初級翻訳・野のはくちょう 第6話

アンデルセン ハンス・クリスチャン

いつかおまえはわたしに礼をいうようになろう。」
それで、じぶんのまえにエリーザをのせたまま、王さまは山のなかを馬でかけていきました。
武士たちも、すぐそのあとにつづいてかけていきました。
お日さまがしずんだとき、うつくしい王さまの都が目のまえにあらわれました。
お寺や塔がたくさんそこにならんでいました。
やがて、王さまはエリーザをつれてお城にかえりました。
そこの高い大理石の大広間には、大きな噴水がふきだしていました。
壁と天井には目のさめるような絵がかざってありました。
けれども、エリーザにはそんなものは目にはいりませんでした。
ただ泣いて、泣いて、せつながってばかりいました。
そうしてただ、召使の女たちにされるままに、お妃さまの着る服を着せられ、髪に真珠の飾をつけて、やけどだらけの指に絹の手袋をはめました。
エリーザがすっかりりっぱにしたくができて、そこにあらわれますと、それは目のくらむようなうつくしさでしたから、お城の役人たちは、ひとしおていねいにあたまをさげました。
そこで王さまは、エリーザをお妃に立てようとしました。そのなかでひとり、この国の坊さまたちのかしらの大僧正が首をふって、このきれいな森のむすめはきっと魔女で、王さまの目をくらまし、心を迷わせているにちがいないとささやきました。
けれども王さまはそのことばには耳をかしませんでした。
もうすぐにおいわいの音楽をはじめよとおいいつけになりました。
第一等のりっぱなお料理をこしらえさせて、よりぬきのきれいなむすめたちに踊らせました。
そうして、エリーザは、香りの高い花園をぬけて、きらびやかな広間に案内されました。
けれどもそのくちびるにも その目にも、ほほえみのかげもありませんでした。
ただそこには、まるでかなしみの涙ばかりが、世世にうけついで来たままこりかたまって、いつまでもながくはなれないとでもいうようでした。
そのとき王さまは、エリーザを休ませるためことに用意させた、そばのちいさいへやの戸を開きました。
このへやは、高価なみどり色のかべかけでかざってあって、しかも今までエリーザのいたほら穴とそっくりおなじような作りでした。
ゆかの上にはイラクサから紡いだ麻束がおいてありました。
天井にはしあげのすんだくさりかたびらがぶらさがっていました。
これはみんな、武士のひとりが、めずらしがって持ちはこんで来たものでした。
「さあ、これでおまえはもとのすまいにかえった夢でもみるがいい。」
と、王さまはおっしゃいました。
「ほら、これがおまえのしかけていたしごとだ。そこでいま、このうつくしいりっぱなものずくめのなかにいて、むかしのことをかんがえるのもたのしみであろう。」
エリーザはしじゅう心にかかっている、この品じなをみますと、ついほほえみがくちびるにのぼって来て、赤い血がぽおっとほおを染めました。
エリーザはおにいさまたちをすくうことを心におもいながら、王さまの手にくちびるをつけました。
王さまはエリーザを胸にだき寄せました。
そうして、のこらずのお寺の鐘をならさせて、ご婚礼のお祝のあることを知らせました。
森から来たおしのむすめは、こうしてこの国の女王になりました。
そのとき大僧正は、王さまに不吉なことばをささやきました。
けれどもそれは王さまの心の中へまでははいりませんでした。
結婚の式はぶじにあげられることになりました。
しかも大僧正みずからの手で金のかんむりをお妃のあたまにのせなければなりませんようになりました。
いじのわるい、にくみの心で、大僧正はわざとあたまに合わないちいさな輪をむりにはめ込んだので、お妃はひたいがいたんでなりませんでした。
でも、それよりももっとおもたい輪がお妃の心にくびり込んではなれません。
それはおにいさまたちをいたましくおもう心でした。それにくらべて、からだの痛みなんてまったく気にならないほどでした。
ただひとことでも声に出してしまうと、おにいさまたちの命にかかわってしまいます。だからエリーザはくちびるをぎゅっとむすんで、どこまでも声を出すのをがまんし続けたのです。
でもその瞳は、優しくてすてきな王さまのことを、とてもいとおしそうに見つめていました。
王さまはエリーザのためなら、どんなことでもしてくれました。
だからエリーザも、日がたつにつれて、できる限りの愛情をこめて、王さまを大切にするようになったのです。
ああ、もしこの気持ちを言葉にして王さまに伝えられたら、そして心の中の悲しみを打ち明けられたら、どんなにうれしいことでしょう。
けれど今は、どんなことがあっても声を出すわけにはいきません。
おしゃべりをしないままで、お仕事をついにやりとげなければならないのです。
だから夜になると、王さまのそばからそっと抜け出して、あのほら穴のように飾りつけた小さなお部屋に入り、くさりかたびらを一枚一枚あんでいきました。
けれど、いよいよ七枚目にとりかかったとき、あめの糸がなくなってしまったのです。
エリーザは、お寺の墓地へ行けばイラクサが生えていることを知っていました。
でもそこへは、自分でこっそり行ってつんでこなければなりません。
どうやって夜中にそこまで出かけたらいいのでしょうか。
「ああ、私の心にある苦しみにくらべたら、指の痛みなんて大したことないわ」
と、エリーザは思いました。
「私はどうしてもそれをやりとげなくてはならないわ。
そうすれば神さまがきっと助けてくださるにちがいないもの」
まるで悪いことでもたくらんでいるかのように胸をドキドキさせながら、エリーザは月夜の晩にそっとお庭へ抜け出しました。長い並木道を通り、だれもいない暗い道をいくつも抜けて、お寺の墓地へとたどり着きました。
すると、そこにある一番大きな大きなお墓の石の上に、血を吸うおそろしい女の魔物たちのむれが座っているのをみつけました。
このいやらしい化け物どもは、まるで水浴びでもするみたいに、ボロボロの服を脱ぎ捨てていました。
そしてガリガリにやせた指で、新しいお墓の土に長い爪をグイッと突き立てたのです。
まるで飢えた鬼のように死体のまわりに群がり、生々しい肉をちぎってむさぼり食いました。
エリーザはそのすぐそばを通っていかなけらばなりません。
すると女鬼どもは、ぎらぎら光るおそろしい目でエリーザをにらみつけました。
それでも心の中で神さまにお祈りしながら、エリーザは燃えるようなトゲのあるイラクサを急いであつめ、それを持ってこわごわとお城へ帰っていきました。
このとき、そんなエリーザの様子をただひとり、こっそり見つめている者がいました。
それは、ほかの人たちがぐっすり眠っている夜中にも、ひとりだけ目を覚ましているあの意地悪な大僧正でした。
今夜の現場をしっかり目撃したことで、自分の考えはまちがっていなかったと大僧正は確信しました。
「こんな真夜中に墓地をうろつくなんて、お妃さまがすることではない。
あの女はやっぱり魔女にちがいない。
だからこそ王さまと国の人たちの目をくらまし、心を狂わせているのだ」
大僧正はそう思い込みました。

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