ベンチの上にはれいのノートが三冊、革ひもでしばっておいてある。
テーブルクロスの包みのほうは、とちゅうで透明人間の気がかわり、ブランブルハーストをでたところの松林ですててしまったのである。
トーマスのようすはひどくへんだった。
せかせかとあたりを見まわし、なんども、なんどもポケットに手をつっこんでは、しきりになにかをさがしているようすだった。
一時間あまりもトーマスはベンチにすわって、こんな奇妙なことをくりかえしてやっていた。
「やあ、いいお天気じゃありませんか」
ほがらかな声がひびいて、船員ふうの気さくそうな男が、新聞を片手にトーマスに近づき、ベンチに腰かけた。
「そうですね」
トーマスはぎくっとしてふりかえり、気ののらないようすでこたえた。
しかし、男はトーマスのようすに気をわるくするでもなく、ひどくあいそうよく、
「暑くもなし寒くもなし、じつに気もちのいい朝だ。
あなたは、どちらからおいでなさったね」
「遠くからですよ」
「ははあ、おやっ、そこにおいていなさるのは本ですかい?」
本と聞かれてトーマスは、はっとして大あわてにノートをひざの上にのせた。
そのひょうしにかれのポケットで、ちゃらちゃらと金貨の音がした。
男は、目をまるくして、しげしげとトーマスを見つめた。
ほこりで汚れきったトーマスの服装に、金貨の音はどう考えても似つかわしくなかったからだ。しかし、その船員は、すぐに前とおなじあけっぴろげな態度になって、
「おれは、本なんてものはなん年間も読んだことがねえが、ずいぶんめずらしいことを書いたのがあるそうだね。
その本にもかわったことが書いてあるかね」
「そりゃあそうでさ」
トーマスは、気がかりらしく、ちらっと相手の顔を見て、つづいてあたりを見まわした。
「しかし、けさの新聞には、本にまけないほどめずらしいことがのってるぜ」
「そうですかね」
「なんだ、おめえ、まだ新聞を読んでいないのかい? 姿の見えねえ人間ってのが、あらわれたそうで、でかでかと書きまくってあるよ」
とたんにトーマスは、おちつかなくなってしまった。
口をもぐもぐと動かし、むやみにほっぺたをひっかいてから、きこえないほどのほそい声で、
「透明人間ですって、いったいどこにそいつがあらわれたんですね。
オーストラリアか、アメリカですかい?」
「ばかを言いたまえ、そんな遠くの話ではないんだ。
この土地にあらわれたんだ」
「えっ!」
トーマスは、ぐるぐるっと心配そうになまわりを見まわした。
「はっはっは、この辺といってもこのベンチのまわりじゃねえよ。
この近くの村にだよ」
「ああ、そうですか、で、その透明人間はなにをしようってんですかね?」
「あばれたいだけあばれたってことだ。
なにしろ体が見えねえんだから、どんなことだってやれるさ。
だれもつかまえることも、とめることもできないからね。
昔、おとぎ話にあったのが、ほんとのことになったんだね」
「そうですか、あっしはこの四日間、新聞ってやつを見たことがねえんでしてね」
「透明人間がはじめて暴れだしたのは、アイピング村がはじまりだそうだ」
「それで……」
「その人間はどういう男なのか、アイピング村にくるまではどこに住んでいたのか、どんなことをしていたのか、さっぱりわかっていないそうだ。
ほら、この新聞をみてみたまえ、アイピング村の怪事件って書いてあるだろう」
「なるほど、それではやはり、ほんとうの話なんですね。
信じられねえようだが……」
「そいつは、はじめ黒馬旅館にとまっていたんだそうだ。
頭にほうたいをまいて服をきこんでいたから、だれひとり透明人間だなんて気づかなかったそうだ」
トーマスは、そっとあたりを見まわしてからうなずいた。
「だが、ついに化けの皮のはがれるときがきたんだ。
アイピング村の連中は、そいつが透明人間とわかったので、大格闘をやってつかまえようとしたが、なにしろ相手の姿はみえないんだ。
いたずらにさわぎまわるばかりで、とうとう逃げられたということだ」
「へえ、ふしぎな話ですな。
で、アイピング村であばれてから、透明人間はどこへいったのでしょうね」
「さあ、たしかなことではないらしいが、ポート・ストウ方面へむかったようすだって書いてあるぜ。
おれたちのいるこの村へ、透明人間なんていうおかしなやつにやってこられるのは、ありかたくないね」
「まったくですよ。
なにしろ姿がみえないんですからね」
トーマスは船員の話をききながらも、まわりの物音に気をくばっていた。
かすかな風の動きでも、ききのがさないようにしていた。
じつは、その……
そして、あたりにかれの主人の透明人間の姿がなさそうだと見きわめをつけると、
「あっしはぐうぜんなことから、あなたのいまおっしゃった透明人間を知っているんですよ」
「えっ? おまえが知ってるというのかい?」
「へえ、そうなんですよ。
わしがやっと知りあったときのことを聞いてくだせえ。
が、びっくらしねえでくだせえよ。
たいへんかわったことなんだから」
「そりゃあそうだろうよ。
いいよ、びっくりしねえから話してきかせなよ」
「あっしは、透明人間のようにおそろしいやつに、いままで会った……」
言いかけてトーマスはふいに、
「いててて、おおいてえ!」
苦しそうにさけび、片手で耳をおさえ、片手で本をつかんで、体をまげておかしな腰つきでベンチから立ちあがった。
透明人間は、いつのまにか、トーマスのところに帰ってきていたのだ。
トーマスが、見しらぬ船員にかれのことをしゃべりそうになると、ぐいぐいとトーマスの耳をつまみあげた。
トーマスは、透明人間が帰ってきていたと知ると、おそろしさでふるえあがってしまった。
もう、かれのことを船員にしゃべるどころではない。
透明人間に耳をひっぱられ、ずるずるとくっついていくだけだった。
しかし、そんなこととは夢にも知らない船員は、びっくりしてトーマスをのぞきこみ、
「おいおい、どうかしたのかい? どこが痛いのだ?」
と心配そうにたずねた。
トーマスはじりじりとベンチから遠ざかってゆきながら、
「歯が痛いんだよ」「急に痛みだしたんで、ああっ、いてえ、いてえ!」
しかし、トーマスの様子はどこかおかしかった。
歯が痛いと言いながら、片手で自分の耳を押さえ、もう片方の手でノートをしっかりと掴んでいる。
船員は、怪しむようにトーマスをじろじろと見て、
「おい、どうしたんだい? 透明人間の話をすると言ったじゃないか?」
「うそでさ。
ただ一杯くわせただけですよ」
トーマスが苦しそうに答えると、船員はカチンときたのか、怒った様子でまくし立てた。
「新聞にだって載っているんだ。
透明人間はたしかにいるんだ!
なんだ、透明人間を知っているなんて言って、人をかつぐつもりだったのか? しかし、きさまがやつのことを知らなかろうが、透明人間は実際にいるんだぞ!」
「新聞だって、でたらめを書くことはありますよ。
あっしは、このうそを最初につきはじめたやつを知っているんですよ。
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