初級翻訳・論語物語 第18話

下村 湖人

「4. 親が生きているうちは、親のもとを離れて遠くへ行ってはならない。もしやむを得ず遠出をする場合は、あらかじめ行き先をきちんと伝えておくべきだ。」
「5. 親の年齢は、決して忘れてはならない。一つは、親が長生きしていることを心から喜ぶため。もう一つは、親に残された時間がもう多くはないことを恐れ、一回一回の親孝行に励むためだ。」
「6. 父が生きているうちは、その子の人間性は、その『意志や生き方』によって判断される。そして父が亡くなったあとのその子は、その『行動』によって判断される。なぜなら、父親が生きているうちは、子どもの行動は父親のブレーキ(節制)に従うべきだが、父親が死んだあとの行動は本人の自由になるからだ。しかし、父親が死んだあとであっても、みだりに父親の決めたやり方や家風を変えてはならない。父親に対する深い思慕や悲しみの情が大きければ、勝手に変えるに忍びないのが自然というものだ。父親が亡くなってから三年間はそのやり方を変えず、ひたすら喪に服する者こそ、はじめて真の親孝行の子と言える。」
「7. 閔子騫(びんしけん)という人は、なんと素晴らしい親孝行者だろう! 親も兄弟も彼を心から褒め称え、誰も彼のことを非難する者はいない。」

こんな言葉が、次から次へと思い出されました。
しかし樊遅は、自分自身にそれが実行できるかどうかは別として、言葉の意味そのものは、そんなにむずかしいとは思えませんでした。
(違わない、違わないって、いったいどういう意味だろう……?)
と、彼はもう一度首をひねりました。
そして最後に、次の言葉を思い出しました。

「8. 親に仕えていて、親の過ちや悪いところを見つけても、それを黙って見過ごすのは子どもの道ではない。言葉を優しくして、親をいさめるべきだ。もし親が自分の言うことを聞いてくれなくても、いっそう敬う誠意をつくし、チャンスを見計らってはまたいさめて、決して道を踏み外さない(違わない)ようにさせなさい。どんなに苦しくても、親を恨んではならない。」

樊遅は、ここでパッと明るい気持ちになりました。
その教えの中に、「違わない」という言葉が見つかったからです。
しかし、ほんの数秒後には、彼の頭はかえってそのせいで大混乱しはじめてしまいました。
なぜなら、さっき孔子が言った「違わない」と、この最後の言葉の中にある「違わない」とでは、まるで意味がちがっているように思えたからです。

後の場合の「違わない」は、そもそも親が生きているときのことです。
それに、前後の文脈から判断しても、親を正しい道から踏み外させないという意味に違いありません。
親を亡くしたあとの「違わない」という言葉が、それと同じ意味だとは、どうしても思えなかったのです。
使われている言葉がまったく同じだけに、彼はますます判断に迷い、困ってしまいました。

「なんだか、ものすごく深く考え込んでいるようじゃないか。」
孔子は、再び樊遅に答えを促しました。
樊遅はちょっと悔しい気もしましたが、ついに降参して、白旗を上げました。
「さっきからずっと考えているのですが、どうも私には意味がわかりません。」
「お前にわからないなら、孟懿子になおさらわかるはずがない。わしの言葉が少し簡単すぎたようだな。」
「いったい、どういう意味なのでございましょうか。」
「わしのつもりでは、礼儀から外れない(違わない)ようにしてもらいたい、という意味で言ったのじゃ。」
「なるほど……!」
樊遅は、なんだか拍子抜けするほど平凡だなと感じ、「こんなことなら、あんなに一生懸命悩むんじゃなかった」と思いました。

孔子はさらに続けました。
「つまり、親が生きているうちは礼儀を尽くして仕え、亡くなったときは礼儀を尽くして葬り、そしてお祭りするときも礼儀を尽くして行う。それこそが本当の親孝行だ、と言っているのだよ。」
「しかし、そんな意味ならば、今さら先生に言われなくても、孟懿子だってわかっているはずです。彼はもうずいぶん長い間、先生のもとで礼儀を学んでいるのですから。」
「いや、わしにはどうも、彼が本当に理解しているとは思えんのだ。」
「でも、近々行われるお祭りは、ものすごく盛大で丁寧に行われるという噂ですが……」
「お前もその話を聞いているのか。」」
「細かいことはわかりませんが、とにかく今までとは比べものにならないほど、立派に行うご予定だそうです」
「これまで通りではいけないのかね?」
「いけないということはないでしょうが、手厚い上にさらに手厚く行いたいというのが、子どもとしてのせめてもの……」
「樊遅(はんち)!」
と、孔子の声がすっと高くなりました。
「お前にも、まだ『礼』の心がよく分かっていないようだな」
樊遅は思わず御者台(ぎしゃだい)から振り返って、ちらりと孔子の顔を見ました。
孔子の顔には、別に変わった様子は見られませんでしたが、その声にはいっそう強い力がこもっていました。
「礼とは、簡素すぎてはならないが、またやりすぎてはならないのだ。
9度を越えたやりすぎは、足りないのと同じこと(過ぎたるは及ばざるがごとし)なのじゃ。
人間にはそれぞれに『身分や分度(ぶん)』というものがあるが、その分を越えもせず下がりもしないところに、礼の正しい姿がある。
自分の分を越えて親を祭るということは、親の霊に対して『無礼なこと』を味わわせることになってしまうのだ。
それだけでなく、立派な大人の人間がしでかす無礼は、やがて国中を乱すもとになる。
親の霊に、天下を乱すような無礼な儀式を受けさせて、いったいどこが親孝行と言えようか!」
樊遅には、もう後ろを振り返る勇気はありませんでした。
彼は前を向いたまま、石のように固くなり、ほとんど機械のように手綱をさばいていました。
彼が孔子を送り届けたあと、すぐその足で孟懿子(もういし)のところを訪ねたのは言うまでもありません。
そして、もし孟懿子が、自分の権力を自慢するためではなく、心から亡くなった人の霊に仕えたい一心で、あの盛大な祭典を行おうとしていたのであれば、樊遅のこの訪問は、彼にとって素晴らしい意味を持つものになったに違いありません。
しかし、そのことについて歴史の記録は、私たちに何も語ってはいません。

1 孟武伯、孝を問う。
子曰く、父母は唯その疾(やまい)を之れ憂うと。
(為政篇)
2 子游、孝を問う。
子曰く、今の孝は、是れ能く養うを謂う。
犬馬に至るまで、皆能く養うことあり。
敬せずんば何を以て別たんやと。
(為政篇)
3 子夏、孝を問う。
子曰く、色難し。
事有るときは弟子其の労に服し、酒食有るときは先生に饌す。
曾て是を以て孝と爲すかと。
(為政篇)
4 子曰く、父母在(いま)さば遠く遊ばず。
遊ばば必ず方ありと。
(里仁篇)
5 子曰く、父母の年は知らざるべからざるなり。
一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼ると。
(里仁篇)
6 子曰く、父在さば其の志を観、父没せば其の行を観る。
三年父の道を改むること無きは、孝と謂うべしと。
(学而篇)
7 子曰く、孝なる哉閔子騫。
人其の父母昆弟の言を間せずと。
(先進篇)
8 子曰く、父母に事えては幾諌(きかん)す。

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