初級翻訳・神州天馬侠 第160話

吉川 英治

 しかし、後の大軍師・幸村も、この時はまだ才蔵よりも大九郎よりも後輩であり、上田城主・昌幸の子とはいえ人質という身分なので、何をするにも肩身が狭い思いをしていました。
 大九郎は大酒飲みで、道中も時折、源次郎に世話を焼かせて手を焼かせました。
 才蔵は御岳に着くまでに腕を鍛えておこうと、宿に着くたびに稽古槍を借りては、源次郎を藁人形のように突き倒します。刀を持っては大九郎にかなわず、槍をとっては才蔵に太刀打ちできませんでした。
 それでも源次郎は謙虚で無口なまま、大九郎の面倒をよく見たり、才蔵から槍の教えを請うたりしながら、東海道の旅を順調に進めていました。

 浜松の城下に着いた晩のことです。
「一つ皮肉を言ってやろう。先日、使いの者に混ざっていた菊池半助を訪ねて、『一晩泊めてくれ』と申し込んでみようじゃないか」
 大九郎の提案で、先日のことをからかってやろうと伊賀組の屋敷へ押しかけてみましたが、
「運のいいやつめ」
 と、大九郎は門前から苦笑して戻ってきました。
 すでに菊池半助も、家中の者たちとともに武州御岳へ出発しており、留守だったのです。
 やむなく町へ出て、ぶらぶらと宿を探していると、
「おや、可児才蔵さじゃございませんか」
 と、前にかがみ込み、馴れ馴れしく顔を覗き込んでくる町人がいました。
「誰だ、お前は」
「お忘れですかい。わっしは裾野でお目にかかったことがあります。へい、一番最初は釜無川(かまなしがわ)の河原でね」
「釜無川の河原で?」
「さようでございます。あの時あなたは、鳥刺し(鳥を捕らえる猟師)の風体で人穴城をご見物にいらしたんでしょう」「忘れもしない、わしが河原で竹童(ちくどう)を捕まえようとしていたとき、そこへ飛んできてひどい目に遭わせてくれたじゃないか」

「おお、そうか」

「やっと思い出しましたね」

「それでは貴様は、和田呂宋兵衛(わだろそんべえ)の手下、早足の燕作(えんさく)だったか」

「その燕作でございますよ。いやあ旦那、お久しぶりで……昔は敵だの味方だのと言っていましたが、今はようやく天下もだいぶ静まりましたし、人穴城(ひとあなじょう)は焼け落ちてしまいましたし、家康さまと秀吉さまも仲よくお付き合いされているご時世ですから、私らのような者には、もう何の恨みもわだかまりもございません」

「そうだが、この先はどうなるか分からん。とにかく今のところは天下泰平、御岳(みたけ)の兵学大講会も、今年はさぞかし賑やかだろう」

「おっ、では旦那方もお出かけですか」

「何も能はないが、見物にな」

「ご冗談でしょう」

燕作は嫌な笑い方をしました。

「一昨日、呂宋兵衛もあちらへ出かけましたよ」

「ほう、あれも参ったか」

「家康さまのご指図で、当日は南蛮流の幻術を公開してみせるそうで」

「あの蚕婆(かいこばば)は、その後どうした」

「相変わらず達者なものでございますよ。ただ裾野にいた頃と少し違ってきたのは、呂宋兵衛にかぶれて、女修道者の黒い着物を着ているくらいなもので」

「お前は行かないのか」

「私でございますか……」

燕作は頭に手をのせて言いました。

「私はまだ、ゆっくりと後から出かけるつもりでして」

「そんなに悠長に落ち着いていると、もう試合の当日に間に合わなくなるぞ」

「なに、大丈夫。これでございます」

燕作は膝をパチンと叩いて言いました。

「孫悟空ではありませんが、早足の燕作、一番あとから駆けつけても、こういう筋斗雲(きんとうん)がございますから……へへへへ。ことによると、後から行って、いずれあちらで私の方が待ち受けるようなことになるかもしれませんよ……へい、じゃあご機嫌よう、さようなら」

そう言って、横町へ駆け込んでいきました。

二

織田信長と今川義元が滅びた後は、徳川家康の領地の境は小田原の北条氏直(ほうじょううじなお)と隣り合わせになり、碁盤の石の目を奪い合うように、武州・甲州・上州あたりの空き地を互いに競り合っています。

その小田原でも、御岳の噂は大変な盛り上がりでした。

徳川家から出る和田呂宋兵衛が昨日箱根を通り過ぎた。お小姓のとんぼ組の連中が美しい行列で練り込んでいった。菊池半助(きくちはんすけ)が行った。あれが通った、誰それが繰り込んでいった、と小田原城の若侍たちは血を沸かせていました。

何につけても氏直は、今、周囲の四隣へ虚勢を張っているところなのです。

「当家の武芸のほどを示してやれ」

と、北条氏は秀吉以上に大乗り気で、すでに城内で数度の下試合をさせた上で、家中から選抜した武芸者十名を「鎖帷子組(くさりかたびらぐみ)」と名付けてそれぞれにお揃いの装いをさせ、応援として若侍百二十人を添え、威風堂々と足柄裏街道から甲州路を抜けて、武州御岳へ参加することになったのです。

「ほう、あれは小田原の北条だな」

その人数と、ちょうど位牌ヶ岳(いはいがたけ)の追分でぶつかった井上大九郎(いのうえだいくろう)は、連れの二人を振り返って言いました。

「戦にはあまり強くない連中だから、せめて試合に勝とうというんだろう」

大口を開けて笑いながらそう言いました。

「よせよせ、大九郎」

才蔵は、道端に寄ってその人数をわざとやり過ごしてからたしなめました。

「大きな声を出すと聞こえるじゃないか」

「聞こえたって、なーに、構うもんか。何か言ってきたら、賤ヶ岳(しずがたけ)で少し食い足りなかった腰の刀に、生血を馳走させてやるさ」

「すぐそんな気になっては困る。今度の御岳はただの武者修行なんかとは違う。豊臣家のお名前をいただいて参ったことだから、もう少し自重してくれよ。な、大九郎」

可児才蔵(かにさいぞう)は、肩を並べて歩きながら、酒の匂いが絶えない井上大九郎に、しきりに意見をしていました。

いつもおとなしいのは真田源次郎(さなだげんじろう)です。二人の荷物まで自分の肩に持ってやって、黙々と歩き、黙々とあたりの山を眺め、時には立ち止まっては、地形や山川の様子を懐の紙に書き写しています。

さすがは後年、九度山に身を隠しても、隠然と天下に重きをなした大軍師・幸村(ゆきむら)。若い時から、人には知られない心掛けがありました。

ほどなくして、この一行も、小田原の人数も、甲州本街道を迂回して、岩殿山(いわどのさん)に武田家滅亡の跡を弔いながら、御岳へ、御岳へと近づいていきました。

御岳の登り口には、いくつもの小屋や厩(うまや)、湯呑所などが建っていました。今は山が紅葉の真っ盛りで、山腹や山上に、ところどころ鯨幕(くじらまく)や紫段だら染めの陣幕が、木々の間にひらめいて見えていました。「伊達家諸士控所(だてけしょしひかえじょ)」
「上杉家諸士溜場(うえすぎけしょしたまりば)」
「北条家休息小屋」
「徳川家家臣寄合場」
 小屋にはそれぞれそう書かれた木札が掲げられ、どこもかしこも物々しい雰囲気でした。明日に迫った大講会の試合に向けた準備で活気に満ちあふれています。しかし、今の天下の主である豊臣家は、何の準備もしていません。

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