初級翻訳・親鳥子鳥 第3話

佐々木 邦

せめて大きく褒めてくれてもいいのに、お父さんは、
「源太郎こそ一番手が付けられなかったぜ」
と、今度は僕を格好の標的にしてしまいました。
「お前なんて、何でも手当たり次第後ろへ放り投げるんだから、危なくって仕方がなかったよ。困ったもんだよな、お鶴。片方を押さえつけて、交代でごはんを食べさせるような大騒ぎだったじゃないか?」
「あの頃はおじいちゃんもおばあちゃんも一緒に住んでいなかったし、お手伝いさんもいなかったし、何しろ初めての子育てで子供のことがよく分かっていなかったのよ。どこの家でも、長男の育児が一番苦労するのは、親のほうが慣れていないからだわ」
とお母さんは僕のために一生懸命弁護してくれました。
「それも確かにあっただろうね。とにかく破天荒というか、変わっていたよ。お茶碗の向こう側から飲まないと絶対に承知しないという、とんでもない無法者だったからね」
「お茶碗の向こう側って、一体そんな飲み方があるんですか?」
と、郁子はすぐに疑問の声を上げました。
これはお父さんが以前にも一度話したことがあるはずだから知っているはずなのに、僕を困らせようとして、わざと聞いたのです。
「茶道の世界にもそんな作法はないだろうね。こうやるのさ。お茶碗を両手でこんなふうに鷲掴みにして――おい、浩二もよく見ておきなさい、兄さんがお前よりも小さかった頃のお茶の飲み方だよ……」
とお父さんは手元のお茶碗を不器用に持ち直して、
「……普通にこっち側から飲まないで、こうやって口を大きく開けて向こう側へ噛みつくように飲むもんだから、お茶がみんな胸のあたりにこぼれて――っと、あつっ! しまった! お鶴や、雑巾……いや、ふきんだ、ふきん持ってきてくれ!」
「あなた、早くその手拭いを取りなさいよ! まったく、あなたって人は、いい歳をしてまだエプロンが必要なんじゃないかしら」
とお母さんがびっくりして声を上げました。
「わあ、お父さんがお茶をこぼしたぞ!」
と浩二は体を伸ばして大喜びし、他人の失敗を見つけると大はしゃぎする郁子と敏子も、もちろんクスクスと笑い出しました。
「ちょっと人の真似をしただけで、ひどい目に遭いやがった」
僕は心の中で、溜飲が下がる思いでした。
「奇抜だったのね、兄さんは。だから普段からあんなに逆立ち歩きが得意なわけだわ」
と、郁子にちゃっかり冷やかされてしまいました。
「お母さん、大人ってずるいよね」
今まで黙っていた千代子が、このとき初めて自分の感想をもらしました。
「どうして?」
「だってお父さんなんか、あんなにお行儀が悪くても、少しも叱られないんだもの」
「お父さん、少し気を付けてくださいよ。千代子から苦情が出ていますよ」
とお母さんは笑いながらお父さんをたしなめなければなりませんでした。
「はいはい、すっかり参りました」
とお父さんが頭を下げてお辞儀をしたので、浩二は「やあやあい!」と囃し立て、お姉さんたちもそれに合わせて元気な笑い声を響かせました。
こうなると、もう敵も味方もありません。
僕の家は、いつだってこんなふうに賑やかなのです。
夕ごはんが済んでも、お父さんは葉巻を一本すっかり吸い終わるまで、あれやこれやと子供たちの相手をしてくれる、とっても気さくなお父さんなのでした。子供たちの相手をするのはさすがにちょっと疲れるけれど、こうやって賑やかに過ごしていると、不思議と頭の疲れも吹き飛んでリラックスできるものです。
そんな時間になると、縁側でつながっている離れから、おじいちゃんがやって来るのが毎日の決まりでした。
昨夜もおじいちゃんは時間を違えることなく、
「相変わらず賑やかだなあ。
