」
という意味のことが書いてあったのです。
衣の裾(すそ)を何かにひっかけて破ったのかもしれない、と思った造酒右衛門さんは、注文の品を下男に持たせながら、
「禅師はお年寄りだから、そんな細かい仕事は難儀だろう。お前がしてあげなさい。」
と言いました。
下男は五合庵へ上っていきました。
良寛さんは、下男から針と糸を受け取ると、
「やあ、ご苦労さん。もうよろしいから、帰りなさい。」
と言いました。
下男はもぞもぞしながら、
「それでも良寛さん、主人は私に、針仕事をしてこいと仰いました。足袋の繕いでも何でもしますから、私にさせてくだされ。」
と答えました。
「いやいや。お前さんはもう用がないから、あっちへ行きなされ。」
と良寛さんは素っ気なく言いました。
下男は、いくら頼んでも良寛さんが仕事をさせてくれないので、「そうですか」と腰を上げて土間から出ていきました。
しかし、このまま帰っては主人に叱られると思ったので、良寛さんが一体何をするか見届けてから帰ることにしました。
彼は一度、足音を立てて向こうへ去っていきましたが、すぐさま足音を忍ばせて庵の方へ戻ってきました。
そして薄暗い裏口から、盗人猫のようにこっそり中へ入って、物の陰から良寛さんのしぐさを見守ったのです。
良寛さんは、紙を丸めたものを芯にして、そこに糸を巻きつけていました。
くるくるくるくると、長い間巻きました。
それが丸いものになってもまだ、物陰から見ている下男には何のことか分かりませんでした。
一体何をするんだろう、と下男は不思議がりながら見ていました。
よい加減の大きさまで球ができると、良寛さんは今度は色の糸でさまざまに、かがり始めました。
良寛さんは一心不乱にかがっています。
ときどき出来栄えを見るためか、手を伸ばして目から離して眺めているのでした。そのとき、良寛さんの長い頭が、こてん、こてんと左右に揺れるので、後ろから見ていた下男は面白くなって、つい「ぷっ」と吹き出してしまいました。
すると良寛さんは、さっと顔を赤らめて、
「お前さんは意地の悪い人だねえ。わしはこんなところを見られて恥ずかしいよ」
と言いました。
「良寛さん、一体何をお作りになるんです? まさか手毬じゃないでしょうね」
良寛さんは、ますます顔を赤くして、
「その手毬ですよ」
と、袖の下から出来かけの毬を出して見せました。
こうして出来上がったのが、あの手毬だったのです。
良寛さんは、その毬の形や、色糸でかがった花模様の仕上がりが、自分で見惚れるほどよく出来たと思っていたので、早く子供たちと一緒に、その新調した美しい手毬をついてみたくてたまらないのでした。
――そうだ、今日はひっくり返るのはよそう。
今日は地面がぬかるんでいるから、子供たちがいくら言っても、ひっくり返るのはやめよう。
そう心に決めて、良寛さんは辻堂のそばへ行きました。
しかし、辻堂の縁側で遊んでいた五、六人の女の子たちが、いつものように、
「良寛さん、一貫!」
と叫ぶと、さっきの決心は鈍ってしまうのでした。
それも、ゆっくりとではなく、一気にどっと、鈍ってしまったのです。
そこで良寛さんは、いつものように後ろへそっくり返りました。
「良寛さん、二貫!」
――ええ、仕方がない。と、良寛さんはさらに深くそっくり返ります。
「良寛さん、三貫!」
やれこら、どっこいしょ、と良寛さんは仰向けになります。
だんだんと貫数は増えていきます。
「良寛さん、十貫!」
――やれこらせいの、どっこいしょ。
良寛さんは、後ろに尻もちをつきました。
そして、新しいお衣の背中側は泥で汚れてしまいました。
――やれやれ、子供というやつは、しょうがないものだ。
そう口の中で言いながら、良寛さんは腰を上げました。
そして、その「しょうがない子供たち」のことが、良寛さんは大好きだったのでした。
それから、良寛さんが楽しみにしていた手毬つきが始まりました。
良寛さんは、最初のうちは新調した手毬を出しませんでした。
みんなをびっくりさせるために、しばらくの間は、女の子たちが持っていた古い手毬をついていて、新しい毬は懐に隠していたのです。
じゃんけんをして、良寛さんが一番初めにつき始めました。
縁板の上で手毬は、ぽんぽんとよい音を立てました。
――なあに、今にわしの毬を見せてやるから驚くな。
と心の中で言いながら、良寛さんは一人でこっそり笑っていました。
良寛さんがつき損なって顔を上げたとき、どこかで鶯の鳴き声が聞こえました。
「今時分、鶯が鳴いているのはどうしたわけかな。もう秋だというのに」
と良寛さんは言いました。
「そうじゃないよ、良寛さん。キクやんが鶯笛を吹いとるんだ。ほら、あの塀の陰で」
良寛さんがそちらを見ると、土塀の陰へ女の子の顔がちらっと隠れました。
それからまたそっと半分ほど顔を出して、こちらをじっと見ています。
「さあ、今度はあたいがつく番。良寛さんが歌う番!」
良寛さんはそこで、毬つき歌を歌い始めました。
「向こう通るは 伊勢の道者か 熊野道者か 肩に掛けたるかたびら……」
良寛さんの鼻先では、女の子が一生懸命に、こきざみに手毬をついています。
するとまた、鶯笛が鳴りました。
「どうして、あの子は一人で鶯笛なんか吹いているのかい。ここへ来て一緒に遊ばないのかい?」
良寛さんは、毬をついていた女の子が、つき損なってやめたときに聞きました。
「だってキクやん、お母さんがいないもの」
「お母さんがいなくても、いいじゃないか。一緒に遊べば」
女の子たちは、ちょっと顔を見合わせました。
「だってキクやん、毬がないんだもの」
と一人の子が言いました。
「さ、今度はあたいがつく番!」
と三番目の子が言いました。
また手毬が始まりました。
良寛さんは、もう塀の角ばかり見ていました。
そこに半分出たり隠れたりする、人懐っこい、可愛い目の顔を見ていたのです。
またその子が鶯笛を吹きました。
「ホー、ホケッキョ」
――春でもないのに、お前はどうして鶯笛なんか吹くのか。
と、良寛さんは心の中でその子を憐れみました。
ここで手毬をついている子たちは、あのお母さんのいない子を軽蔑しているのです。
――この子供たちは、大人たちでもよくそうするように、憐れまねばならないものを間違えて軽蔑しているのだ。
そう良寛さんは思いました。
良寛さんは、塀の陰の二つの目に向かって手招きをしました。
二つの黒い目は、しばらく瞬きをしながら、良寛さんを見ているだけでした。
良寛さんは何度も招きました。
すると、信じていいものか疑っていいものか迷っているように、鶯笛の女の子は少しずつ姿を現し、良寛さんの方へ近づいてきました。
鶯笛の女の子は、良寛さんの座っている縁側のそばまで来ました。
そして、瞬きもせずに良寛さんの目を見つめて、立っていたのです。「お前の鶯笛はいい音がするね。でも、今時分に鶯笛を吹くのは少しおかしなものだよ。わしの持っているこれと取り替えっこしよう」
そう言って、良寛さんが懐から出したのは、昨日半日かけて一生懸命に作った手毬でした。鶯笛を持った女の子は、その手毬を見て喉をゴクリと鳴らしました。どうしても欲しいのです。
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