すると、四人が橋を渡りおえるとともに、いまがいままで、さえざえと夜明けの光をたたえていたあたりは、また、どんよりとしたおぼろ月夜となり、人声や車の雑音もぱったり聞こえなくなった。
「や、や? ……」
立ちどまっていると、ものかげから、ひとりの男、すがたは見せずに、
「お館さま」と、声をかけた。
「だれじゃ」
「番の者でござります」
「ウム、門まわりの小者か。
して、なにか変ったことはないか」
「忍びの者が入りこみました」
「なに、忍びの者?」
「はい、徳川家の菊池半助というしのびの名人が」
「なんという! すりゃ一大事じゃ」
「世をしのぶ危ないお方、はやくお落としなさいませ。
早く、早く、早く……」
「ウム、そちが裏門をあけてご案内してさしあげい。
かならずそそうのないように」
「心得ました。
さ、こちらへ……」
ガサガサと木の葉をわけて、男がさきに立ったので、三つの網代笠が晴季に目礼をしてついていった。
が、晴季は、そのあとで、ふと不安な疑念におそわれたか、小走りに僧たちのあとを追おうとした。
するとそのとたんに、かれは背なかから、何者かに、ペタリと抱きつかれて、蝙蝠(こうもり)の翼のようなものに、さえぎられてしまった。
「だれじゃ、麿を止めるものは」
ふりはなそうとしたが、その力はねばり強く抱きすくめていた。
さては! と感じたので、晴季は前差の小太刀をぬいて、ピュッと一揮に、
「曲者!」
力まかせに後ろにはらった。
「ひッ……」
とさけんで四尺ばかり、まっ黒なかげが、身をはなれた。
みると、黒衣の妖婆。
――晴季の切ッ先を跳びのくが早いか、乱杭歯の口を、カッと開いて、ピラピラピラピラ! と目にもとまらぬ針をふいた。
二
妖婆の吹き針に目をつぶされて、なにかたまろう、菊亭晴季はウームとそこへ気をうしなってしまった。
と、すぐにまたそこへ一つの人かげ、ヒラ――とこなたへかけてきて、
「婆、いそげ!」
と、あとには目もくれずに、屋敷のそとへ走りだした。
いうまでもなく、呂宋兵衛と蚕婆で、さきに、屋敷の小者のふりをして、貴人の僧をさそいだしていったのは、早足の燕作であった。
その燕作は、いましも、三人の僧を早く早くと急かしながら、朱雀の馬場を右にそって、しだいに道を天ヶ丘の方角へとって駈けている。
「待てまて、小者まて!」
従僧のひとりが、ふいに足をとめて、
「こうまいっては、嵯峨の方向とはまるで反対ではないか。
仁和寺へまいるのであるぞ」
「心得ております」
「心得ておりながら、なんでかようなところへ、あんないするのじゃ」
「まアだまって、わっしについておいでなさい。
どうせあなたがたは、甲州の田舎者、都のみちは、ごあんないじゃありますめえが」
「まだ、いうか」
飛びかかッた従僧のひとり、燕作の襟がみをつかんでグッとうしろへ引きたおした。
「無礼なやつめ、甲州の田舎者とはなにをいうのじゃ、おそれ多くもこれにわたらせらるるは……」
怒りのあまり、口をすべらしかけると、別のひとりがハッとしたようすで袖をひいた。
「ええ、なにをするんだッ」
燕作は、よろけながらヤケになって大声にわめいた。
「そのことばが、甲州なまりだから、甲州の田舎者といったのがどうした、甲州も甲州、二十七代もつづいた武田の落人、四郎勝頼はてめえだろう!」
「アッ、こやつ――」
声と一しょに従僧の手から、隠し差しの一刀が、サッとのびて燕作の肩をかすった。
「おッとあぶねえ」
