初級翻訳・豚吉とヒョロ子 第2話

夢野 久作

いやあ、旦那様のその丸っこい肥えっぷりといったら、まるでお祭りの手まりのようじゃないか!」
馬車屋の大声を聞きながら近づいてきたものだから、二人は顔を真っ赤にして恥ずかしがりました。
「あたし、こんな馬車屋さんの馬車になんて乗らないわよ。あとでどんな意地悪なことを言われてひやかされるか分かったもんじゃないわ」
ヒョロ子はぷりぷりして言いました。
「バカを言うなよ。二人で一緒に乗って行かなければ、何の意味もないじゃないか……。どうだい、馬車屋さん! これから町まで、通常の倍の運賃を払うから、どうか大急ぎで乗せて行ってくれないか?」
豚吉がそう頼むと、馬車屋は大きく手をパタパタと振って言いました。
「とんでもねえ! 運賃なんか一文だっていりませんよ。あんた方のような珍しいご夫婦を乗せるなんて、一生に一度あるかないかの大自慢のタネになるってもんだ。さあさあ、遠慮せずに乗って乗って!」
そう言って、馬車屋は後ろのトビラを開けてくれました。
ところが、その入り口があまりにも小さいため、豚吉のふっくらとした大きな体がどうしても中に入りません。
「しかたない、じゃあ前の御者台(ぎょしゃだい)におじさんと並んで乗ってもらって、ヒョロ子さんだけ中に乗せよう」と試みましたが、今度は天井が低すぎて、ヒョロ子が大股をかがめてもしゃがんでも、頭が天井にぶつかってしまいます。
それだけでなく、豚吉が右側にちょこんと乗ると馬車が右側にひっくり返りそうになり、逆に左側に移ると今度は左側の車軸が曲がりそうになる始末でした。
「こりゃあ、とびきり大物のお客さんだぞい。せっかくタダで乗せてやろうと思ったのに、二人とも中に入れないとは困ったもんだねえ」
「おれだって本当は乗りたいけれど、これじゃあどうしようもないな」
「もう馬車に乗るのなんかやめにしましょうよ。あなたも少しはガマンして、自分の足でお歩きなさいよ」
二人がそんなやり取りをしていると、馬車屋のおじさんは突然「ポンッ」と手を叩きました。
「おお、いいことを思いついたぞ! 二人とも、いっそ馬車の屋根の上に乗りなさい。わしがゆっくりとソロリソロリと歩かせてあげるからさ」
「おっ、それは名案だね!」
豚吉も大喜びしましたが、自分の背が低すぎて屋根に登ることができません。
それを見たヒョロ子は、いきなり豚吉を後ろからヒョイと抱え上げると、軽々と馬車の屋根の上に乗せ、自分も身軽にピョンと飛び上がりました。
馬車屋のおじさんは目をまん丸にして、ただただビックリするばかりです。
いざ馬車が動き出すと、屋根の上は丸みを帯びていて今にも滑り落ちそうになるため、二人はしっかりと抱き合いながらバランスをとらなければなりませんでした。
そうこうするうちに、ある村の近く差しかかると――さあ、大大変です!
村の入り口で遊んでいた子どもたちが、すぐに二人の姿を見つけました。
「大変だぁ! あんな馬車の上に、長〜い女の人と、短〜い男の人が乗っかってるぞ! 面白い面白い!」
子どもたちは大声で叫びながら村へ走って帰ったので、ちょうど朝ご飯を食べていた村人たちは、一斉にわらわらと表に飛び出してきました。
見ると、なるほど今までに見たこともない奇妙キテレツな夫婦が、馬車のてっぺんに乗ってソロリソロリとやってくるではありませんか。村人たちはみんな目を丸くして、口々にワイワイと騒ぎ始めました。
「こりゃまた珍妙な夫婦だなあ」
「いったい兄妹なのだろうか?」
「女の方はまるで水あめをビヨーンと引き伸ばしたみたいだぞ」
「男の方はまるで上からペチャンコに踏み潰されたみたいだな」