何か面白いことでもあったのかい?」
と言いながら、ひょっこり顔を出しました。
すると浩二は、
「おじいちゃん、聞いてよ! 今お父さんがお母さんに叱られたんだから!」
とばかりに、すぐに駆け寄ってきて、一部始終をヒソヒソ声で嬉しそうに告げ口しました。
「ほうほう、なるほど、そうかい。ふうん。
浩二は本当に話し方が上手だなあ。
言いたいことがよく分かるぞ。
えらいぞ、えらいぞ」
とおじいちゃんは目を細め、頬を緩めっぱなしです。浩二のこととなると、おじいちゃんは可愛くて仕方がないといった様子でした。
「もう八つにもなるのに、話の要点がつかめない子なんていないわよ」
「すぐにおじいちゃんが『えらい』って褒めるから、浩二がどんどん調子に乗っちゃうんだわ」
と、郁子と敏子はいつものように歯がゆそうに文句を言います。
自分たちだって、一番下だった頃は同じように思い切り可愛がってもらっていたくせに、すっかり忘れているのです。
「おじいちゃん、僕、今日も学校で『よくできました』の三重丸をもらったんだよ!」
と浩二は、お姉ちゃんたちの文句なんてどこ吹く風で、おじいちゃんの膝にピタリと寄りかかって甘えました。
「そりゃえらい、えらい!
なあ浩二、おじいちゃんも今度学校に行ってもいいかい?
浩二が先生から三重丸をもらうところを、この目で見てみたいんだよなあ」
とおじいちゃんは、家の中で褒めるだけでは物足りず、学校にまで行って自慢の孫を褒め称えたがるのでした。
「だめだよ!」
「どうしてだい? こないだは『いいよ』って言ったじゃないか?」
「でも、今日からダメな理由ができちゃったんだ」
「どうしてだい?」
「今日ね、渡辺章三っていう子のお父さんが学校に来たんだけど、みんながみんな大笑いしたんだよ。
おじいちゃんが行ったら、もっともっと笑われちゃうよ」
「どうしてだい?」
「渡辺章三のお父さんは、頭がツルツルにハゲているんだ。
あんな人でもあんなに大笑いされるんだから、おじいちゃんが行ったら、絶対にもっとすさまじく笑われるよ!」
と浩二が真剣な顔で主張するものだから、家族みんなはクスクスと笑い出してしまいました。
「おやまあ、それじゃあいけないのかい?」
とおじいちゃんは自分の頭をポリポリとかきながら、
「頭は少し寂しいが、自分としてはまだまだ世間並みのつもりでいるんだがなあ」
「それ以上はもう世間並みとは言えないでしょうよ」
と、お父さんもちょっとだけ敬意を込めて突っ込みました。
「あら、その人なら私のところにも来たわよ。
私のクラスの渡辺さんは、浩ちゃんのとこの子の姉ちゃんだからね」
と千代子が言いました。
「お前たちのクラスでもやっぱり笑ったのかい?」
「うん、少しね。それで後から先生に怒られたわ。
だって、本当にツルツルなんだもん。
おじいちゃんよりはずっとひどいんだから!」
「僕はおじいちゃんの方だってもっとひどいと思うけどな」
「だって私、おじいちゃんのおハゲは毎日見てるから笑わないもん」
「それは単に見慣れているだけさ」
と、浩二と千代子はおじいちゃんの頭をめぐって議論を始めました。
「それじゃあ、学校見学は諦めるとするかね。
あとから子供たちが先生に怒られたりしたら、とんだ大迷惑だからな」
とおじいちゃんも笑いながら納得しました。
「子供って、本当に天真爛漫ねえ」
と、郁子が少し大人びた口調で言いました。
「そういえば源太郎や、そろそろラジオの時間だな。
今夜の番組は何だったっけ?」
とお父さんが尋ねました。

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