初級翻訳・青ひげ 第2話

楠山 正雄

ですから、表側の血を落としたかと思うと、それは裏側に、まるで染み出すように、さらに濃く浮かび上がってくるのでした。

三

すると、その日の夕方、青ひげがひょっこりと家に帰ってきました。
まだ目的地まで行かないうちに、途中で用事が都合よく片付いたという知らせを聞いたからだと、青ひげは話しました。
出し抜けに帰ってこられたので、奥さんはギョッとしましたが、一生懸命に嬉しそうな顔をして見せました。
さて、その翌朝、青ひげはさっそく奥さんに「預けた鍵を出してくれ」と言いました。
そう言われて奥さんが鍵を出したとき、その手の震えようといったらありませんでしたから、青ひげはすぐに勘付いてしまいました。
「おや」
と、青ひげは言いました。
「小部屋の鍵がひとつないぞ」
「じゃあ、きっとあちらの机の上に置き忘れたのでしょう」と、奥さんは答えました。
「すぐ持ってこい」と、青ひげは怒った声を出しました。
五、六度あちらへ行ったりこちらへ行ったりしてモタモタしたあとで、奥さんはしぶしぶ鍵を差し出しました。
青ひげは鍵を受け取ると、怖い目をしてじっと眺めていましたが、
「この鍵の血はどうしたのだ」と言いました。
「知りません」
と、泣くような声で答えた奥さんの顔は、死人よりも青ざめていました。
「なに、知らないだと」
と、青ひげは言いました。
「おれはよく知っているよ」「おまえは、よくもまあ思い切ってあの小部屋の中に入ったものだな。
なかなかの度胸だ。
いいだろう、そんなに入りたいのなら、あそこへ入るがいい。中に入って、そこにいる奥さんたちの仲間になるんだ」

こう言われると、奥さんは夫の足元にいきなり崩れ落ち、心からの様子で泣きながら、もう二度とご命令には背きませんから、どうか許してくださいと必死に詫びました。
このうえなく美しい人が、このうえなく悲しそうな姿で泣き崩れる様子を見れば、どんなに硬い岩でも溶け出してしまったことでしょう。
けれど、この青ひげの心は、岩や金属よりもずっと冷たく、硬いものでした。

「奥さん、あなたは死ななければならない。
今すぐにだ」と、青ひげは言いました。

「どうしても死ななければならないというのなら……」と、奥さんは答えて、目にいっぱいの涙を浮かべながら夫の顔を見上げました。
「せめて、ほんのしばらくの間だけでも、神様にお祈りをする時間をくださいまし」

「仕方がない、七分半だけ待ってやる。
だが、それから一秒たりとも遅れることは許さんぞ」と、青ひげは言いました。

一人きりになると、奥さんは女のきょうだいの名前を呼びました。
「アンヌねえさま(アンヌというのは、きょうだいの名前でした)、アンヌねえさま、お願いです。塔のてっぺんまで上がって、お兄様たちがまだおいでにならないか見てください。お兄様たちは、今日訪ねてくださる約束になっているのです。見えたら、大急ぎで来るように合図をしてください!」

アンヌねえさまは、すぐさま塔のてっぺんまで駆け上がっていきました。
半分気が狂いそうになった奥さんは、かわいそうに、ずっと絶え間なく叫び続けていました。
「アンヌねえさま、アンヌねえさま、まだ何も来ないの?」

すると、アンヌねえさまは答えました。
「日が照って、ほこりが舞っているだけですよ。草が青く光っているだけですよ」

そのうちに青ひげが、大きな剣を抜き放って手に持ち、ありったけの割れ鐘のような声で怒鳴り立てました。
「すぐ降りてこい! 降りてこないと、おれのほうから上がっていくぞ!」

「もう少しだけ待ってください、お願いですから!」と、奥さんは言いました。
そうして、とても弱々しい声で、「アンヌねえさま、アンヌねえさま、まだ何も見えないの?」と叫びました。

アンヌねえさまは答えました。
「日が照って、ほこりが舞っているだけですよ。草が青く光っているだけですよ」

「早く降りてこい!」と、青ひげは叫びました。
「降りてこないと、上がっていくぞ!」

「今、まいります!」と、奥さんは答えました。
そうして、そのあとで「アンヌねえさま、まだ何も見えないの?」と叫びました。

「ああ……でも、大きな砂煙がこちらのほうに向かって立っていますよ」と、アンヌねえさまは答えました。
「それはきっと、お兄様たちでしょう!」

「おやおや、そうではないわ。羊の群れですよ」

「こら、降りてこないか、きさま!」と、青ひげは叫びました。

「今すぐに!」と、奥さんは言いました。
そうして、そのあとで「アンヌねえさま、アンヌねえさま、まだ誰も来ないの?」

「ああ、二人の騎手が馬に乗ってやってくるわ。けれど、まだずいぶん遠いところよ」

「ああ、ありがたい!」と、奥さんは嬉しそうに言いました。
「それこそ、お兄様たちですよ。わたし、お兄様たちに急いで来るように合図しましょう!」

そのとき、青ひげは家ごと震えるほどの大声で怒鳴りました。
奥さんは力なく、すごすごと下へ降りていきました。
涙をいっぱいに溜めて、髪の毛を肩に垂らし、夫の足元に崩れ落ちました。

「今さらどうなるものか」と、青ひげはあざ笑いました。
「早く死ね」

こう言って、片手で奥さんの髪の毛をわしづかみにすると、もう片方の手で剣を振り上げ、首をはねようとしました。
奥さんは夫のほうを振り返り、今にも絶え入りそうな目つきで、ほんの少しだけ身支度を整える時間をくださいと頼みました。
青ひげは剣を振り上げたまま、こう言いました。
「ならん、ならん。神様にまかせてしまえ」

そのとたん、表の戸にドンと激しくぶつかる音がしたので、青ひげは思わずハッとして手をとめました。
すぐさま戸が開いたと思うと、二人の騎兵が飛び込んできて、いきなり青ひげに向かって突進しました。
これは奥さんの兄弟で、一人は竜騎兵、一人は近衛騎兵だということを、青ひげはすぐに悟ったのです。そこで、あわてて逃げ出そうとしましたが、兄弟たちはもう後ろから追いかけてきました。そして、青ひげが玄関の石段に足をかけようとしたまさにその瞬間、剣で胴体を一突きにして、彼を仕留めてしまったのです。

しかし、そのときには奥さまもあまりの恐怖で気が遠くなり、死んだようになっていましたから、とても立ち上がって兄弟たちを迎え入れるような気力はありませんでした。

さて、青ひげには跡継ぎの子どもがいませんでしたから、その財産はすべて奥さまのものになりました。奥さまは、その財産をアンヌねえさまや二人のにいさまたちに分け与えました。

ものめずらしいものに惹かれるというのは、いつでも心をくすぐる軽やかな楽しみですが、ひとたびそれが満たされてしまうと、すぐさま後悔が取って代わり、そのために高い代償を払わなくてはならなくなるものなのです。

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