「いったいどこへ行く人たちなんだろう?」
「きっと都へ見世物になりに行くんだろ!」
「見世物になったら、そりゃあ大評判間違いなしだな!」
「しかも、今ならタダだぞ!」
「おい、みんな見ろ! 無料(タダ)の見世物だぞ! 世界一珍しい夫婦だ! 見るなら今のうちだ、タダだぞタダ!」
馬車の屋根の上からこのやじを聞いた豚吉夫婦は、顔を真っ赤にして怒りでワナワナと震えましたが、今にも屋根から落っこちそうなので、どうすることもできません。
それでもヒョロ子はついに我慢の限界を迎え、馬車屋のおじさんの横に立てかけてあったムチをひょいと掴み取ると、いきなり馬のお尻を力いっぱいビシッと叩きました!
豚吉とヒョロ子を乗せた馬は、ヒョロ子に不意打ちでお尻を叩かれたものだからビックリ仰天し、ドンドンと猛ダッシュで駆け出したため、あっという間に村を通り過ぎてしまいました。
ところが豚吉は、さっきまで馬車がゆっくり歩いてさえ落ちそうだったのに、今や矢のように激しく走り出したものですから、たまったものではありません。
「うわああっ! 大変だぁ! おじさん、馬車を止めてくれ、落ちる落ちる! 助けてくれ、あぶないあぶないーーっ!」
豚吉は真っ青になりながら、ヒョロ子にしがみつくのでした。ヒョロ子も一生懸命になって豚吉を落ちないように押えておりましたが、馬車が村を出ると間もなく、そこにあった道のデコボコに馬車が引っかかってガタンガタンとはね上る拍子に、二人共抱き合ったまま馬車の屋根の上から往来へ転がり落ちました。
馬車屋のお爺さんの方は馬を引き止めようとして一生懸命に手綱を引っぱっていましたので、そのままドンドン駈けて行ってしまいました。
「ああ、危なかった」
と、豚吉はヒョロ子に助け起されながら云いました。
「ほんとに済みませんでした。私がいたずらをしたもんですから」
とヒョロ子はあやまりましたが、見ると自分の足もとに車屋さんの長い鞭が落ちています。
「アッ。これはさっきの車屋さんのだ。私が走って行って返して来ましょう」
とヒョロ子は駈け出しそうにしますと、豚吉は引き止めました。
「チョット待て。何だかたいそういいにおいがする」
「ほんとにおいしいにおいがしますね」
「ああ、おれはあの臭をきいたので、お腹がすっかりすいちゃった」
「まあ。あなたは喰いしんぼうね」
「だって、ゆうべから何もたべないんだもの」
「あたしなんか何日御飯をたべなくとも何ともないわ」
「おれあ日に十ペン御飯をたべても構わない。ああ、御飯がたべたい」
「そんな大きな声を出すものじゃありませんよ」
とヒョロ子は真赤になって止めました。
けれども、豚吉は鼻をヒョコヒョコさせながら、あたりを見まわしながらなおなお大きな声で云いました。
「このにおいは、御飯のにおいと、葱と豆腐のおみおつけの臭だが、一体どこから来るのだろう」
「そんな卑しいことを云うもんじゃありません。よその朝御飯ですから駄目ですよ」
「イヤ。あの見ろ。あの森のかげにめしやと書いて旗が出ている。あすこだあすこだ」
と云ううちに、ドンドン駈け出して、そのうちへ這入って行きました。
「まあ、何て意地のキタナイ人でしょう。さっきは疲れてあるけないと云っていたのに、今はあんなにかけ出して……しかたがない。私も一所に御飯をたべましょう」
と云いながら、ヒョロ子もあとからかけ出して行きましたが、門口まで来ると、又立ち止まって、軒の先にさっきの鞭をよく見えるようにつきさして中に這入って行きました。

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