初級翻訳・透明怪人 第16話

江戸川 乱歩

そして、この大発明を手伝う気にはならないかね」
「それには、どうすればいいんですか」
大友君は、おそるおそる尋ねました。
「きみが、透明人間第四号になってくれればいいんだよ」
老人は相変わらずニコニコしながら、ギョッとするようなおそるべきことを言うのです。
「いやです! ぼく、いやです。
透明人間にされるなんて、いやです!」
大友君はまっさおになって叫びました。
「ハハハ……、きみは怖がっているね。
なあに、ちっとも怖いことなんかないよ。
そこの手術台でひと晩眠ればいいんだ。
はじめに眠り薬を注射するから、何も知らずにぐっすり眠ってしまうよ。
そして目がさめれば、きみはもう透明人間になっているのだ。
だれにも見られないで、どんなことだってできるんだよ。
きみは、童話の魔法使いになったようなものさ。
さあ、どうだい。
夢のような話じゃないか。
こんなにおもしろいことが、ほかに他にあると思うかね」
「いやです! ぼくの顔やからだがなくなってしまうなんて、いやです。
お父さんやおかあさんにも会えなくなるし、友だちとも別れなければなりません。
そんなの絶対にいやです。
ぼく、魔法使いになんかなりたくありません!」
大友君は必死になって反対しましたが、老人がそれに耳を貸すはずもありません。
「そんなにいやかね。
だが、いくらイヤだと言っても、きみはもうわしのとりこなのだ。
逃げようとしても、この部屋には出口がない。
秘密の戸を開け方さえ、きみは知らないんだよ。
わしの命令に従うほかないのだ。
さあ、いい子だからおじいさんの言うことを聞いて、じっとしているんだよ」
怪老人はそう言いながら、いきなり椅子から立ち上がると、パッとコウモリの羽のように外とうの袖を広げ、大友少年に飛びかかってきました。
そして、あっという間に小脇にかかえ上げ、手術台のそばへ行ってその上に寝かせてしまいました。
もう、いくらジタバタしてもダメです。
怪老人の鉄のような腕にしめつけられて、身動きさえできません。
大友君は、ついに観念して目を閉じました。
左の腕がまくりあげられたのを感じました。
しかし、もう目は開きません。
もがいてみたってどうにもならないのです。
やがて、腕にチクリと虫がさすような痛みを覚えました。
注射針がささったのです。
「さあ、これでいい。
きみはすぐ眠くなるよ」
大友君はもう何も考えず、じっとしていました。
しばらくすると、からだじゅうがだるくなってきました。
なんだかいい気持ちです。
ウトウトと眠くなってきました。
どこからか、なつかしい子守歌が聞こえてくるような気がしました。
そして、いつの間にか深い眠りに落ちてゆくのでした。

透明少年

それからどれほどの時間がたったのか分かりませんが、大友君は夢からさめたように、自然に目をひらきました。
やはり手足が何かにしめつけられていて、少しも身動きができません。
しかし、それは怪老人の腕ではなく、グルグル巻きの細い紐でした。
大友君は椅子に座らされ、両手両足をその細い紐で縛りつけられていたのです。
そばにはだれもいません。
一坪ほどの、せまい箱のような場所です。
ふと気がつくと、正面の壁に何やら光るものがあります。
鏡です。
三十センチ四方ほどの鏡が、壁にはめこみになっているのです。
大友君は、それが鏡だとわかるまでに一分もかかりました。
そこには、なんともえたいのしれない、へんてこなものが映っていたからです。
鏡の中には、学生服の胸から上だけがこちらを向いていました。
しかし、その服の襟の上には、首がないのです。
学生服は大友君の着ているものと、しわの寄り方からボタンのデザインまでまったく同じでした。
その鏡に映っているのは自分に違いありません。
それなのに、首のところだけまるで消しゴムでふきとったように、すっかり消えてしまっているのです。
大友君はあまりのおそろしさに、からだがガタガタとふるえてきました。
顔もまっさおになったことでしょう。
しかし、その顔は人の目には見えません。
顔がなくなっていたのです。
からだもなくなっていたのです。
大友君はいつの間にか、透明人間にされてしまっていたのです。
鏡に学生服だけが映っているのは、そのためだったのです。みなさん、自分のからだが、まったく目に見えなくなったら、どんな気持ちがすると、思いますか。
自分が、この世から消えてしまうのです。
しかし、ちゃんと生きているのです。
むかしの忍術使いは、自分のからだを、かきけすことができたそうですが、でも、それは一時のことです。
また、もとのすがたにもどれたのです。
ところが、大友君は、もう二度と、もとのすがたには、なれません。
一生、目に見えない人間として、くらさなければならないのです。
世の中に、こんなおそろしいことが、またとあるでしょうか。
大友君はそれを思うと、なんとも言えないかなしみが、こみあげてきました。
「おかあさーん。」と、さけびたくなるのを、やっと、歯をくいしばって、こらえました。
しかし、なみだをとめることは、できません。
あついなみだが、ほおをつたって、ながれているのが、よくわかります。
でも、そのなみだは、目には見えないのです。
前の鏡には、何もうつらないのです。
「おお、気がついたか、きぶんはどうだね。」
ふりむくと、横ての小さなドアがひらいて、そこから、怪老人の四角なメガネが、のぞいていました。
「きみはもう、人の目に見えない透明人間になったのだよ。
きみがいまニコニコ笑っているのか、べそをかいているのか、わしにも見えない。
どうだね、さびしいかね。
それとも、たのしいかね。
きみはきょうから猿飛佐助のように、どんなことだって、できるんだよ。
すばらしい透明怪人になったのだよ。
さあ、元気をだしたまえ。」
怪老人は、大友君のそばに近づくと、イスごと持ちあげて、大友君を小部屋のそとに、つれだしました。
暗い土の廊下です。
そこで、手足のなわをほどき、大友君をだきあげて、どこかへはこんでいくのです。
「ちょっとのまのしんぼうだ。
きみが空気男のくらしになれるまで、すこし、きゅうくつな思いをしてもらわなければならん。
ひょっと、逃げだされでもしたら、たいへんだからね。
いま逃げだしたら、きみは透明人間というものに、なれていないから、すぐつかまってしまう。
目には見えなくても、からだはあるんだから、一度つかまったら、もうおしまいだよ。
だから、きみは、しばらく、ここにはいっているんだ。」
ガチャンと音がして、鉄のこうし戸がひらきました。
その前のゆかに、しょくだいがおいてあって、小さなローソクの光が、ぼんやりと、あたりを照らしています。
老人は大友君を鉄ごうしの中に入れて、ピッタリ戸をしめると、そとから、かぎをかけてしまいました。
それは動物園の猛獣のオリのような鉄ごうしの牢屋でした。
大友君はそこに、とじこめられてしまったのです。
「しばらくの、がまんだ。
食事はちゃんと、はこんであげるからね。」
老人は長い白ひげをふるわせて、声をたてないで、笑いました。
四角なメガネが、ローソクの火をうけて、きみ悪くキラキラと光りました。

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