初級翻訳・魔法博士 第21話

江戸川 乱歩

黒い怪物は、その窓のそばへよって、窓のガラスをトントンとたたきました。
「だれだっ。」

中から、男の声が聞こえ、だれかが、ガラッと、窓をあけました。
三十ぐらいの人相のわるいやつです。この家が魔法博士のすみかだとすれば、この男は博士の部下なのでしょう。
男は窓をあけて、見まわしていましたが、外はまっ暗なので、よくわかりません。
しかし、なんだか黒い大きなものが、ふわふわと動いているのに気がつきました。
「そこにいるのは、だれだっ!」
もう一度、どなりましたが、黒いかげが、からかうように、ふわふわと動いているばかりで、逃げだすようすもありません。
「うぬっ、ひっとらえてくれるぞっ。」
男はかんしゃくをおこして、いきなり、窓からとびだして来ました。
それを見ると、黒い怪物は、さっと建物にそって逃げだしました。
ひじょうなはやさです。
男はふうふういいながら、そのあとを追っかけました。
黒い怪物は、風のように走って、大きな建物を、グルッと、ひとまわりしました。
そして、もとの裏手までもどると、ひらいていた窓から、さっと、家の中にとびこんでしまいました。
男がそこへ、もどってきたときは、怪物の姿はどこにもありません。
まさか、家の中へはいったとはしりませんので、しばらく、そのへんをさがしまわっていましたが、やがて、あきらめて、男も窓から、もとの部屋へはいっていきました。

ロウ人形

部下は、このふしぎな事件を、すぐに首領の魔法博士のところへ、知らせにいきました。
魔法博士は、奥まったところにある、りっぱな寝室で寝ていました。
部下がはいっていきますと、絹のカーテンでかこまれた、大きな寝台の中から、「だれだ?」という声がして、カーテンの合わせめがひらき、そこから、金色にキラキラ光るきみの悪い顔が、ニュッとのぞきました。
それが魔法博士なのです。
魔法博士は黒ビロードのガウンをきて、黄金の仮面をつけて寝ているのです。
それは、黄金怪人にばけるときにかぶる、あの仮面とはちがって、顔の前だけをかくす、ふつうのお面ですが、それが金色をした黄金仮面なのでした。
「ああ、きみか。
いまごろ、なんの用事だ?」
黄金仮面の三日月がたの口から、魔法博士の声が、とがめるようにもれてきました。
「なんだか、へんなやつが、わたしの窓の外をうろうろしていたのです。
追っかけましたが、つかまりません。
どっかへ消えてしまいました。
まっ黒なばけもののようなやつでした。」
「そうか。
そういう怪物が、やってくるだろうと思っていた。
きみ、そいつが、何者だか知っているかね。」
「わかりません。
先生は、ごぞんじなんですか。」
部下は魔法博士のことを、先生とよんでいます。
「明智探偵だよ。
わしが少年探偵団のバッジで、おびきよせたのだ。
やっこさん、とうとう、やってきたな。
だが、消えてしまったというのは、いったい、どうしたわけだ。
くわしく話してみたまえ。」
そこで部下は、窓からとびだして、怪物を追っかけ、建物をひとまわりしたことを、くわしく報告しました。
「ばかめっ!」魔法博士は恐ろしい声で、どなりつけました。
「きみは、うまく、いっぱいくったのだ。
明智は、きみがあけておいた窓から、先まわりをして、とびこんだにちがいない。
あいつはすばしっこいやつだからな。
すぐに、みんなを集めて、家の中をさがしなさい。
あいつはきっと、どっかにかくれている。」
魔法博士にしかりつけられた部下は驚いて、部屋をとびだしていきました。
二十人ほどの部下が、建物のあちこちに寝室をもっています。
それを全部おこして、深夜の捜索がはじまったのです。
魔法博士のすみかは、地上の建物だけではなくて、広い地下室があります。
岩でできた廊下が、迷路のようにつづいて、その中にインド魔術をやってみせたあの大きな洞窟や、ゾウが消えた大きな部屋や、小林君たちが通った巨大な人間の胎内くぐりや、いろいろな地底のしかけがあるのです。
また、出入り口も、赤レンガの建物だけでなく、小林君たちのもぐりこんだ原っぱの穴があります。
そういう広いふくざつな、場所をさがすのですから、たいへんはなしです。
二十人の部下が手わけをして、大きな手さげ電灯をてらしながら、あけがたまでかかって、すみからすみまでしらべましたが、黒い怪物は、どこにもいません。
どうしても、みつけだすことができないのでした。
とうとう、夜があけてしまったので、捜索はいちおう、うちきることにしましたが、魔法博士は、明智がしのびこんだと信じていましたので、すみかの中ばかりに気をとられ、外のことが、おるすになっていました。
それが、明智の思うつぼでした、明智は魔法つかいのようなふしぎな方法で、身をかくしながら、そのつぎの晩には、またふたりの黒い怪物を、博士のやしきの中へひきいれたのです。
こんどは邸内に明智がいるのですから、しのびこむのは、わけがありません。真夜中に、明智のひらいてくれた窓から、そっとはいりこんで、どこかへ、姿をかくしました。
ふたりとも、頭から黒いきれをかぶった、おばけのような人間でしたが、ひとりは、明智と同じくらいの大きさ、ひとりは、子どものように小さい姿でした。

さてさいしょ、黒い怪物がしのびこんでから、二日目の真夜中のことでした。
魔法博士は、黄金仮面をつけ、黒ビロードのガウンをきて、絹のカーテンにかこまれた寝台に寝ていましたが、ふと、物のうごめくけはいを感じて、目をひらきました。
すると目の前にさがっている絹のカーテンの合わせめがひらいて、そこから、美しい西洋人の女の顔が、のぞきこんでいました。

魔法博士は、それを見ると、おもわず、ぞっとしました。
その顔は、美しいけれども、死人の顔のように動かなかったからです。
それはロウでできた人形の顔だったからです。

魔法博士の人造人間の部屋には、たくさんのロボットや、ロウ人形がおいてありました。
それらの人形どもは、みんな機械じかけで動くようになっていました。
このお話のはじめのほうで、井上少年とノロちゃんがいれられた部屋は、壁にいっぱい人造人間の絵がかいてありました。
そして、男のロウ人形がでてきて、ふたりを黄金怪人のところへ案内しました。
いま魔法博士の寝室にあらわれたのも、そういう人形のひとつだったのです。

しかし、その自動人形が、どうして、いまごろ、ここへやってきたのでしょう。
人形がじぶんの力で、かってに歩いてきたのでしょうか。
あいては人形ですから、しかりつけるわけにもいきません。
魔法博士は、だまって、人形の顔を見つめているばかりです。

すると、美しい女の口から、しわがれた男の声が、かすかにもれてきました。
「魔法博士! きみの運命も、もうおしまいだよ。
いまに恐ろしい破滅がくるぞ。」

ロウ人形がものをいったのです。
目も口も、すこしも動かないで、声だけがもれてくるのです。
自動人形のことですから、ものをいうしかけがありましたが、それはきまったことばだけで、こんなかってなことが、いえるはずはありません。
人形にたましいがこもって、生きた人間にかわってしまったのでしょうか。
魔法博士は、ぎょっとして、身がまえをしました。

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