せっかく東京へ来たついでに、一つ手術を受けたいと思っているのだけど、ああいう美容整形って、下手なところにお願いするとかえって形が悪くなっちゃうって聞くし……」
「そうなののかしらねえ。私、そのへんはちっともわからないのよ。でもねえ、絹子さんのお鼻は少しも低くないわよ」
とお母さんはもう一度太鼓判を押した。
「低いのよ、本当に……」もう少しどうにかならないものかと思いますの」
「お母さんは何ておっしゃっているの?」
「母は古い考え方だからもちろん反対で、そんなの欲張りだって言うんですわ」
「欲張りだよ、絹子さん。
そんな立派な顔立ちに生んでもらったんだから、あれこれと文句を言ってちゃ罰が当たるよ」
「まあ」
と絹子さんは少し顔を赤らめた。
まもなくお父さんが仕事に出かける支度をして降りてきて、
「絹子さん、今日は乃木神社かい?」
と冗談を言った。
おじいさんが相手のことも考えずに、武士っぽい場所ばかりに案内しているのを知っているからだ。
「まだ決まってないんですの」
「今晩は銀座へクリスマスの買い物に出かけるから、お供するよ」
「ありがとうございます」
「ねえあなた、隆鼻術(鼻を高くする手術)で信用できるお医者さんを知っている?」
とお母さんが尋ねた。
「隆鼻術? 鼻かい?」
「ええ」
「絹子さんかい?」
とお父さんはそのまま席に座り込んで、
「こうして見せてもらったところ、少しも低くなんかないのにね」
と、やっぱり太鼓判を押した。
絹子さんは黙っていた。
「私もそう言っているんですけど……」
「隆鼻術なら、知り合いの男がやっているよ」
「どこにあるんですの?」
と絹子さんは急に身を乗り出した。
「麹町だよ。
フランス帰りでものすごく流行っているけれど、信用はできないな」
「どうしてでございましょう?」
「フランス帰りの隆鼻術っていうこと自体が、もう矛盾しているんだよ。
カラスが発明した白髪染めみたいなものさ。
あちらの人たちはもともと鼻が高いんだから、わざわざ鼻を高くする手術を工夫する必要なんてないんだ。
真っ黒なカラスが、何を苦にして白髪染めを発明するかい? 必要のない専門の医学が発達するわけがないよ」
「でもあれは美容術みたいなものですから、やっぱりフランスが一番なのではございませんか?」
「その詐欺師は美容術もやっているよ。
あれなんて白粉(おしろい)を塗るだけのようなものだから、気晴らしに受けてきたらどうだい」
「そんな簡単なものじゃありませんわ」
とお母さんも、美容術には興味があるだけに、思わず不満の声をあげた。
「美容術だけなら郷里にもありますのよ」
と絹子さんはさらに一歩踏み込んで言った。
「その美容術の一部門である隆鼻術のことなんだけど、皮肉なことに、その先生自身の鼻がものすごく低いんだよ。
紺屋の白袴(※職人の家なのに自分の子どもが白袴を履いているように、自分のできないこと)じゃないかって聞いてみたら、まだ自分の鼻に応用するほどの自信はないって答えたよ。
お金さえ儲かればいいんだろうね。
まあまあ、親から授かった鼻に満足しない不孝者から罰金を巻き上げるんだから、一種の勧善懲悪で、道徳的な商売だと言っているよ」
「ひどい人ね」
「恐ろしいものだなあ。
絹子さん、君は活字の信者になってはいけないよ」
「何のことですか?」
「活字の信者のことさ。
活版印刷で刷ってさえあれば、何でも本当だと思い込むおバカさんのことだよ。
地方にはそういう人がよくいるんだ」
「それじゃあおじさんの書いている新聞も信じられませんわね?」
「一本取られたな。
はっはっはっは」
「いい気味だわ、悪口ばかり言うから」
とお母さんは面白そうに笑った。
「新聞だけは例外として、活字で刷られたものにはものすごい嘘があるものなのさ」
とお父さんは苦しい言い訳をして、
「隆鼻術に限らず、詐欺師というのは宣伝が上手だからねえ。
婦人雑誌の広告なんかを一々信じ込んじゃ大変だよ。
目でも鼻でも、体に問題がないなら、持って生まれたものが一番自分に似合っているんだ。
子どもの気持ちに戻らなくちゃいけない。
うちの浩二はもっと小さい時、鼻なんて穴さえ開いていればいいんだって言っていたよ。
その説明が実に原始的で面白いんだ。
起きている時は生きているけれど、寝ている間にうっかり忘れちゃって死ぬといけないから、息ができるように鼻に二つ穴が開いているというんだよ。
この精神が肝心なんだ」
とお説教を始めた。
「もう分かりましたわ。
私もこの低い鼻で満足しますわ」
「低いところなんて少しもないよ。
まあ、低い高いは置いておいて、自分の鼻なんだからさ。
鼻としての役割を果たしていれば完全無欠なのさ。
何でも自分のものは一番いいと思わなくちゃいけない。
おじさんはこんな顔をしていても、これで日本一の美男子のつもりでいるんだ。
おばさんもそう信じてくれているしさ」
「まったく、バカばかりおっしゃるんだから」
とお母さんは困った顔をした。
「冗談はさておき、絹子さん、君は器量が良すぎるんだよ。
だからかえって不満が出てきちゃうのさ。
大抵の女性は鏡に向かって、私はこれでも目だけは千両役者並みだとか、額の生え際だけは富士額だとか、どこか一つは取り柄を見つけ出すものだ。
そしてその一つの場所にこだわって、他の部分は忘れちゃうんだよ。
口が大きくてもかまわない。
頬骨が高くても気にしない。
これでいいんだよ。
目美人でも額美人でも、とにかく自分は美人だという自信があれば、安心して暮らしていけるものなのさ。
ところが絹子さんは、取り柄が多すぎるんだよ」顔のパーツがどれもこれも綺麗に整っているからこそ、少し低いと思う鼻が気になって、ここさえ何とかすれば日本一の美人になれるって考えてしまうんでしょう?」
「まさかそんな」
と絹子さんはお母さんの方を振り返り、顔を桜色に染めた。
褒められて嬉しかったというのもあるだろうが、図星を指されてあながち間違いでもなかったのである。
「いいえ。
やっぱり理想が高すぎるんですわ」
とお母さんもお父さんと同感だった。
「隆鼻術なんて、実際に南部の鮭みたいに鼻が曲がってしまった人だっていますよ。
うまく行って鼻が高くなったところで、美的効果なんてありません。
鼻が高いという印象を与えるのは、全体の調和を欠いている証拠です。
極端に言えば、天狗のお面みたいなものでしょう? また、低すぎるという感じを与えるのも、やっぱり調和を欠いています。
顔のパーツというのは、それぞれが持ち寄って全体の美しいバランス(綜合美)を形作っているんですからね。
鼻ばかりが目につくようなら、それはもう奇形ですよ。
絹子さんの鼻は、一向に人目を引かないからこそ良いんです」
「低いからですわ」
「いや、調和が取れているからさ。
女性は皆、自分の顔のままで日本一だと惚れ込めばいいんですよ。
なにせ自分にとっての唯一無二の顔なんだからな。
おや、おや、すっかり長話しをしてしまった。
源太郎や、お嬢様をどこへでもご案内して差し上げろ。
隆鼻術だけはいけないぞ」
と言って、お父さんは慌ただしく出かけて行った。
初級翻訳・親鳥子鳥 第28話
佐々木 邦
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