初級翻訳・金魚撩乱 第9話

岡本 かの子

すでに七、八歳になっているため、中年を過ぎたような落ち着きがあり、その魅力は垢抜けていました。
しばらく眺め入ったあと、復一はガラス鉢に元のように蓋を戻します。そして自分の席に戻るとき、先ほどキャリコが泳いでいたのと同じような体のひねり方を、何度も何度も繰り返すのでした。
人に「何をしているのか」と聞かれると、彼は笑って「金魚運動だよ」と説明し、その健康法の素晴らしさを吹聴します。しかし、復一がこの動きをするとき、彼の中では秘められた力が精神と肉体に甦ってくるのを感じていました。
復一はその本当の理由を、決して誰にも教えませんでした。
とにかく、真夜中に人が魚と同じリズムで体をくねらせている姿は、見ていてとても薄気味悪いものでした。
宿直の小使いが言いました。
「私が入室するときだけは、それ、やめてくれませんか。なんだか変な気持ちになりますから」

復一は、金魚の飼育地として有名な奈良や大阪の府県を視察して回りました。
奈良県の郡山は、古くから金魚飼育が盛んな土地です。それは昔、小藩だった頃に、貧しい藩士の収入を補うために、藩士だけに金魚を飼育する特権を与えて奨励した名残でした。
菜の花畑に囲まれた、清らかで美しいこの小都市に滞在して、復一は専門学上の参考になる貴重な経験を得ました。特に彼の心に響いたのは、この郡山の金魚が寛永年間にはすでに新種を作り出そうとしており、その後もたびたび優れた魚を生み出そうとしていた気配が記録に残っていることでした。
そこに込められた「金魚に対する人間の美の理想」を、これまでの推理を延長して考えてみると、大正時代に完成された名魚たちに近い姿が浮かび上がってきました。
とはいえ、現代の金魚がまだ不完全であるということは、昔の人々がいかに美しい「金魚の乱舞」をこの魚に求めていたか、ということを復一に確信させました。
時代は移り、人は何代も入れ替わりました。
しかし、金魚という、食べることもできないこの観賞魚は、たった一つのか弱い「美」という力だけで時代の変化を生き抜き、どうにかこうにか自己完成の目的に近づいてきました。
こう考えてみると、人間が金魚を作っているのではなく、金魚自身の目的が、人間の美に惹かれるという一番弱い本能を誘惑し利用して、着々とその目的に向かって進んでいるのではないかと思えてくるのです。
力強い金魚――そう気づくと復一は一種の征服欲さえ覚え、いよいよ金魚に執着するようになりました。
夏の間ずっと視察に歩き、復一が湖畔の宿に落ち着いて半月が過ぎた頃、関東大震災のニュースが飛び込んできました。
復一は最初はそれほど深刻だとは思っていませんでした。
しかし次に、これは相当に酷い事態だと思い知らされました。
山の手は無事だったと分かりましたが、とにかく惨憺たる東京の被害状況が次々と報じられました。
復一は一応、東京へ帰ろうかと問い合わせました。
「その必要はない」という返電がようやく十日ほど経って届き、復一はようやく安心しました。
鼎造からは、金魚に関する事務的な命令や照会が、復一のもとへ頻繁に届くようになっていました。復一が、このような災害の時期に、金魚のような遊びのためのものに、もう人は見向きもしないだろうと心配して問い合わせると、鼎造からこう返事があった。
「古老の話によると、江戸時代から、こうした災害のあとには金魚は必ず売れるものだ。
荒れ果てた焼跡の仮小屋の心を慰めるものは、金魚以外にない。
東京の金魚業者は皆、この地に踏みとどまって、倍の力を尽くして商売を建て直すことに決めたのだ」
これは商売人特有の誇張に過ぎない文面かと、復一は多少疑っていたが、そうでもなかった。
二割ほど値上げをして売り出した金魚は、たちまちさらに二割値上げをしても、需要に応じきれないほどの人気だった。
下町方面の養魚池はほとんど全滅したが、山の手は助かった。
それに加えて関西地方から仕入れることができたので、金魚そのものには不自由しなかったが、金魚を入れる桶が燃えてしまったことが大打撃であった。
手持ちの桶を仲間に分配し、人を諸方へ派遣して急いで作らせた。
関西からの入荷や、桶の注文といった用事で、復一はなおしばらく関西にとどまらなければならなかった。
ようやく鼎造から呼び戻され、四年ぶりに復一は東京へ帰ることができた。
研究論文は、ついに完成しなかった。
復一よりも単純な研究で、期間内に終わらせた同期生たちは、半年前の秋に論文が合格し、研究生修了の証書をもらって、それぞれ約束の任地へ就職していった。
彼は、鼎造にしばらく帰京を待ってほしいと頼んで論文をまとめれば、できないこともなかった。しかし、そんな小さくまとまった成功が、今の自分の気持ちに何の関係があるのかと、彼はそれを蔑んでいた。
早くわが池で、わが腕で、真佐子に似た「撩乱(りょうらん)」と咲き誇るような金魚を一匹でも作り出し、勝利の凱歌を奏したい。
これこそ今、彼の人生に残っている唯一の希望だった。――彼が初め、これまでの世になかった美麗な金魚の新種を作り出す覚悟をしたのは、ひたすら真佐子の望みを叶えたいという一心からだった。
だが年月の経過とともに研究が進むにつれ、彼の心理も変わっていった。
彼は、現実の真佐子とは到底結ばれないことの代償として、真佐子を彷彿とさせる美しい魚を創造したいという意欲が、いつしか初めの覚悟を上回るようになっていた。
漂うような真佐子の美しさ――それは、豊麗な金魚の美しさによって再現する以外に、何によっても成し遂げられないものだった。
今や復一の研究と、その成果の実現は、ますます彼の必死な生命を賭けた事業となっていたのである。
それを思うとき、彼は疲れ切って夜中の寝床に横たわっている時でさえ、闇の中で爛々と光る目を閉じることができなかった。
「馬鹿だよ、君は。
君の研究を論文にでもまとめれば、世界中の金魚学者たちの参考になるというのに……」
まだ未練がましくそう言う不機嫌な教授に別れを告げて、復一は中途退学という形で東京へ帰った。
未完成の草稿を焼き捨てるとか、湖の中へ沈めるとかいう考えも浮かばないではなかったが、それほど華やかな芝居気さえ失せていた。ただの反古紙よりは多少惜しい、という程度の気持ちで、草稿は鞄の中に入れて持ち帰った。
地震の翌年の春だったので、東京の下町はまだ酷い状態だったが、山の手は昔と変わりはなかった。
谷窪の家には、湧き水の出る場所が少し変わったとのことで、棕櫚(しゅろ)縄を巻いた竹樋で池の水のやりくりがされていた。
帰宅と帰任の挨拶を兼ねて、復一は崖を登り、崖邸の家を訪ねた。
鼎造は、復一が関西からの金魚輸送の苦労を謝したあと、こう言った。
「実は、調子に乗って鯉と鰻の養殖にも手を出しかけているんだが、人任せではうまくいかない。
同じ淡水魚だからそう違いはあるまい。君に一つその方の面倒を見てくれないか。
こちらが成功すれば、金魚と違って食料品だから、販路はすばらしく大きいのだ」
もちろん復一は即座に断った。
「だめですね。
詩を作る人間に田を耕せと言うようなものです。

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