「さあ、戦いだ! 見ていろよ。今に鉄のツメで、あいつをやっつけてやるからな!」
技師は勇ましく叫ぶと、前のハンドルに手をかけました。
ギーッという音がして、潜水機の横についている巨大な鉄のはさみが動き始めました。カニの背中はすぐ目の前です。鉄のツメはその方へニューッと伸びていきました。しかし、潜水機そのものが上からぶらさがっている状態なので、思うようにはいきません。あと一息というところで、なかなか届かないのです。
「もっと近づけてくれ、もっと、もっと!」
電話口に怒鳴りながら、技師は歯ぎしりをしてハンドルを動かしています。
「あっ、届いた! しめたぞ!」
ハンドルをガチンと動かすと、鉄のツメがグッと挟みました。カニの足を二本挟んで、ぐいともぎ取ってしまったのです。
しかし、相手は平気です。作り物のような足を切り取られたって、なんともない様子です。ヤスリの動きはますます激しくなり、キーキーという音が潜水機の中まで聞こえてくるような気がしました。鉄の網も潜水機も全速力で引き上げられています。ロープが切れる前に引き上げてしまおうというのです。
もうハヤブサ丸まであと10メートルほどになりました。あと一息です。
しかし、ああ、そのときです。ついにロープが切れてしまったのです。
おばけガニはロープから離れると、スーッと向こうへ消えていきました。鉄の網は恐ろしい勢いで下へ落ちていきます。網が広がって、15個の箱がバラバラに散らばって落ちていきます。あるものは大洋丸の甲板にぶつかり、あるものは海底の岩にぶつかり、腐った木の箱は壊れて飛び散り、ピカピカ光る金塊が八方に散乱しました。

賢吉少年の危難

それがわかると、ハヤブサ丸の上は大騒ぎになりました。
すぐに五人の潜水夫を潜らせて金塊を集めることにしましたが、五人も潜水させるためには様々な準備をしなければなりません。それに真っ暗な夜のことですから、仕事はなおさら難しいのです。ハヤブサ丸の甲板には明るい電灯がいくつも吊り下げられ、その下で大勢の船員たちが右に左に駆け回って、潜水の準備をしていました。
賢吉少年はお父さんのそばでその勇ましい様子を眺めていましたが、ちょっと自分の船室に用事があったので、そこへ降りるハッチの方へ向かいました。すると、向こうの暗い甲板から、ひとりの水夫がしきりに手招きしているのに気づきました。船の中の主要な人々や船員たちはみんな、船の反対側の縁に集まって潜水夫を下ろす仕事をしていました。電灯もそのあたりにしかついておらず、他の甲板は真っ暗なのです。その真っ暗な甲板から水夫が手招きしているので、賢吉少年は不思議に思いました。
「なんですか?」
と尋ねると、その水夫はニコニコして言いました。
「小林さんが向こうで待っているんですよ。ぼっちゃんを呼んできてくれと頼まれましたのでね」
小林さんというのは、もちろん明智探偵の助手の、小林少年のことです。小林少年は丸い鉄の潜水機に入って海底に沈んでいましたが、さっき潜水機が引き上げられ、中から出て自分の部屋で休んでいるはずです。それが、どうして今ごろ賢吉君を呼ぶのでしょうか。
「小林さんは、どこにいるのですか?」賢吉少年がもう一度たずねると、その水夫は船のうしろの方を指さして言いました。
「あちらです。ぼっちゃんに急用があると言っています」
そう答えて、水夫は真っ暗な船尾の方へと歩いていきました。
賢吉少年は「変だな」と思いましたが、まさかハヤブサ丸の中に敵が入り込んでいるなんて夢にも思わず、少年探偵団の団長である小林君が呼んでいるとあっては、団員として命令に背くわけにはいきません。つい、うっかりと水夫の後についていってしまいました。
船尾の甲板は、気味が悪いほど真っ暗でした。
目をこらして見回してみても、人の影らしいものは見当たりません。

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