初級翻訳・良寛物語 手毬と鉢の子 第24話

新美 南吉

「お前らは全部立会人だ。一足も動いてはならん。」
弥助さんは泣き顔をして、またみんなのところへ戻ってきた。
「もうええだろう。」
と言って、胸の深さまで掘った勘又さんが、穴から出てきた。
「罪人を突き落とせ。」
と役人は命じた。
そこでちょっと動揺が起きた。
みんながしりごみしたのである。
――一人ぼっちだ、一人ぼっちだ、一人ぼっちもこれでおしまいだ、と良寛さんは、静かに思っていた。
その時、誰かが林の中へ走りこんできた。
身なりのよい、年をとった百姓だった。
「おお、吉三郎さん。」と百姓たちは、救われたように、ほっとしてつぶやいた。
「坊さんを生き埋めにするということを聞いて、飛んできましただ。」
と吉三郎さんは言った。
「まァ、待ちなせェ。埋めるのはいつでも埋められるだ。」
それから、しばらく吉三郎さんは、良寛さんの目をじっと見ていた。
良寛さんもその年をとった百姓の目を見ていると、それは大層やさしい温かい心を奥に湛えていた。
「この方が昼とんび? どうも信じられぬ。」
と吉三郎さんはつぶやいた。
――これは物のわかった、静かな心の持ち主だ、と良寛さんは思った。
「ひょっとしたらお前さんは、玉島の円通寺にいらっしゃる坊さんじゃないか。何でも越後の方から修行に来ている坊さんで、一風変わった偉い人がいるということをうかがったが。」
良寛さんは、ふっと嬉しさがこみ上げてくるのを止められなかった。
「そうです。私です。ちっとも偉くはありませんけれども。」
「やっぱりそうだった。」
それから吉三郎さんは、みんなや役人に、良寛さんの心の清純なことを説明した。
みんなも良寛さんのことなら聞いて知っていた。
「知らずに悪いことをしましただ。」
とみんなは謝った。
「辻堂のとこで手毬をついていられたで、こりゃどうも可怪(おか)しい。昼とんびが手毬をつくようなしおらしいことはすまいと、あの時思っただけど、何しろ俺達や南瓜(かぼちゃ)みたいに馬鹿ばかりだで。」
と一人は言った。
「俺あ、お前さんの鼻をひっぱたいて相済まんだ。俺の鼻をぶつ叩いて気を晴らしてくだせェ。ぺちゃんこ鼻だで、叩いても甲斐(かい)のねェことだろうけど。」
と勘又さんも謝った。
「なあに、なあに。」
と良寛さんは言った。帰り道、吉三郎さんがこう尋ねました。
「それにしても良寛さんは、生き埋めにされるというのに、どうして一言も言いわけをなさらなかったのですか。」
良寛さんは答えて言いました。
「何もかも因縁だと思ってあきらめておりました。こんな目に遭うのは、いつか私がどこかで悪いことをしたのだろう、その報いなのだと思っていたのです。」
「じゃあ、わしらを怨んじゃいなかったんだね。」
と勘又さんが言いました。
百姓たちの多くの目に、涙が浮かんで来ました。
――こんな人もあるのだな、こんなに心のいい人もいるのだな、とみんなは思ったのでした。
さっきの辻堂のそばを通りかかったとき、良寛さんはきょろきょろとあたりを見回しました。
「お金でも落としましたか?」
と百姓たちが聞きました。
「いやいや、そんなことは。」
そう言いながらも良寛さんは、あちこち探していました。
そして向こうのグミの木の根元にころがっている手毬を見つけると、急いで行って、こっそりと懐の中へ拾い入れました。みんなに見られたくなかったのです。
しかしみんなは、それが何であるかを見てしまいました。そしてお互いに顔を見合わせました。
「なんて心の純真な人なのだろう。まるで子供のようだ。」
みんなの目は、そう語り合っていました。

十一 漂泊

「坊さん、疲れていらっしゃるでしょう。」
と良寛さんは、うしろから声をかけられました。肥前長崎から東の方へ行く街道の上でした。よく晴れた秋の正午近くで、畑のあちこちには蕎麦の白い花が清々しく見え、ときどき空を横切りながら、細く澄んだ声を落としていくのはヒワでした。
「ああ。」
と返事しながら振り返った良寛さんは、慌てて道をあけました。一台の牛車がすぐうしろに来ていたからです。
「坊さん、どこまで行きなさるんだ。」
と、牛の頭のわきを歩いてきた牛飼いがまた言いました。
「どこまでということもない。行けるところまで行くのですわい。」
と良寛さんは言いました。
百姓は笠の下をのぞいて坊さんの顔をよく見ると、上品で優しそうな人だったので、
「よかったら、車に乗りなされ。空車だから、いいですよ。」
と言いました。
「そうかな。それはかたじけない。」
良寛さんは牛車のうしろへまわって、上に乗りました。車の台の上では、道のでこぼこで車が上下するにつれて、三、四粒の穀物が踊っていました。それを見ながら良寛さんは、牛飼いの親切を嬉しく思いました。
車は秋の陽のなかを、ぎいぎいときしらせながら、のろのろと進んでいきました。良寛さんは前の方を見ていて、奇妙に思いました。というのも、親切な牛飼いは牛のそばを腕を組んで歩いているばかりで、牛の手綱を持っているのは、十二、三歳にしか見えない男の子供だったからです。
子供は牛を御していくのに一生懸命の様子でした。坂道にかかると、「しっ、しっ」と牛を励まし、他の車と行き違うときは「どうどう」と言いながら、牛の首を押して道をあけるのでした。
――なぜ小さな子供なんかに手綱を持たせておいて、自分は大人のくせに手を遊ばせて歩いているのだろう、と良寛さんは親切な牛飼いを見て思いました。
太陽が真南に来ました。松林の向こうの村から、正午を知らせる鐘の音が聞こえてきました。大分揺られてきたので、良寛さんはお尻が痛くなりました。
「ここで弁当を食べようか。」
と牛飼いは言いました。ちょうど道端に松の大木が立っていました。牛の手綱は松の根元につながれました。牛飼いたちは自分が弁当を食べる前に牛に餌を与えるのがしきたりでしたが、その仕事をするのも奇妙なことに子供なのでした。
牛飼いの男は立っていて、あれこれと世話を焼きました。そして子供がやり方を間違えたり、まごまごしていると厳しく叱りました。子供は車の上の袋から、からこと細かく刻んだ藁を飼い葉桶に入れました。それから、ひょうたんを二つに割って作った器を持って、道の下のきれいな小川から水をすくってきて、餌に混ぜました。桶を鼻の下へ持ってきてもらうと、牛は子供の苦労を何とも思っていないかのように、すぐ顔をその中へ突っ込んで、もぞりもぞりと食べはじめました。
それだけの仕事が済んでしまうと、牛飼いはようやく子供に自分たちの弁当を取り出させました。良寛さんは見ていて、これではまるで牛飼いは子供より牛の方が大事らしいな、と思いました。
「坊さん、あんたは何を召し上がりますかな。」
と牛飼いは、松の根元に腰をおろして弁当を開きながら言いました。
「わしはまだ腹は空いていませんじゃ。」
と良寛さんは言いました。しかし本当は空腹でした。ただ弁当を持っていなかったのです。
「そんなことはありますまい。正午になって腹の空かないようなものは、牛だって人間だってありませんだ。察するところ、弁当をお持ちなさらないのでしょう。」
「お前さんはよく察しのきく人じゃ。」男は笑いながら言いました。

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