初級翻訳・潜航艇「鷹の城」 第4話

小栗 虫太郎

それがそもそも、今の生活に入る原因となったのでしたけれど、私の悲運は、十七年たった今日になっても尽きようとはいたしません。
せっかく貴方の墓のつもりで引き揚げた『鷹の城』も、ついには私たちの生計の糧として使わねばならなくなりました。
私たちはこれ以上、安逸な生活を続けることが不可能になったのでございます。
それで八住は、船底を改装してガラス張りにし、いよいよ海底遊覧船に仕立てることにいたしました。
そうして再び、貴方のお船『鷹の城』は動くことになりましたけれど、私にとっては、貴方のお墓を作る機会がこれで永遠に失われてしまったことになります。
ですけれど、貴方の幻だけはかたく胸に抱きしめて――あの気高くも運命はかなき海賊、いいえ、男爵海軍少佐テオバルト・フォン・エッセンは、死にさえも打ち勝って、このような熱い接吻で私の唇を燃やすではございませんか。
貴方、そんな首のあたりなどはくすぐったうございますわ。
ねえ、耳たぶへ……貴方……」

フォン・エッセン艇長とウルリーケとを結びつけた、かくもかたい愛着の絆を前にしては、現在の夫である八住衡吉などは、むろん影すらも存在しないのだった。
ウルリーケは次々と湧き上がる回想のために、しばらくむせび泣いていたが、やがて歩を返し、つづいて艇長の最期を語るために、詩人の犬射復六が朝枝に連れ出された。
ところが、この元事務長の口から、艇長の最期にまつわる驚くべき事実が語られたのである。

二、「鷹の城」の怪奇

「私はこの際、フォン・エッセン艇長の最期を明らかにして、世間で噂されている誤った説を打ち砕きたいと考えます。
私ども四人が当時乗り込んでおりました貨物船『室戸丸』は、その折、ロシア政府の傭船となっておりましたので、『鷹の城』の襲撃をこうむることは、むしろ当然の成り行きであると言えましょう。
一九一七年三月三十日、室戸丸は『鷹の城』のために、晩香波(バンクーバー)島を去る七十海里の海上で拿捕されました」
こうして、犬射が語りだす遭難の情景を、作者は便宜上、船内日誌を借りて記すことにする。

本船は横浜を出港する際、以前捕鯨船の砲手であったヴィデを招き、同時に四インチ砲を二門積み込んだのであった。
それは左右両舷に据えられた。
しかも数箱の砲弾が甲板に積み上げられたのである。
だが、どうしてだろう? 北太平洋には、いまや氷山のほか何ものも恐れるものはないではないか。
じつに本船は、フォークランド沖の海戦で撃ち漏らされたドイツの潜水艦を恐れていたからである。
ドイツ・スペイン艦隊の旗艦シャルンホルスト号には、二隻の艦載潜航艇があったのだが、そのうち一隻は傷つき、他の一隻は行方知れずになってしまった。
それ以来、濃霧のような、海魔のようなものが、北太平洋の北圏航路を覆い包んでしまったのである。
ある船は海面に潜望鏡を見たといい、また、覗いたかと思うとすぐに姿を消したという船もあった。
しかし本船は、この一夜で航程を終えようとしていた。
それが西経一三三度二分、北緯五十二度六分、女王シャーロット島を遠望する海上であった。
日が暮れると同時に重い防水布を張り、電球は取り除かれて、通風口は内部から厚い紙で蓋をしてしまった。
操舵室も海図室も同じように暗く、内部も外部も、闇夜のような船であった。
「ですが、奴らは、なかなかうまくやりますからね」
六回もドイツ潜水艦の追跡を受けたという手練れのヴィデは、碧い眼をパチパチと瞬いていった。
「僕は、本船のまえはフランス船にいたんですが、あれに、こういう大砲の一、二門もあったらなア。
なにしろね、船に魚雷を喰わせやがって、悠々と現われてくるんです」そのうえ、奴らはまるで見物席にでもいるような顔で、こちらを眺めているではありませんか。
ところが船は、右舷を下にして急速に傾いていきます。
乗組員が全員去ったあとも、私たちはまだ船橋に踏みとどまっておりました。
するとそこへ近づいてきて、「立ち去らなければ殺すぞ」と脅してくるのです。
いやはや、私はなんとか漁船に救われましたがね」
そう言ってヴィデは、通風筒の陰でタバコに火を点けましたが、何を思ったのか、遭難時の注意をこまごまと話し始めました。

「いいですか、いざという時には、ジグザグに進むんです。
絶えず羅針盤を見て、四十五度ずつ旋回する。
そうすれば、たとえ潜航艇が船影を認めたとしても、魚雷を発射するのが非常に難しくなります。
ねえ、そうでしょう?
まず相手は、狙った船の進路と速度を正確に計算しなければならない。
それから、いよいよ発射する位置に向かって潜行を始めるわけです。
ところが、いざという土壇場でまた潜望鏡を出してみると、船の方はジグザグに進んでいる。
そうなると、計算を最初からやり直さなければならなくなるんです。
それから、救命ボートはいつでも降ろせるよう、甲板の手すりと同じ高さに合わせておいてください。
そう、すぐに降ろせるようにね。それから、水樽とビスケットを……」
「だが、本船の危険はもう去ったも同然じゃないか」
八住船長は、ヴィデがやけに警戒を始めたのを不審に思ったようでした。
「とにかく、夜明けまでにはバンクーバーに着く。
それに、本船には大砲があるんだ。
ヴィデ君、君も砲術にかけては選り抜きの名手だろう?
ハハハハ、もし現れたらグワンと一発、見舞ってやってくれ。
なに、君の腕なら、潜航艇もマッコウクジラも同じことさ」
「いいえ、むしろ明日入港というような晩こそが危険なんです。
船長、甲板での葉巻は止めていただきましょう」
そう言って銜えていた葉巻をグイと引き抜いたとき、かたわらにいた無電技師がアッと叫び声を上げました。

「おいヴィデ君、あれは何だ?」
一同は高鳴る胸を押さえ、じっと凝視しました。
飛沫の中を消えたり点いたりしながら、闇の海上を進む微かな光がありました。
その頃は小雨が激しさを増し、大きな波がうねり、舳先は水に没して、両舷を激しい飛沫が洗っていました。
ヴィデは部署につき、無電技師は電鍵をけたたましく打ち始めました。
「危険に瀕す。現在の位置において、救助を求む」
その返電に、バンクーバーの停泊艦隊から急行するという返答がありましたが、しかし、時はすでに遅かったのです。
ヴィデも激しい波に阻まれて、照尺(ねらい)を定めることができません。
なにしろ相手は一点の灯火、こちらは闇に浮かぶ巨大な館のような船体です。
それが、悔やんでも悔やみきれない室戸丸の不運でした。

煙突は真っ黒な煤煙に混じえて火炎を吐き出し始めました。
船体がビリビリと震え、闇に迫る怪艇の眼から逃れようとしました。
高速で旋回を試みながら、絶えず花火のような信号弾を打ち上げていました。
しかし、波間の灯は、室戸丸から執拗に離れませんでした。
やがて警砲が放たれ、右舷の近くに水煙が上がりました。
「だめです、船長。
なまじ抵抗すれば、私たちは復讐されます。
発砲は止めましょう。敵艇の砲手の腕前は驚くべきものです。
断じて、適当に撃っているわけじゃない。
最初の警告弾は本船の右舷近くに落ちました。

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