### この本のはじめに
良寛(りょうかん)という名前のお坊さんが、今から百五十年くらい前に住んでいました。この本には、そのお坊さんのことが書かれています。
君たちの中には、西郷隆盛(さいごうたかもり)や、乃木(のぎ)大将、ナポレオン、ジンギスカンといった人たちの本を読んだことがある子がいるでしょう。そういう子は、本というものは、世の中で偉かった人や、何か大きな手柄を立てた人について書かれるものだ、と知っているはずです。
その通りです。間違いありません。
ところで、この本に出てくる良寛さんは、果たして偉かったのでしょうか。
なるほど、大人たちは「良寛さんは偉かった」と言っています。良寛さんが住んでいた新潟県の出雲崎(いずもざき)のあたりには、今でも良寛さんにまつわるいろいろな話が残っています。その土地の人に「越後(えちご)で偉かった人は誰ですか?」と聞くと、「それは上杉謙信(うえすぎけんしん)と良寛さんです」と答えるそうです。
ですが君たちは、この本を読み進めるうちに、不思議に思うかもしれません。「こんなお坊さんのどこが偉いんだろう?」と。
「こんな乞食(こじき)のようなお坊さんが偉いというのなら、その辺の乞食やルンペンはみんな偉いんじゃないか」と言う人もいるかもしれません。
そう思って、途中でこの本を放り出してはいけませんよ。もう少し我慢して、先へ読んでいきましょう。
とにかく、大人たちは良寛さんは偉かったと言っています。それだけではありません。良寛さんの偉さがどれほどのものであったかということは、実は大人たちにもまだよく分かっていないのです。
そう、ひょっとすると君たちの方が、誰よりも早く本当の良寛さんの偉さを見抜いてしまうかもしれません。大人たちが気づかないでいることを、君たちの方が先に分かってしまうかもしれないのです。何しろ、君たち子供の目は、少しも濁っておらず、とても澄んでいますから。
私はこの本の最後で、君たちに「良寛さんの偉いところが分かったかな?」と聞くつもりです。その時、君たちの誰も彼もが、教室で算数や国語の問題を当てられた時のように、一斉に元気に手を挙げてくれることを願っています。
もう一つ、良寛さんの話をする前に断っておきたいことがあります。
それは、良寛さんにはたくさんの言い伝えが残っていると言いましたが、それらがなぜか、すべて良寛さんが年をとってからのことばかりだということです。おじいさんになった良寛さんの話ばかりが残っていて、良寛さんが子供だった頃のことは、まるで残っていないのです。
ひょっとすると、どこかの家のお蔵の中に、良寛さんの少年時代を書いた本がしまってあるかもしれませんが、今のところ、そんな本を知っている人は誰もいません。だから、少年時代の良寛さんのことは、よく分からないのです。
しかし、君たちは良寛さんの子供時代のことも聞きたいでしょう?
そこで私は、それを聞かせてあげることにしました。良寛さんの子供時代は多分こんな風だったろう、こんなことがあっただろうと想像して、君たちにお話ししようと思います。
では、良寛さんの少年時代から、話をはじめることにしましょう。
紀元二千六百一年四月二十九日
新美南吉
(手毬)
かすみたつながき春日をこどもらと てまりつきつつ今日もくらしつ
(鉢の子)
春の野にすみれつみつつ鉢の子を わすれてぞこしあはれ鉢のこ
良寛
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### 一 蔵の中
出雲崎は、越後の国の日本海沿いにある、帯のように細長い港町です。そこからは海の水平線の上に、佐渡ヶ島(さどがしま)がぽっかり浮かんでいるのが毎日見えます。
その出雲崎の町に、数十代前から続いている、由緒正しい一軒の家がありました。土地の人たちは「橘屋(たちばなや)」と呼んでいました。橘屋は何代も前から、土地の名主(なぬし)と神官の両方を務めてきた家です。土地の人たちは橘屋を尊敬していました。その家は大きく古く、日本海の波が打ち寄せる海岸の近くに建っていたのです。
今から百七、八十年も前に、橘屋に男の子が生まれました。家の人々は喜び、栄蔵(えいぞう)と名付けました。この子によって、橘屋が将来栄えていくようにという願いが込められていたのでしょう。というのも、長い間栄えていた橘屋は、その頃だんだんと衰えかけていたからです。
栄蔵はおじいさんやおばあさん、若いお父さんやお母さんに可愛がられて育ちました。四つになり、五つになります。そんなある日、遊びから帰ってくると、弟が生まれているのを知って栄蔵はびっくりします。弟には左衛門(さえもん)という名前が付けられました。それからは、大勢の弟や妹が次々に生まれてきたので、栄蔵はもう、誰がいつ生まれたのか一人ひとり覚えていられないほどでした。とにかく、兄弟はみんなで六人になったのです。
まだ七つばかりの栄蔵は、春も近い暖かい日、近所のお寺へ遊びに行っていました。子供たちは十人ほど、お堂の前の日当たりの良い階段に腰を下ろして騒いでいました。栄蔵はいつもの癖で、みんなから少し離れたところで、優しい眼差しでみんなの方を眺めていました。
しもやけがまだすっかり治らない小さな手は、することがないので前掛けの中へ入れていました。
十人ばかりの子供たちの中には、ついこの間、佐渡ヶ島から越してきたばかりの、色の黒い、抜け目のない顔つきの子がいました。
みんなはその子を囲んで、佐渡ヶ島の話を聞いていました。
「じゃあ、角ちゃんのお父ちゃんは、何をしていたんだい?」
「金山で働いていたんだよ」
と答えました。
「金山って、掘るといくらでも小判がざくざく出てくるの?」
「そうさ、ざくざく出てくるのさ。でも小判じゃないよ。金の塊だよ。そいつを叩いて伸ばして、小判にするんじゃないかな」
「ふうん」
みんなは感心して唾を飲み込みました。
しばらく黙り込んでしまいました。みんなの目には、鍬(くわ)の先からきらきらと陽に輝きながら現れてくる黄金が見えるような気がするのです。
栄蔵も熱心に聞いていました。栄蔵は本当は、佐渡ヶ島から来た角ちゃんに、佐渡ヶ島の相川という町のことを聞きたかったのです。
栄蔵のお母さんがその町で生まれたからでした。
「佐渡に相川って町があるでしょう」
そう言って聞きたかったのです。
その言葉が、喉のところまで来ていましたが、いざとなると止まってしまうのでした。
というのも、いつも栄蔵はみんなと話をしませんでした。
何か話をかけようとすると、みんなは栄蔵の言葉を笑い出すからでした。
その言葉が女みたいだとか、のろくさいとか言って。
そしてどうかすると、みんなはあちらへ走り去っていきながら、こんな唄まで歌うのでした。
名主の家の
昼あんどん。
名主の家の
馬鹿息子。
昼あんどんというのは、人を褒めた言葉ではありません。行燈(あんどん)は火を灯して夜、部屋の中を明るくする道具で、昼間は何の役にも立ちません。
だから「昼の行燈」というのは、間に合わないもの、言い換えれば「うすのろ」ということなのです。こんなことを言われては、誰だって面白くありませんよね。
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