初級翻訳・魔法人形 第1話

江戸川 乱歩

腹話術

 小学六年生の宮本ミドリちゃんと、五年生の甲野ルミちゃんは、学校の帰り道、仲良く手をつないで赤坂見附の近くにある公園に入っていきました。
 その公園は、学校とふたりの家のちょうど中間あたりにある、千平方メートルほどの小さな公園です。緑の林に囲まれていて、三分の二が芝生、残りの三分の一が砂場になっています。砂場のほうにはブランコやすべり台があり、芝生のまわりには屋根付きの休憩所やベンチが置かれています。
 いつもならブランコやすべり台でたくさんの子どもたちが遊んでいるのですが、その日はどうしたことか、子どもの姿がひとりも見当たりません。芝生のほうもがらんとしていて、誰もいないのです。
「まあ、なんだかさびしいわね。今日はどうしちゃったのかしら?」
 ミドリちゃんが不思議そうに言いました。ミドリちゃんは体格がよく、ふっくらとした顔色も健康的な、快活でしっかりした女の子です。
「でも、あそこにふたりいるわ。おじいさんと、小さな男の子が……」
 ルミちゃんがそのほうを指さしました。ルミちゃんはミドリちゃんに比べるとずっと小柄で、まるで人形のように可愛らしい顔立ちをしています。
「あら、ほんとね。あんな隅っこにいるから気づかなかったわ。あのおじいさん、立派なひげね」
 なんだか優しそうなおじいさんだったので、ふたりはついそのほうへ近づいていきました。大きな木の下のベンチに、見事な白ひげを胸元まで垂らしたおじいさんが、ちょこんと腰かけています。灰色の背広を着て、小さな鳥打ち帽をかぶっています。その帽子からは真っ白な髪がふさふさとこぼれ、まゆ毛も口ひげも、長いあごひげも、すべてが真っ白でした。
 おじいさんの膝の上には、五、六歳くらいの可愛い男の子が座っています。その子は荒い格子柄の背広を着て、おじいさんと同じ柄の鳥打ち帽をかぶっていました。頬はリンゴのように赤く、大きな黒い目をくりくりと動かしています。
 ふたりの少女が手をつないで近づいてくるのを見ると、白ひげのおじいさんはにっこりと笑いました。黒縁のメガネの奥で、細い目が優しそうに光っています。
「ほら、可愛いお姉さんたちが来てくれたよ。坊や、お友だちになっていただくかい?」
 おじいさんが膝の上の男の子に話しかけると、坊やの黒い目がくるくると動き、赤い口がぱくぱくと開いたり閉じたりしました。
「うん。ぼく、こっちのお姉ちゃんが好きだよ」
 かん高い、きいきいとした声です。それにしても、この坊やの口と目はなんて大きいのでしょう。赤いくちびるをぱくぱく動かすと、まるで耳まで裂けてしまうのではないかと思うほどです。可愛いけれど、どこか不思議な子です。
「こっちのお姉ちゃんて、この子かい?」
 おじいさんがルミちゃんのほうを指さして聞きました。
「うん、そうだよ」
 坊やが、きいきい声で答えました。
「ハハハ……。坊やが、君のことが好きだと言っているよ。君、なんて名前だい?」
 おじいさんが笑いながら尋ねました。好きだと言われたルミちゃんは、ポッと顔を赤くして、恥ずかしそうに答えました。
「甲野ルミっていうの」
「おお、ルミちゃんというのか。いい名前だね。わたしは青山に住んでいる黒沢というものだよ。坊や、このお姉ちゃんはルミちゃんだよ」
「うん、ルミちゃんと握手しよう!」
 坊やが大きな口をぱくぱくさせました。
「ハハハ……。坊やが君と握手したいと言っているよ」
 坊やは小さな手をぐっとこちらへ差し出しました。自分を好きだと言ってくれたので、ルミちゃんもこの可愛い坊やのことがすっかり気に入ってしまいました。それで、右手を出して坊やの小さな手を握りました。
 おやっ、なんと冷たくて硬い手でしょう。坊やの手は、まるで木でできているみたいにちっとも動きません。こちらが握っても、握り返してくることもないのです。ルミちゃんはびっくりして手を離し、不思議そうな顔をして坊やをじっと見つめました。
 この坊やは、いったい生きているのでしょうか。木か何かでこしらえた人形ではないのでしょうか。
 すると、おじいさんが面白そうに笑い出しました。
「ハハハ……。やっと気づいたかね。この坊やは人形なんだよ。ジャックという名だよ。わたしの大事な、可愛い人形なのさ」
「ああ、わかった! おじいさんは腹話術師なのね。坊やの代わりに、おじいさんが口を動かさないで子どもの声でしゃべっていたんでしょう?」
 ミドリちゃんが言い当てました。以前、パパとママと一緒に寄席へ行ったとき、腹話術を見たことがあったのです。でも、そのとき見た人形は真っ黒な色をしていて、最初から人形だとすぐにわかったのですが、このおじいさんの人形は、本物の男の子のように精巧にできているので、今まで気づかなかったのです。
見れば見るほど、まるで生きているかのような人形です。

「そうだよ。よくわかったね。普通の腹話術の人形と違って、これはわたしが丹精込めて作り上げた上等の人形だから、なかなか見分けがつかないだろう。あんたは、賢いお嬢さんだね。なんていう名前かな?」

「宮本ミドリっていうの。それじゃあ、このお人形、おじいさんが作ったの?」

「うん。わたしは人形師なんだ。人形を作ることが本職だよ。腹話術は、ちょっとした楽しみとしてやっているだけさ。しかし、なかなか上手だろう?」

「ええ。この坊やが、本当にしゃべっているように聞こえたわ」

「こうして、わたしの右手が人形の服の下から背中へ入っているのだよ。人形の首に仕掛けがあって、指でそれを引っ張ると、目が動いたり、口をぱくぱくさせたりするんだ。ほら、ごらん! またしゃべりだすから……」

おじいさんがそう言ったかと思うと、坊やの目がくりくりと動き、赤い大きな口がぱくぱくと動きはじめました。

「ルミちゃん、ぼくと遊ぼうね。ぼく、ルミちゃんがとても好きなんだ。ミドリちゃんは、そんなに好きじゃないよ。だから、ぼくはルミちゃんに話すんだ。ねえ、ぼくのおじいちゃんは人形を作る名人なんだよ。おじいちゃんの家にはね、ウジャウジャ人形がいるんだ。大人の男の人もいるし、女の人もいるし、お嬢さんもいる。ぼくみたいな子どももたくさんいるんだよ。それから、動物だっているんだ。クマや、サルや、犬や、ネコや……」

そう言うたびに、感情を込めるように、大きな目をくるっ、くるっと動かします。本当に可愛い坊やです。ルミちゃんはその顔を見ていると、人形だとわかっていても、やっぱりこの坊やのことが好きでたまりませんでした。それに、白ひげのおじいさんが人形作りの名人だと聞くと、このおじいさんのことも好きになり、おじいさんの家にあるたくさんの人形を見てみたくなりました。

「美しいお姉さんの人形もあるの?」

「うん、あるよ。友禅の振り袖を着て、金襴の帯を締めた、うっとりするようなお姉さんがいるよ。そして、そのお姉さんが、優しい声で歌をうたうんだ」

「まあ、歌をうたうの? 人形が?」

「うん。ぼくのおじいちゃんは名人だからね。機械仕掛けの人形を作るんだよ。歌も歌うし、ものも言うし、歩くこともできる。おじいちゃんの人形は、みんな生きているんだよ。

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