初級翻訳・神サマを生んだ人々 第6話

坂口 安吾

そんなことよりも、ほら、すぐそこに知った顔が見えませんか」
そう言われて二人がその場所を見ると、そこに座って無念無想の境地で呪文を唱え、腕を振り回しているのは、なんと川野水太郎の奥さんでした。
それを見た川野は少し暗い表情を浮かべましたが、すぐに慌てて作り笑いに切り替えて、
「変なものが流行るものだなあ」
と言いました。
「おい、ちょっと君」
大巻先生が慌てたように安福軒の袖を引っ張りました。
「そこにいるおばあさんは、例の旅館にいたおばあさんじゃないのか?」
「そうですよ。
あのやり手のおばあさんのような奴ですよ。
そして、その隣にいるのが、ボクの本当の女房ですよ」
安福軒は落ち着き払った様子でそう答えました。
おとなしそうな年増の女性が、七歳くらいの子供を連れて座っています。
子供にも手を合わせさせ、「エイヤッ、エイヤッ」をやらせているのです。
「あの子供連れが君の奥さんかい?」
「そうですよ。
なにしろ我が家はこの宗教で生活を立てていますからね、女というのは正直なものです。
バカなんですなあ。
ヒマがありすぎるんですよ。
ボクを信仰してさえいりゃいいのにねえ」
「帰ろう。
帰ろう」
川野が二人を促しました。
大巻博士は、川野と安福軒の不思議な対照をはっきりと認めざるを得ませんでした。
川野は落ち着きがないのに、安福軒はこれ以上ないほどに落ち着き払っています。
安福軒が二人に話しかけてこないのは、宗教について語り合うことに何の興味もないからなのだということが、ありありと読み取れるようでした。
二人の俗物どもが、まだ宗教の雰囲気から抜けきれず、他のことについて落ち着いて考えられないような状態にいる。
その真っ最中は、二人に話しかけても無駄だと完全に決め込んでいる落ち着きぶりなのです。
「なんてふてぶてしい、宗教への不信なのだろうか。
この男は、これまでに一度も宗教に心を動かされたことがない人間なのだ」
大巻博士はそうしみじみと痛感しました。
そして、彼の自信満々でふてぶてしい目は、一度も宗教を信じたことがない人間の目ではないかと考えました。
「オレにも、あの目が懐かしくないわけではない。
しかし、あそこまではついていく気になれないな。
要するに、愛人にインバイ(勧誘)をやらせるような男の目なのだろう」
そう思うと、彼は安福軒と一緒にいるのが不愉快でたまらなくなりました。
ちょうど曲がり角に差し掛かったのを幸い、
「ボクは川野君とどこかで一杯飲むから、ここで君とはお別れしましょう」
と言いました。
しかし、安福軒は実にさっぱりとした調子でこう返しました。
「いえ、ボクもヒマですから、一緒にお供いたしますよ。
お二人をご案内した役目は、これで果たせましたからね。
さて、どこへご案内しましょうか」
あまりにもさっぱりとした返答だったので、大巻博士はおかげで恥をかかずにすんだような、恩を着せられたような不思議な気持ちになりました。
安福軒は例の目で二人を遠慮なくじっと見つめながら、こう言いました。
「ボクは生活のためにあの宗教と離れるわけにはいきませんが、あなた方がわざわざあんな物に関心を持つ必要なんかないですよ。
あんなもののどこが面白いんですか」
そう言う彼自身も、人に嫌われながら、一体どこが面白くて二人についてくるのか理由がさっぱり分かりません。
しかし大巻先生は、ちょっとした弾みがあれば今夜のうちにも阿二羅教の信者になりかねない自分の頼りなさに気づいていました。
そして、それに比べれば、面白くもないことを承知の上でこうしてノコノコとついてくる安福軒が、ひどくたくましく感じられたのです。
彼は人生を面白がろうとはしていません。
面白くないことを百も承知のうえで、平然と生きている男の自信に、大巻先生はすっかり圧倒されてしまったのでした。

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