杏平は草の中から梅の実を拾い上げ、さらに落ちていないかとあたりを探しました。
熟した梅の実には、たっぷりとした果肉と、お酒のような芳醇な匂いがありました。
杏平はそれを皮の上から舌でなめてみました。
舌に、かすかな酸っぱさがピリッと刺激しました。
口いっぱいに唾液がじわっとたまってきたので、杏平は皮をむいて食べました。
種だけが口の中に残ったとき、杏平は、少年たちの仲間内でひそかに語り継がれている梅の種にまつわる、ちょっと大人びた卑わいな言葉を思い出しました。
杏平はこれまでも何度も、他の少年たちと一緒にその言葉を口にし、梅の種を石で割ったりしていました。
しかし今、その言葉をふと思い出したとき、杏平はめまいがしそうなほどの強い衝撃を受けました。
口から手のひらに梅の種を吐き出し、じっと見つめました。
その種を割ると、中から何が出てくるのか――。
杏平は、これまで何度も見てきているにもかかわらず、激しい好奇心に駆られました。
彼は手頃な石を拾い上げました。
そして石橋の上まで来ると、猫のように息をひそめて、あたりをキョロキョロと見回しました。
誰もいませんでした。
カーンと音を立てて、梅の実は二つに割れました。
ふっくらと膨らんだ、小さな柿の種に似たもの――少年たちが「天神さま」と呼んでいる中身が出てきました。
杏平はそれを手に取って見つめました。
泣きたいような快感が、彼の全身を駆けめぐりました。
杏平は思わずツルの名前を大声で呼びました。
そして、その種を小川の中に投げ込むと、まるで狂暴な犬のように、力いっぱい走り出しました。
何かに体つきあたりたいような衝動が、彼の体をうずうずさせていたのです。
杏平はその日一日、なんとなく心がぽかぽかして満たされていました。
まるで、お風呂にゆっくりつかったあとのような心地よい興奮の余韻が、心のすみずみまで広がっていました。
杏平は、何がその原因なのかを考えようともしませんでしたが。
夕方になると、少年たちはすべての遊びにすっかり飽きてしまいました。
神社の前で一日中遊び暮らした少年たちは、だんだんおうちが恋しくなってきました。
その時、誰かが「火の見櫓(やぐら)に登ろう!」と提案しました。
この思いつきは、みんなの意表を突くものでした。
少年たちの胸に、急に冒険心がむくむくと湧き上がってきました。
彼らは体がフワッと軽くなるのを感じました。
「よし、登ろう!」
みんなは先を争うようにして、火の見櫓のはしごになっている鉄の棒に手をかけました。
そして、興奮のあまり一言もしゃべらないまま、一生懸命に、まるで蟻のようにスルスルと登っていきました。
あとから登る子どもたちは、鉄の横木がなんだかヌルヌルしていることで、先に登っていった子たちの手のひらから油がにじみ出ていたことに気づきました。
そして、その油のせいで手が滑りやすくなっていることに気づき、だんだん不安を感じ始めました。
櫓の中腹あたりまで来ると、ほとんどの少年たちの勇気はしぼんでしまいました。
地面から離れることがこんなにも恐ろしいことなんだとしみじみと思い知らされ、一刻も早く足の下に動かない確かな大地を感じたくなったのです。
彼らは次々と下へ降りていきました。
しかし杏平は、一人でどんどん上へ登っていきました。
下から「すごいぞ!」と、登りきれない子どもたちの感嘆の声が上がって、杏平をさらに上へ上へと押し上げていくようでした。
杏平が怖さを感じていなかったわけではありません。
しかし、杏平の中にある不思議な力が、彼をどんどん引き上げていくのです。
杏平の耳元を風がビュービューと通り過ぎていきました。
片方の頬には、沈みゆく夕日がじりじりと照りつけていました。
自分の体ごと、鉄塔が左右に大きくグラグラと揺れているような錯覚さえ覚えました。
それでもなお、彼は登り続けたのです。
杏平は、日頃自分が抱いていた「自分はまわりとは違うんだ」という誇りが、今まさに証明されていることを感じずにはいられませんでした。
この高さの差こそが、自分と他の少年たちとの「価値の差」であるかのように思えたのでした。
(昭和十一年九月二十七日)
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