燕作は、バッと五、六間ほど、泳ぐようにつんのめっていきながら、ピピピピピ……と合図の呼子をふいて逃げた。
――と思うと八方から、おどりたった覆面の浪人どもが、
「落人待った!」
「武田勝頼! ご用!」
「天命はつきたぞ」
口々に呼ばわりながら、ドッと三人の僧侶をとりかこんだ。「ちぇっ、さては早くも……」
歯ぎしりを噛んだふたりの従僧は、網代笠(あじろがさ)を投げ捨てると、大刀を振りかぶって主君である僧の身を守り、向かってくる敵の槍や刀を次々と打ち払いました。
いつしか白刃が乱れ飛び、血に染まったふたりの従僧は、敵の渦の中に巻き込まれて離れ離れになってしまいました。
その時、すきを狙った一本の飛縄(とびなわ)が、松の梢(こずえ)からピューッと風を切って飛んできたかと思うと、主君を守っていた僧は「あッ」という声とともに、地面へぐいっと引き倒されてしまいました。
「これ、用意の駕籠(かご)を!」
闇の中に丹羽昌仙(にわしょうせん)の声が響き渡りました。
「おうッ!」
声と同時に覆面の群れが、ガチャガチャと音を立てて鎖駕籠(くさりかご)を運び込んできました。彼らは七重八重に縛り上げた貴人の僧をその中に押し込むと、さあ行けとばかりに担ぎ上げ、真っ黒な闇に紛れて天ヶ丘(あまがおか)の南蛮寺(なんばんじ)へと急ぎました。
「ええ、しまった!」
「わが君ッ――」
悲痛な叫びが、血煙の中に残されました。
全身に刀傷を負ったふたりの従僧は、斬りつけ、追いかけ、小半町(こはんちょう)ほど鎖駕籠を追いかけましたが、刀は折れ、力も尽き果てて、とうとう馬場の端の若草の上で、互いに喉と喉を突き合わせたまま、無念の亡霊となってしまいました。
三
東の山に、金色の雲が揺れ動き始めました。
京の貴族たちが歌に詠む春の夜明けは、加茂(かも)の水面や、清水(きよみず)の花明かりから、ほのぼのと明けようとしています。
誰もいない南蛮寺の、緑青(ろくしょう)が吹いた銅瓦(どうがわら)の上に、明け方の空からサッと舞い降りてきた怪物がいました。
よく見ると、久しく裾野からその姿を消していた竹童(ちくどう)の愛鷲(あいしゅう)――いやいや、今では泣き虫の蛾次郎(がじろう)が、我が物顔で乗り回しているあの大鷲です。
「やあ、いよいよここが都だな。昨夜は伊吹山でさびしい思いをしたが、今日はひとつ、クロにも楽をさせて、京都の町でぶらぶら遊んでやろう」
あの日から――どこをどう飛び回っていたのか、相変わらずのんきで陽気な顔をした泣き虫の蛾次郎。
南蛮寺の屋根の上から、小手をかざして独り言をつぶやきます。
「いいなァ、いいなァ、さすがに天子さまの都だけあるなあ。おお、向こうに見えるのが御所の屋根だな。霞を引いて絵のとおりだ。二条、三条、四条、五条……こうしている間にもだんだん見えてくる。おっと、こんなところで感心している場合じゃない、早く腹ごしらえをして、金閣寺だの祇園だの、ゆっくり見物してこよう」
ふわりと鷲を地上へ舞わせて、南蛮寺の朱門へ降りた蛾次郎。
あっちこっちを見回していましたが、やがて天ヶ丘の松林の奥深くへと入っていきました。
そして、とある松の大木に、用意していた鎖で鷲の足を縛りつけると、
「おいおい、クロ公」
まるで人間に言い聞かせるように語りかけます。
「おれはな、ちょっと久しぶりだ、今日はほうぼう歩いてくるから、おれの留守にどこへも行っちゃいけねえぜ。いいかい、帰りにゃ兎の肉をうんとかってきてやるからな、頼むぜ、クロ公」
これで安心したらしい。
コメント